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日記

静かに日記が開かれると空気が張り詰め、息を潜める貴族たちの視線が、皮の表紙の向こう側にある”真実”へと集中していくのがわかった。


ページをめくる音が、異様なほど大きく響く。


「これは……」


役人の目が泳ぐ。顔をしかめ、目を何度も瞬かせながら、その内容を確認している。


彼は、一度伯爵を見上げ、それから静かに日記を読み上げ始めた。


「ジュリア嬢を紹介された日、彼女の可哀想な身の上を聞いた。あまりにも境遇が悲惨で、放ってはおけなかった」


最初は慈悲心だったのだろう。日記の筆致はそう語っていた。


「相談に乗るうちに、彼女に『好きです』と言われた。歳が離れているので戸惑ったが……」


伯爵の顔が蒼白になっていく。いや、すでに血の気が引いている。大広間にいた貴族たちは困惑の表情を浮かべ、お互いの顔を見合わせていた。


「彼女は、私と過ごす時間を愛おしいと言ってくれた。別れ際には今度いつ会えるのかを聞かれ、久しく忘れていた青春時代の甘酸っぱい思い出が蘇った。」


……なるほど。

私のいた時代にも、こういう詐欺があったな。


異性をターゲットにして寂しさにつけこみ、恋愛感情という名の蜜をほんの少し与えて、その見返りに多くを奪う――あれと全く同じじゃないか。


「何かあったら言ってね、私はロベルトの為なら何でもするわ。と真剣な眼差しで見つめられた。彼女の言葉に、心の何処かが救われたような気持ちになった。こんなにも純粋に私を慕ってくれる者がいるとは……」


まるで初恋のような錯覚。

長く生きてきた人間に訪れる、このままで良いのかという人生の一瞬の弱さ。


「ジュリアは私と一緒になりたいと涙を流した――私は、彼女の言葉に揺れた。これは、最後の恋かもしれない。しかし私は既婚者だ。せめて、彼女が幸せになれるよう守ってやりたい」


日記を聞いていた貴族たちは衝撃を受けていた。それもそうだろう。

これは単なる「浪費癖のある令嬢の問題」ではなく、アッシュフォード家そのものの名誉に関わる事態なのだから。


「……! 違うのです! これは、違うのですわ! わ、私は……! お義父様に……無理矢理迫られて……!」


彼女の声は上擦り、悲鳴じみた言葉が放たれる。


「私は、断ったのに……! でも、お義父様が……っ!」


「……へえ。」


私はゆっくりと声を漏らした。

そして、ジュリアに向かって歩を進める。


「あなたはこう言いたいのね?――伯爵が迫ってきた。ちゃんと断ったのに、襲われそうになった。」


「そ、そうよ……」


ジュリアは震える声で答えようとするが、私はその言葉を遮るように言い放つ。


「――じゃあ、なんでこの日記に『好きですと言われた』だの『一緒に過ごす時間が愛おしいと言ってくれた』なんて書いてあるの?」


ジュリアが目を見開く。


「襲われた相手を、名前呼びして見つめる?」


私は静かに問いかける。


「『ロベルトの為なら何でもするわ』だの、『一緒になりたい』だの…既婚者である伯爵に迫って、自分の良いように使っていたのは、他でもないあなたよ。」


ジュリアの口が開いたが、声にならなかった。


彼女の背後にいた貴族たちの視線が、一斉に冷たくなる。


「そ、そ…れは……」


ジュリアは何かを言おうとするが、言葉が出てこない。


それもそうだ。

彼女が今しがた放った嘘は、日記によって完全に矛盾していたのだから。


広間の静寂が、まるで刃物のように肌を切る。


私の視線はジュリアを捉えたまま。一歩ずつ歩を進める。彼女は、もう取り繕う余裕すらないのか、青ざめた顔でただ私を見返していた。


「あなたの言葉を信用する人間は、ここには一人もいないわ。」


淡々と告げる。


貴族たちは互いに顔を見合わせ、誰もが「そうだ」と言わんばかりの表情を浮かべていた。ジュリアはぎゅっと拳を握りしめ、唇を噛みしめている。


「あなたの甘言で、どれだけの人が傷ついたと思っているの?」


アッシュフォード夫人、その子供たち――そして、記憶の中のミレイアを想う。


「あなたはずっと嘘をつき続けてきた。そのたびに、誰かが涙を流し、誰かが信頼を失った。あなたが何かを得るたびに、誰かが何かを奪われてきた。」


私の声は静かだ。でも、その静けさが、この場にいる全員に重く響く。


「自分が追い詰められたら、その度に切り札として”被害者”を演じようとする。あなたは、誰かを犠牲にしなければ生きていけないのね。」


ジュリアの顔が歪む。


「でも、もう終わりよ。」


私の言葉に、ジュリアの表情が凍る。


「――あなたはもう、誰の庇護も受けられない。」

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