彼女はここにいる
ロープが運び込まれる音がする。
人の声が飛び交い、足音が廊下を満たす。
アッシュフォード家の協力によって、人手が集められているのだと理解しながら、私はゴミ箱を見た。
仮説は幾つも浮かんでいた。
私がここに来た理由。
ミレイアの行方。
ゴミ箱の異常な挙動。
だが、そのどれもが決定打に欠けていた。
まるでパズルのピースが微妙に噛み合わないように、どこかが必ず抜け落ちている。不完全な仮説を積み重ねたところで、確信には至らない。
きっかけは決戦前夜、夜の闇の中で微かに光っていたゴミ箱だった。
――あれ?
これは試作機のはずだ、改良版ではない。
ならばなぜ光る?
私が設計したゴミ箱には、人感センサーがまだついていなかった。それは次世代モデルに搭載予定の機能で、試作機には実装されていないはず。
疑問は次々と繋がっていく。
庭のガゼボで電源を切っていたはずなのに、本体が温かくなっていたこと。音声登録が私なのに、ミレイアの声で反応したこと。
どれも単独では「異常な動作」以上の意味を持たなかった。
――けれど、今になってすべてが一本の線になる。
それはずっと私に問いかけていたのだ。
何故、気づかなかった?こんなにも分かりやすいヒントが目の前にあったのに。
「――ここね。」
言葉が、驚くほど自然に口をついて出た。
私はそっと手を伸ばし、ゴミ箱の表面を撫でる。冷たい金属の感触の下にほんのりとした温もりを感じた。まるで、誰かがそこに宿っているかのように。
「ミレイア……あなたは、ここにいるんでしょう?」
確信が胸を満たす。
バラバラだった仮説のピースが、ようやく一つに繋がった瞬間だった。
「本当に、貴女が行くしかないのですか?」
アッシュフォード伯爵の低い声が、広間に響く。彼の視線には強い懸念があり、冷静に見えるその顔の奥に、微かに焦燥の色が見えた。
「…そんなこと、させられるわけがありません!」
エリオットの声は鋭く、そしていつになく感情的だった。彼の拳は強く握りしめられ、今にも私の肩を掴まんばかりの勢いだ。
「私が行きます!どう考えても、そのほうが――」
「……多分、それじゃ繋がらないのよ。」
私が静かにそう言うと、その場の空気が凍りついたようになった。
アッシュフォード伯爵も、カトリーヌも、そしてエリオットも、言葉を失ったように私を見つめる。
「それは、どういう意味ですか?」
「ミレイアと私は入れ替わったの。つまり、二人は対になっているのよ。このゴミ箱は、私の声にしか反応しない……だから別人が行っても彼女は見つけられない。その意味、分かるでしょ?」
私は静かにゴミ箱を見つめる。
銀色のボディは何も語らない。けれど、確信はある。
「私が行かなくちゃいけないのよ。」
「……そんな……」
カトリーヌが口元に手を当て、息を呑む。
伯爵も言葉を失っている。
エリオットはなおも何か言おうとしたが、私の真剣な眼差しを見て、唇を噛みしめた。
「それでも……それでも、貴女が戻ってこられなかったら――」
「まさか!絶対帰ってくるってば。主役の居ないパーティーって寂しくない?」
私は小さく笑った。
軽い冗談のつもりだったけれど、誰も笑わなかった。
「……万が一のことがあったら、必ず助けに行きます!!!」
エリオットは、そう言って私を真っ直ぐに見つめた。その瞳の中には、計り知れないほどの決意が宿っている。
「ありがとう、心強いわ。」
そう答えた瞬間、ふいに足音が近づいてきた。大広間の奥から歩いてきたのは、私が証拠をお願いした司祭だった。彼は神聖な衣を纏い、落ち着いた表情で自らの胸に手を当てた。
「…どうか、ミレイア様と貴方様に神のご加護と祝福を…!」
静かに、しかし力強く、司祭は祈りを捧げる。
「ありがとう!マシマシでお願いね!」
私は一度深く息を吸い込み、ゴミ箱の蓋に手を添えた。
金属の冷たさが指先に伝わる。いや、ただの冷たさじゃない。妙な静けさを孕んでいる気がする。まるで、蓋の向こう側が全く別の世界であることを告げているような――そんな、不吉な予感。
ゴクリ、と喉が鳴った。
――開けるしかない。
覚悟を決めて、ゆっくりと蓋を持ち上げた瞬間、視界が揺らいだ。
――深い。
いや、深い、なんて軽々しく言えるものじゃない。
底が、ない?
銀色のボディの中には、確かに収まっているだけの空間があるはずなのに。覗き込んだ先には、ただただ、暗闇が広がっている。
私は、吸い込まれるように目を凝らした。
どれだけ見つめても、奥行きが測れない。
暗闇の中で何かが蠢いている気配さえする。いや、そんなはずはない。ただの機械、ただのゴミ箱――それなのに、確かにここには「何か」がある。
背筋がゾクリとした。
「……っ」
思わず後ずさろうとした足を、ぎりぎりで踏みとどまる。
ダメだ、怯えてどうする。これは私が設計したゴミ箱。その内部構造を一番知っているのは、他ならぬ私。こんなもので怖がるわけにはいかない。
気を落ち着けるために、ゴミ箱の縁を指でトントンと叩いた。
――音が、しない。
嫌な汗が背中を伝った。
そんなはずはない。金属を叩けば音が鳴るのは当然だ。なのに、この中には、まるで「音すら吸い込む闇」があるみたいに、何の反響もない。
私の鼓動が、大広間の静寂の中で異様に大きく響いている気がした。
「……ロープを巻いて。」
震えそうになる声を抑え、指示を出す。
すぐに、エリオットとアルフレッドが動いた。丈夫なロープが腰に巻かれ、ギュッと結ばれる感触がある。
手首にも軽く巻きつけ、何度か試すように引っ張ってみた――よし、大丈夫。
この中に、ミレイアがいる。
私はこの異世界で彼女の代わりに生きていた。でも、本当の彼女は――ずっと、この中に囚われていたのだ。
「彼女を見つけたら、合図として3回引っ張るから吊り上げて。」
ロープを握るエリオットの指が、白くなるほど強く握り締められるのが見えた。
彼の目は鋭く、張り詰めた色を宿している。
「……本当に、行くのですね?」
「当然。」
迷いはない。
怖くないわけじゃないけど、これが私にしかできないことなら、やるしかない。
私はもう一度、底の見えない闇を見下ろす。奥底から何かがこちらを見返しているような気がした。
――待ってて、ミレイア。
そうして私は、ゴミ箱の中へ飛び込んだ。




