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婚約破棄された伯爵令嬢のその後のお話

「おかあさん、ご本読んで!」


ナノルがスプーンを握ったまま、じっと私を見上げる。スプーンの先には、まだ手をつけていない人参が乗っていた。


「ちゃんと人参を食べたらね。」


私は優しく言って、お皿を指さした。

まだまだ好き嫌いが多い年頃。でも、食べないわけにはいかないのだ。


ナノルは眉をしかめスプーンを持つ手をゆっくり下げる。

小さな足をぷらぷらさせながら、むっとした顔で小さくつぶやいた。


「やだ、にんじん、きらい。」


「でもね、ナノル。勇者さまは、何でも美味しく召し上がったのよ。」


「えっ……?」


ナノルが私をちらりと見上げる。


「ほんとう?」


「ええ。どんなものでも、『めっちゃ美味しい!』ってね。」


ナノルはスプーンをじっと見つめ、それから皿の上の人参を睨む。そしてしぶしぶと、スプーンを口に運んだ。


「……もぐもぐ……」


咀嚼するたびに、だんだんと顔が曇っていく。そして、もごもごと噛みながら、上目遣いで私をじっと見つめた。


「……おいしくない……」


「ふふふ。」


私は小さく笑った。

勇者さまの話をしたからといって、苦手なものが急に美味しくなるわけじゃないわよね。でも、ちゃんと食べたことを褒めてあげる。


「えらいわ、ナノル。」


「……ご本!」


ナノルが期待に満ちた顔で、ぐいっと体を乗り出す。


「はいはい、読んであげるわ。」


ナノルの皿を片付け始めると、窓の外からにぎやかな声が聞こえてきた。


ヨッコラチョ! ドッコイチョ!


カーテンをそっとめくると、庭でナディアが小さなゴミ箱を引っ張っていた。ゴトゴトと音を立てながら、しっかり両手で紐を持ち、時折体をよろめかせながらも、一生懸命に引きずっている。


柔らかい陽が差し込む緑の庭。風がそよぎ、木々の葉をさらさらと揺らしていた。


ナディアはまるで何かの試練に挑んでいるかのように、小さなゴミ箱を引っ張りながら、時折踏ん張っては前へ進む。その姿は、昔見たあの人のようだった。


「ナディアー! ナノルにご本を読むから、おいで!」


私が窓越しに声をかけると、ナディアがぱっと振り向いた。


「ほんと!? いく!」


彼女は勢いよくゴミ箱に巻いてあった紐を離し、ぱたぱたと駆けてくる。ちょうどそのタイミングで、部屋の入り口からエリオットが顔を出した。


「お話の時間かい?」


穏やかに微笑みながら、エリオットがナノルのそばに歩み寄る。


「ほら、行こう!」


ナノルは嬉しそうに立ち上がり、エリオットの手をぎゅっと握る。


「わーい!」


ナディアが、弾むように部屋へ駆けてくる。エリオットは二人を抱き抱えた。


「さあ、ご本を読むわよ!」


私は微笑んで絵本を開いた。


窓の外では風が吹き抜け、カーテンが優しく揺れる。

子どもたちは私の隣にちょこんと座り、エリオットはナノルの隣に腰を下ろした。


ページをめくると、ふわりと絵本の匂いが広がる。

窓の下では、銀色のゴミ箱が太陽の光を浴びて、ぴかぴかと輝いていた。


◆◆◆


『勇者さまとふしぎなゴミ箱』


むかしむかし、ミレイアというやさしい少女がいました。


ミレイアは、おとうさんとおかあさんと、しあわせにくらしていました。

けれど、あるひかなしい事故がおき、ミレイアはひとりぼっちになってしまいました。


そこへ、わるい魔女がやってきました。


魔女はミレイアのだいじなものを、ぜんぶうばいました。

「おまえなんか、ごみのようなものだ。いなくなってしまえ!」


魔女はそうわらい、ミレイアはなみだをこぼしました。

そして、じぶんをすてるために、まよいの森へとはいっていきました。


そんなミレイアを、かみさまはあわれにおもいました。


そしてべつのせかいから、ひとりの勇者さまをよびました。


――やってきたのは、ふしぎなゴミ箱をつれた、異世界の勇者さまでした。


勇者さまは、ミレイアをゴミ箱のなかにかくし、じぶんがミレイアのかわりになりました。

そして、たくさんのあかしをあつめ、なかまをつくり、わるい魔女をおいつめました。


おいつめられた魔女は、さいごにミレイアのたからものをこわそうとしました。

それは、おかあさんのかたみのだいじなブローチでした。


けれど、勇者さまはふしぎなゴミ箱をひらき、魔女をすいこんで、やっつけたのです。


ブローチはこわれず、勇者さまのもとへともどってきました。


そして、すべてがおわると、勇者さまはゴミ箱からミレイアをとりだし、ミレイアを愛していた騎士のもとへかえしてあげました。


騎士はとてもよろこび、ミレイアもまたわらいました。


そのあと、騎士はかみさまのまえでミレイアに愛をちかい、ふたりはしあわせな結婚をしました。


そして勇者さまは、つぎの世界をたすけるために、そっと元の世界へと帰っていきました。


「わたしは、ただのふつうの人間ですから」

そう言いのこして。


かのじょのなまえは――


ナノル・ホドノ・モノ・デ・ナディア。


どんぐりの瞳をもつ、まるくて、ひらべったい、とってもすごい勇者さまなのです。


◆◆◆


この世界を去った、あなたへ。


言葉にするには、あまりにも遅くなってしまったけれど、私はあなたに伝えたいことがあります。


今、私は幸せに暮らしています。


本当なら、私の人生はもうとっくに終わっていたはずでした。あのときの私は、ただ、全てを終わらせることしか考えていませんでした。


でも、あなたが来てくれた。

あなたは私の代わりに戦ってくれた。

私の代わりに私を救ってくれた。

私は、何もできなかったのに。


私は、あなたのことを知りません。

あなたの生まれた世界のことも、あなたがどんな人生を送っていたのかも、私は何も知らないままでした。でも、それでも、たったひとつだけ確かなことがあります。


あなたは、私の命の恩人です。


どれだけ言葉を尽くしても、足りないくらいに。


私は、今、ちゃんと生きています。

悲しみに呑まれず、誰かの言葉に怯えることもなく、好きなものを好きだと、大切な人を大切だと、言えるようになりました。


あなたが守ってくれたこの人生を、私は大切にします。


そして、いつか。

もしまた会える日が来たなら、そのときは私の家族と、屋敷の皆と一緒に、夕食を囲みましょう。


あなたが、どこかで幸せに生きていますように。

あなたが、穏やかに笑えていますように。

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