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あなたは、ゴミなんかじゃない

ゴミ箱の中を降下する。


私はロープを握りしめながら、ゆっくりと落ちていった。いや、落ちているはずだった。


上下の感覚が狂う。


最初に気づいたのは、それだった。どこまで降りたのかも分からない。頭を下げたままのつもりが、気づけば真上を見上げている。なのに、落ちている感覚はない。むしろ、浮かんでいるような錯覚すらある。


「……」


息を呑んだ。


視界が反転したように、一瞬真っ赤な空が広がる。

茜色より濃い血のような空。

雲はなく、ただ焼け爛れたような赤が、どこまでも広がっている。


そして――大きな黒い木が、そこにあった。


異常に大きい。

森の中にあるような大木ではなく、まるで世界を支える柱のような威容を持つ、黒一色の木。

葉は一枚もなく、ねじれた幹がどこまでも伸びている。根が空に向かい枝が地面に向かっているのかもしれない。上下が崩壊した空間では、それすら定かではなかった。


そして、その木の根元には――道があった。


細い、狭い、先の見えない一本道。

そこを何者かが歩いている。


ロープを握る手に力が入る。


目を凝らすと見える、ぼんやりとした影。しかしそれはただの影ではなかった。


手首を赤い縄で縛られた女性。


痩せ細った肩、伏せられた顔。

裸足の足が、乾いた道を音もなく進んでいる。列をなしている。

いくつもの影が、同じように縛られ、黙々と歩いていた。延々と、どこまでも。

まるで抜け出せない迷路に閉じ込められた亡者のように。


何だ、これは。


「……ミレイア?」


喉が震える。


呼びかけた声は、自分の耳にも届かないほど小さかった。それでも影の一つがわずかに顔を上げた気がした。


「っ……!」


私の胸が、強く脈打った。

冷たい汗が背を流れる。


私はロープを更にきつく握り直し、息を吐いた。


ロープを握る手がじっとりと湿っている。汗なのか、冷えた空気が皮膚に張り付いているのかも分からない。赤い空、黒い木、果てのない道。幽鬼のように歩く影たち。そのどれもが、この世界の一部でありながら、私とは違う次元に存在しているように感じた。


――ミレイアはいない。


確信めいた思いが胸を打った。


彼女はここにはいない。この道を歩いているはずがない。だって、ミレイアは――そんな場所に囚われるような人ではない。


それならば、もっと深く。


私はロープをきつく握り、足を更に下へと向けた。息を詰め重力のない闇の中を漂うように進む。


降りる、降りる、降りる。


どこまで落ちればいい?


どこまで行けば、彼女に辿り着ける?


「……っ!」


視界が、弾けた。


落ちていたはずなのに、突然、足元に「地面」が現れた。私の意識がそれを捉えるよりも早く、身体が重力に引かれる。次の瞬間ざくりと草を踏む感覚。


――森だ!


風が吹いていた。


赤黒い世界は消え去り、木々が生い茂る森の光景が広がっていた。木漏れ日が葉の隙間から差し込む。風が枝葉を揺らし、鳥のさえずりが微かに響いている。


私が最初に転移した森。


何故だろう、思わず息を呑んだ。


見慣れた景色なのに、初めて訪れた場所のような違和感があった。まるで私がいるべきでない場所に、再び降り立ってしまったような。


「……どうやって探そう?」


視線を巡らせる。森は広い、どこを探せばいい?手がかりは?足跡?そんなものが都合よく――


目の端に映る、一本の軌跡。


――轍だ。


馬車ではない大きさの幅で――私が知る限りこの異世界には存在しないはずの、人工的な車輪の跡。


「……これがあったか……」


知らず、唇が震えた。


ゴミ箱。私の開発した自走式ゴミ箱の轍が、森の地面を掻き分け一直線に伸びている。私が最初に異世界へと転生した場所、きっとそこに彼女はいる。


私は迷わずその軌跡を追い始めた。

森はどこまでも深く、静寂が支配していた。


――轍の先にあったのは、森の木の根元にうずくまる小さな黒い塊だった。

 

それは、生き物のように震えながら空間に同化しようとしているかのようだった。

いや、生き物というよりは、もっと不確かな何か。影のようで、霧のようで、けれど確かに、そこに 「いる」 のがわかった。


――ミレイアだ。


根拠はない。ただ、そうとしか思えなかった。私はミレイアを探していた。このゴミ箱の中にいるはずだと確信して、降りてきた。

その先に、こんなにも小さく、こんなにも消え入りそうな姿があるなら――それは、彼女に違いない。


「タチバヲワキマエタラ、ゴミラシク。」

「ホントウニウットオシイ。」

「ホントウハキライダッタノヨ、ミンナアンタガキライ、……」


低く、歪んだ声が、反響するように響いていた。

繰り返し、繰り返し、途切れなく。

 

それはまるで、針の飛んだレコードのように、呪いのように、決めつけるように、彼女に貼りついた言葉。


――こんな言葉をずっと聞かされていたの?


私は一歩踏み出した。

黒い塊は、まるでそれを拒むように、わずかに後ずさる。でも、逃がすつもりはない。私はこのためにここへ来たのだ。


だから迷わず腕を伸ばし、抱きしめた。


「そんなことないよ。」


固く、ぎゅっと、壊れないように、けれど決して離さないように。

腕の中の影が抗うように震えた。

それは、もしかしたら否定なのかもしれない。あるいは、この言葉を信じるのが怖いだけなのかもしれない。


「絶対に、そんなことない。」


私の中に湧き上がる想いはただひとつ。

こんな場所にひとりで、ずっとそんな言葉に絡め取られて、うずくまるしかなかったミレイアを私は見つけた。


だから絶対に離さない。


「あなたは、ゴミなんかじゃない。」


腕の中の黒い影が、ふるふると震える。

ぎゅっと抱きしめたまま私は気づいた。頬に温かいものが伝っている。


――それは、涙だった。


この涙は私のものなのか、ミレイアのものなのか。それとも、この場所に押し込められていた、すべての哀しみのものなのか。


もう大丈夫だよ。

私があなたを連れて帰るから。

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