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ただいま、おかえり、おめでとう!

レオンを締め上げて気が済んだ私は、ふぅっと深呼吸をして気持ちを切り替えた。

さて、次にするべきことは――


「お待ちください!ぜひ、お礼を…お礼を言わせてください…!」


――ミレイアは、まっすぐに私へ駆け寄った。


紅潮した頬、乾きかけた唇。

だが、その瞳は涙を湛えながらも、しっかりとした強さを持っていた。


驚き、戸惑い、安堵、そして――言葉にならない感情。それらが重なり合い、波のように押し寄せてくるのが、見ているだけで伝わってくる。


「ありがとう……」


その一言に、胸の奥がぎゅっと締めつけられる。

こんなにも震えた声で、こんなにも純粋に誰かに感謝を伝えられることがあるだろうか。


私は微笑むしかなかった。

たぶん、何かもっと気の利いたことを言うべきなのかもしれない。でも、今の彼女の前では、そんな言葉はただの飾りにしかならない気がした。


「本当に……ありがとうございました……!」


私は、ふっと微笑んだ。


「そんなの当然でしょ!私はあなたの代わりにここにいたんだから。」


冗談めかして言ったつもりだった。

けれど、ミレイアの表情は崩れなかった。


「あなたじゃなければ、私は戻ってこられなかった。」


彼女の手に力がこもる。

指が、私の手をぎゅっと握りしめた。


「……あなたが私のために命をかけてくれたこと、私は絶対に忘れないわ…!」


――そう。


私が伝えなければならないことは、まだ残っている。


私はそっと彼女の手を包み込み、できるだけ優しく、静かに言葉を紡いだ。


「ロープが千切れそうになった時、ご両親が助けに来てくれたよ。」


ミレイアの瞳が大きく見開かれた。


「え……?」


声がわずかに震える。

信じられない、そんなはずはない――

彼女の表情には、理解しきれない感情が色濃く浮かんでいた。


「あなたを支えた手……あれは、あなたのご両親だったのよ。」


その言葉が届いた瞬間、ミレイアの唇が小さく開いた。けれど、何も言えないまま、彼女はただそこに立ち尽くした。


その事実を言葉にすることで、私の中でも何かが確信へと変わる。あの手の温かさ、あの力強さ、あの迷いのない動き。

それはただの偶然や奇跡ではなく、確かにミレイアを守るためのものだった。


「最後の最後まで、あなたを守ってくれた。」


私がそう告げると、ミレイアの肩がかすかに震えた。指がぎゅっと胸元を握りしめる。


「……お父様と……お母様が……?」


掠れた声が、まるで風にさらわれるように微かに響く。その瞬間――ミレイアは崩れ落ちた。


膝をつき、両手で顔を覆い、嗚咽を堪えようと震える。最初は微かな揺れだった肩が、次第に大きく震え始める。


「う……っ……あぁ……っ…」


涙が、ぽたりと落ちる音が聞こえた。

彼女の手の隙間から零れ落ちる涙が、次々と床に滲んでいく。


「お父様……お母様……!」


震える唇が、何度もその言葉を繰り返す。

まるで遠い誰かに届くことを願うように。


私はそっと彼女の背中に手を置いた。

細く、かすかに震える肩。

その震えが、泣き止むことを許されないほどに深い悲しみを抱えていることを物語っていた。


「おかえりなさい、ミレイア。」


そっとそう囁くと、ミレイアは涙に濡れたまま、何度も何度も頷いた。

「ただいま」と伝えようとするように。


私は静かにエリオットを見つめた。

ミレイアが戻ってきた今、彼は今後どうするつもりなのか――それを、彼自身の言葉で聞きたかった。


「エリオット。」


名前を呼ぶと、彼は一瞬私の方を向いた。

私の姿をしたミレイアを見つめたまま、その瞳は決して揺らがなかった。


「あなたの気持ちを聞かせて。」


静かに問いかける。

大広間の空気はどこか張り詰めていて、誰もがその瞬間を待っているようだった。


私は知っている。

エリオットがどれだけミレイアを想っていたかを。

彼が、どれだけ苦しみ、どれだけ悔いていたかを。


だからこそ、今、彼自身の言葉で、その想いを告げるべきなのだ。


エリオットは深く息を吸い込んだ。

その視線は一切迷いがなく、ただ真っ直ぐに私の姿をしたミレイアを見つめる。


「私は……」


静かに、しかし力強く言葉を紡ぐ。


「――ミレイア様のことを、心から愛しています。」


空気が震えるようだった。

その言葉は決して飾りではなく、彼の全てだった。


「どんな姿であろうと、どんな時も、私はミレイア様の側にいたい。貴族と騎士という立場に縛られることなく、ただひとりの人間として、あなたを愛しています。」


彼の声は確かで決して揺るがない。これまでの全ての苦悩も、後悔も、覚悟も、その言葉に込められているのが分かった。


彼はゆっくりと、ミレイアへと近づく。

私の姿をした彼女は、驚きに目を見開いたままただ彼を見つめている。


エリオットはゆっくりと跪いた。


「ミレイア様。」


その声は、震えるほど優しくて、そして誠実だった。


「私と結婚して下さい。」


――静寂が広がる。


大広間の空気が止まったかのようだった。

誰もが息を呑み、誰もがこの瞬間を見守っている。


「……私が、伯爵令嬢じゃなくてもいいの?」


ミレイアの声はかすかに震えていた。それが喜びの震えなのか、不安の震えなのか、私には正確には分からない。ただ、彼女がずっと抱えていた問いが、今ようやく言葉になったのだと感じた。


エリオットはまっすぐにミレイアを見つめる。彼の瞳には、迷いなど微塵もない。いや、むしろ、ここまで確信に満ちた目を向けられたら、どんな人間だって照れてしまうのではないだろうか。

少なくとも私は、第三者の立場でも少し気恥ずかしくなった。


「はい。貴族でなくても、私はあなたが好きです。」


そして、彼は微笑む。


何というか、もう、完璧な求婚の言葉だった。まるで童話のワンシーンみたいに美しくて、絵画のように整った構図。それなのに、それが全くの演技ではなく、心の底からの言葉だと伝わってくるのが、エリオットの誠実さたる所以なのだろう。


「むしろ、これで問題なく結婚できますね!」


彼は、柔らかく、だけどしっかりとした声でそう言った。


「…嬉しい、夢みたい…!私は、あなたと、エリオットと結婚します…!!」


私はそっと目を細めて、彼らを見つめた。

この瞬間を私はただ祝福したかった。

彼らが再び巡り合えたことを、心から喜びたかった。


彼女がずっと求めていたものが、ここにある。

彼女がずっと愛し続けた人が、変わらぬ想いを持って、今もここにいる。


自然と笑顔が溢れた。


「二人とも、おめでとう!!」


そう静かに告げると、ふわりと暖かな風が吹いた。

それはまるで、誰かがそっと祝福を囁くような、優しい風だった。

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