[10]これでも先輩ですから…④
「尾海、何時までも見えなくなった者を見てないでお前も手伝ったらどうだっウン?」
慶磁が歩き去った整備場。
何時までも動かない少女に聡美は声をかけた。
「ハッハイ!」
驚かされたようにビクッと体を振るわせて、尾海が現に意識を戻した。
「すいません教官」
さっきまでの以上なトリップ少女の面影はまったく無くなっている。
慶磁には信じられないかも知れないがこれが彼女の本当の姿、竜胆を影に表にサポートする、佐久間と同じタイプの理知的才女それが彼女だ。
彼女が普通でなくなるのは自分よりすぐれた敬愛する人物に対する時だけということを知っている。
彼女のさっきの壊れ具合が何を表すかも。
だから、これは純粋な好奇心だ、自分にしては珍しい他人への興味。
慶磁と言う男は注目せずにはいられない、何かを感じさせる者だった。
「で、どうだったのだ?慶磁を直に見た感想は」
「悔しいですけど、完敗ですね。私じゃ万葉さまの隣りに立てないってハッキリ自覚させられましたよ。ホントはさっき感じた祇桜先輩の魔力で解ったんですけどね。嫉妬しているのがバカバカしくなるくらい、研ぎ澄まされた深い力の渦、それを内包した先輩に一目で引き込まれるのが自分でも解りましたから……それにとても綺麗な人、これじゃ認めないわけにはいきませんよ」
尾海は余りの差に嘆息しかでていない。
彼女は今の今まで祇桜 慶磁という人間を嫌い抜いていた、自分がばらした慶磁の女性れきにも原因があったかもしれないが、なにより彼女が認めた初めての存在、竜胆 万葉が祇桜 慶磁と言う人間を無条件に認めているようなところが許せなかったのだろう。
だが、実際に見た慶磁は浮ついた男でもなければ、実力のない男でもなく、覇気のない男でもなかった。
たった一人で今この森を歩くのがどんなに危険なことかは解っている、穴が開いたことを理解してから教官に施設の結界に導いてもらうまでの間に感じた、体が何倍にも重くなったような圧迫感、森の中から飛びかかってきたクリーチャーは私の腕の肉を少し囓っていった。初めて見たクリーチャーに襲われたあの時の険悪感、今思い出しても怖気が走る。そのすぐ後にはそのクリーチャーは万葉さまが倒してくださったけれど、そのクリーチャーは元はリスだと教えられた。信じられなかった。その時から彼がここに到着するまでの時間は10時間ほど過ぎているクリーチャーの変化はさらに強力に禍々しくなっているだろう。それなのに彼は怪我一つしていなかった。それに先行偵察としてただ一人派遣された彼の執行部からの信頼の厚さ。
「…敵わないわ」
口をついて思わず言葉が漏れる、でも不思議と余り悔しくない、ただ今はあの二人が並ぶと素晴らしい絵に成るだろうといった楽しみだけが有る。
そして何より彼にまつわる一つの噂を消してしまうほどの人間味。やはりホルダーのことは誰かが流したブラフだったのだろう。精神が病んでいるようには全く見えなかった。いや彼なら病んでいたとしても美しく狂うだろうか、正気を失うようなことはないと信じさせるあの瞳。
まいったな。
どうやら、私は敬愛を捧げる対象が一人増えてしまったようだ。
この堅物少女をもう攻略するとはやるな慶磁!
聡美は尾海を観察し、彼女が慶磁の敵から味方となったのを確信していた。
まったくそこに存在するだけで味方が増えていく、どうしてだろうと毎度のことだが不思議なことだ、チャランポランなところも目だつ奴だが、なぜか人を魅了してやまない。
その意味では竜胆 万葉。
彼女と慶磁はやはり似ているかも知れないな。
彼女の場合はその堂々とした姿と行動力に人が従わずにはいられないという典型的カリスマで慶磁とは少し違うが……。
それにしても慶磁の奴、力の解放を感じたときはキレて暴れてるのかと思ったが、あの落ち着きよう、やはり、愛は人を変えるのか!?
「ところで教官」
「なっなんだ?尾海」
突然の呼びかけに今度は自分が驚いてしまった。
「どこを手伝ったらいいのでしょうか?」
「おお、そうだったな。ここだ、我の腕では太すぎて入れんからな!」