表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

72/79

再び迷いの森へ

迷いの森の入り口は、ひっそりと静まり返っていた。


木々は高く生い茂り、絡み合う枝葉が空を覆い尽くしている。陽の光はほとんど届かず、薄暗い霧が足元を這うように漂っていた。


風はないのに、葉がざわりと揺れる。


道らしい道はなく、どこを見ても同じ景色が広がっている。見分けのつかない木々が無数に立ち並び、そのどれもが同じように歪み、ねじれている。


私はそっと息を吸い込む。

鼻腔を満たすのは、湿った土と草の匂い。けれど、それだけじゃない。

ここを越えれば、もう戻ることはない。


「……」


私はゆっくりと息を吐いた。


「勇者様、本当に……?」


エリオットの声が、微かに震えていた。


振り返ると、彼は私を真っ直ぐに見つめていた。その瞳には迷いと、不安と、わずかに残る別れの寂しさが滲んでいる。


「……本当に行くんですね。」


ミレイアも、どこか名残惜しそうに視線を落とした。


私は、そんな二人に笑ってみせる。


「うん。もう決めたことだから。」


迷いはない。


私には帰るべき場所がある。

だから、ここで立ち止まるわけにはいかない。


けれど。


やっぱり、寂しさがないわけじゃなかった。


たった10日の滞在だったけれど、2か月以上に感じられた。この世界で過ごした日々は、確かに私の人生の一部になっていた。


「……本当に大丈夫ですか?」


ミレイアが不安そうに尋ねる。


「ここは迷いの森……世界の理すら歪むと言う伝承があります。あなたは何か感じませんか?」


私は少し考えたあと、正直に答えることにした。


「……うん。まるで、富士の樹海みたいな場所だなって思った。」


「フジノジュカイ?」


エリオットが小さく眉をひそめる。


「日本にある森のひとつだよ。広くて、静かで、入ると方向感覚が狂うことで有名な場所。……ここも、きっとそう。」


だから、私は気を抜いたら帰れなくなるかもしれない。


そうならないために――私は、ゴミ箱の端をしっかりと握る。


「でもね、私は大丈夫。」


強く、はっきりと。


「ちゃんと道は見つけたから。」


「道?」


ミレイアが驚いたように聞き返す。


私は頷いた。


「……ほら、見て!」


指差した先――そこには、森の地面にくっきりと刻まれた二本の線が伸びていた。


「これは……?」


エリオットが目を細める。


「轍だよ。ゴミ箱が動いた跡。」


それを辿れば私は帰れる。

そう確信した瞬間、心の奥がふっと軽くなった。


「……帰れるんだ、本当に。」


言葉に出すと、それがより現実味を帯びる。


「でも……」


ミレイアが、私の手をそっと握る。


「私たちは、もう二度と……」


「また会えるかもしれないし、会えないかもしれない。」


私は、ミレイアの手を優しく握り返した。


「でも、覚えていてくれれば、それでいいんじゃない?」


たとえ世界が違っても。

たとえもう二度と会えなくても。


私は、ここで過ごした時間を決して忘れない。そして――


「それにね。」


私は笑ってみせる。


「…もしまた会えたら、その時は美味しい夕ご飯をご馳走してよ!」


「……ふふっ、わかりました。」


ミレイアが、涙をこらえるように微笑んだ。エリオットも静かに頷く。


「では、お気をつけて……」


彼は深く頭を下げた。


私はもう一度、二人の顔を見た。

そして、ゴミ箱を押して森の中へと足を踏み入れた。


轍を辿りながら、私は小さく呟く。


「……さあ、一緒に帰ろうか。」


この森から始まった旅の終わりが、もうすぐそこに見えていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ