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悪女の、取り返しのつかない逃走劇

朝食を終えた私は、紅茶の余韻を楽しみながら席を立った。ブランフォード家の料理は最高だったし、エリオットとミレイアの新婚オーラも微笑ましかったけれど、もうそろそろ私は帰らなければならない。


「申し訳ないけど、私とゴミ箱を迷いの森まで送ってもらえないかな?」


思い立ったが吉日。私がそう切り出すと、アルフレッドは勿論ですと頷いた。馬車の準備が整えば、すぐに出発できるだろう。


そんな折、屋敷の扉が慌ただしく開かれる音が響いた。


「緊急の護衛という方々が到着しました!」


駆け込んできたメイドの声に、私は思わず首を傾げた。


護衛? 何かあったのだろうか。


やがて、グリフィーネ家やアッシュフォード家の騎士たちが、朝の静けさを打ち破るように玄関ホールへと足を踏み入れる。総勢十数名。彼らは甲冑の隙間から汗をにじませ、どこか慌ただしい気配を纏っていた。


「どうしましたか?」


アルフレッドが問いかけると、一人の騎士が息を整えながら答えた。


「ジュリアが……逃げました……!」


「……え?」


その言葉に、場が凍りつく。


静かな怒りを孕んだ声。騎士の一人が唇を引き結び、報告を続けた。


「馬車での移送中、ジュリア・ロスナーは仮病を装ったのです。体調不良を訴え、苦しみ悶えて喉を掻きむしった為、毒でも飲んだのかと御者が対応しようとしたところ――」


騎士が一度、言葉を切る。

喉を鳴らし息を整える。


「……隠し持っていたナイフで、彼の腹を刺しました。」


「っ……!」


息を呑む音が、玄関ホールの至るところから聞こえた。


「ジュリアは御者を刺した後、馬を奪い逃走しました。現場にいた衛兵が止めようとしましたが……逃亡を阻止するには至りませんでした。」


言い終えた騎士の声には、わずかな悔しさが滲んでいた。

心配そうにエリオットは尋ねた。


「役人の方の安否は?」


「……先程、死亡が確認されました。」


静寂。


今度こそ、本当の静寂だった。

誰もが言葉を失っていた。


ミレイアは小さく息を呑み、エリオットは拳を強く握りしめる。アルフレッドの眉間には深い皺が刻まれ、屋敷の使用人たちも動揺を隠せない。


「……そうでしたか。」


それだけを絞り出すように呟いたエリオットの声は、低く、重く響いた。


「――だから、両家は護衛を派遣してくれたのですね。」


騎士が言葉を続ける。


「ジュリアの狙いは定かではありませんが、移送中に顛末を盗み聞きし、自分を追い詰めた異世界の方を逆恨みしている可能性が高いです。ブランフォード家の皆様も、危険に巻き込まれる事態を考慮して我々は馳せ参じました。」


私は自分の指先にぎゅっと力を込めた。


ジュリア。


彼女はまだ、何かを企んでいるのか。それとも、ただ生き延びるために逃げたのか。


どちらにせよ――


「……やっぱり、あの時見た光景は、そうだったのか……」


私の小さな呟きだけが、静まり返ったホールに淡く落ちた。騎士たちの視線が一斉にこちらに集まる。


「安全が確保されるまで、しばらく屋敷に逗留されては?」


そう提案されたのは、至極当然のことだった。何せ、ジュリアは今もどこかを逃走している。まだ捕まっていない以上、どこかで出くわす可能性は十分にあるのだ。


けれど、私は小さく息をついて首を振った。


「いや、馬車の準備ができたらすぐに出発するよ。」


「ですが――」


「駄目です!」


真っ先に声を上げたのはミレイアだった。

彼女にしては驚くほど強い口調だった。


「そんな危険な状態で外を出歩くなんて……あまりにも無謀です!」


エリオットも真剣な表情で頷く。


「ジュリアの所在が不明なままでは、貴女を外へ出すことなどできません。せめて、もう少し安全が確認されるまで……」


騎士たちも口々に同意する。


私は彼らの心配がありがたくて、けれど、少しだけ申し訳なく思いながら、ゆっくりと視線を上げた。


「……大丈夫だよ。ジュリアは、もうどこにも行けない。」


そう告げると、場が静まり返る。

私の言葉の意味を測りかねているのだろう。


沈黙の中、私は小さく息を吸った。


「――私は、見たんだ。」


ゴミ箱の中で。

あの、赤い恐ろしい空間で。


「彼女はあそこにいた。」


不気味な赤い空に、逆さ吊りにされていた人形のような幽鬼たち。巨大な目玉がこちらを睨む、あの異形の場所に。


「あそこがどこなのかは分からない。でも、確信があるんだ。……ジュリアはもう、地獄に堕ちたんだって。」

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