みんなで帰ろう
先程まで満ちていた熱気や祝福のざわめきはどこへやら、今はただ、静かな光だけが落ちている。シャンデリアの揺らめく灯りが、まるで時間の流れすら緩やかにするかのように、優しく大理石の床に反射していた。
「おーい、そろそろ帰るよ!戻っておいで!」
呼びかけた声は、空しく大広間に吸い込まれていく。
あれ?おかしいな。
私はもう一度、いつも通りの調子で呼ぶ。
それでも、銀色の相棒はぴくりとも動かない。
違和感が胸の奥をざわつかせる。
まるで、そこにあるのに、もうそこにいないような。
私はゆっくりとゴミ箱へと歩み寄り、覗き込んだ。
綺麗に磨かれた銀色のボディはそのままだ。
異世界を共に駆け抜けた姿が、そこにある。
――なのに、動かない。
私は手を伸ばし、そっと触れてみる。
ひんやりとした金属の感触。
心なしか、いつもより静かすぎる気がした。
そう、今までどんな時も、このゴミ箱は僅かにでも動いていた。
微かな機械音、待機状態の点滅、音声応答の小さな電子音――それらが今は、何一つとして感じられない。
まるで長い仕事を終え、深い眠りに落ちたようだった。
「……そっか。」
私の声は自然と小さくなる。
気づいてしまった。
充電が、切れている。
このゴミ箱は、本当に最後の最後まで働き続けて、私たちを見届けて、今、力尽きたのだ。
胸がぎゅっと締め付けられる。
当たり前のように動いていたゴミ箱。
私の指示に必ず応えてくれたゴミ箱。
私と一緒に異世界に転移して、そして今日まで共にいた存在。
「……ねえ。」
指先でそっとボディを撫でる。
この滑らかな金属の質感を、忘れないように。
「本当に、よく頑張ったね。」
静かに心を込めて告げた。
返事はない。でも、わかる。
このゴミ箱がどれほど尽くしてくれたか、私は知っている。
どんな状況でも、ただ機能として働くのではなく、まるで「ここにいるよ」と言わんばかりに、私の傍にいてくれた。
「ありがとう。」
そう言葉にすると、なぜか少し、涙が滲みそうになった。
だって、私はここまでやってこられた。
異世界で、戦い、守り、救い、そして――ちゃんと不幸な物語を終わらせることができた。
それは間違いなく、このゴミ箱のおかげだ。
「……少しだけ、休んでてね。」
囁くように言って、私はそっとゴミ箱を抱きしめる。今はただ、労うように感謝を込めて、静かに寄り添いたかった。
「どうされましたか?」
ミレイアの柔らかな声が、そっと私の意識を引き戻す。
「何かあったのでしょうか?」
エリオットも心配そうに歩み寄ってくる。
私は肩越しに二人の姿を捉えながら、微かに笑って首を振った。
「……何でもないよ。」
静かにそう言って微笑む。
大丈夫、平気、気にしないで。そう伝えたかった。でも、自分の中の何かが引っかかっていて、思ったよりもうまく笑えていない気がした。
心配そうな表情を見せたミレイアは、それ以上は何も言わなかった。エリオットも、何かを察したのか静かに佇んでいる。
視線を落とす。
そこにあるのは、ただのゴミ箱。
銀色のボディはもう動かない。機械としての役目を果たし終えたかのように、そこに静かに佇んでいる。
私はそっとゴミ箱を撫でた。
「この子も、連れて帰るよ。」
当然のようにそう言うと、エリオットが少しだけ目を瞬かせた。
「……運びましょう。」
すぐにそう申し出た彼に、私は少しだけ微笑む。
頼りになるなあ。まるで執事みたいだ。
エリオットは無言のままゴミ箱の持ち手をしっかりと掴み、そのまま軽々と持ち上げる。流石は鍛え抜かれた騎士、その腕力は申し分ない。
「頼もしいなあ、エリオットは。」
思わず口にすると、彼は少しだけ視線を伏せ、けれどすぐに真っ直ぐ私を見た。
「当然のことです。」
「ふふ、じゃあ安心して任せるね。」
「……本当に大切なものなのですね。」
「…そうだよ。だって、私と一緒に異世界にきた相棒だからね。」
そう言うと、隣でミレイアが微かに微笑んだ。
「では、一緒に帰りましょう。」
私は彼女を見つめた。
かつて失われたものが、ようやく戻った。
その事実が何より嬉しかった。
夜の静寂の中、私たちは歩き出す。
ブランフォード家へ。
私たちの帰るべき場所へ。




