信頼できる人と、ゴミ箱と
豪奢なシャンデリアが輝く大広間は、いつもなら優雅な社交の場であるはずだった。しかし、今、その場には重苦しい沈黙と緊迫した空気が漂っていた。
深紅のカーペットが足音を吸い込み、燭台の明かりが壁に揺らめく影を落としている。視線を交わし合う貴族たちは、誰もが言葉を飲み込み、ただ成り行きを見守ることしかできなかった。
「――何故奥方を信じないのですか!」
鋭い声が響く。
それは、エリオットの怒りの声だった。
伯爵の真正面に立ち塞がり、拳を握りしめる。普段は冷静沈着な彼が、こんなにも感情を剥き出しにするのは初めて見たかもしれない。
「奥方がどれほど貴方を支えてこられたか……!貴方の傍らにあり続けたのは、他ならぬ夫人なのですよ!」
彼の言葉は、ここにいる誰もが薄々感じていたことを鋭く突いた。
――本当に、夫人がそんなことをするだろうか?
――ジュリア嬢の言葉だけで、夫人を責めるのは筋違いでは?
そんな疑問が、さざ波のように広まる。
伯爵は、妻の泣き顔を見つめていた。
いつも凛とした態度を崩さない妻が、ただ静かに涙をこぼしている。それが彼には信じられなかったのだろう。戸惑いの色が、その威厳ある顔を曇らせる。
令嬢と令息は夫人を庇い、その光景はまるで、一家の崩壊を象徴するかのようだった。
――けれど、それを眺めている時間はない。
私は、スカートに忍ばせていた日記を取り出した。革表紙が指先に馴染む。その重みが、これまでの全てを覆す気がした。
私は静かにゴミ箱の天面をそっと撫でる。
「ねえ、あなたも戦ってくれる?」
「ピッ。」
短く響く電子音。
まるで、「もちろんだよ」とでも言いたげな、頼もしい相棒の返事だった。
もう、これ以上、夫人を傷つける言葉なんて聞きたくない。
その瞬間、私は駆け出していた。
ドレスの裾が翻り、靴音が大理石の床に響く。背後では、ざわめきが巻き起こる。けれど、私は振り返らない。ただ一直線に、役人の元へ向かう。
「何を持って…日記?ふふ、私はそんなのつけないわよ!」
背後から聞こえる、軽やかな声。
ジュリアだった。
得意満面の顔が目に浮かぶ。まるで「あなたの切り札は無駄だ」と言わんばかりの調子だ。
――それを聞いて、私は微笑む。
「知ってるわ。」
振り返らずに、言葉を返す。
背後でジュリアの表情が変わるのを感じた。
「待て!」
今度は伯爵の声だ。彼の焦燥が滲んだその一言に、空気が揺れる。
足音が追ってくる。彼が動いたのだ。
けれど、私は止まらない。走り続ける。
――そして。
「伯爵!」
エリオットの声が響く。
彼が伯爵の前に回り込み、手を大きく広げた。必死の表情で、彼は叫ぶ。
「今度こそ、ミレイア様をお守りします!」
その言葉に、伯爵が足を止めるのが分かった。エリオットの真っ直ぐな視線が、伯爵の迷いを突き刺す。
――その刹那、銀色の影が一直線に向かっていった。
「なっ――!?」
衝撃と共に伯爵の体がぐらりと傾き、驚いたように後ろへと倒れ込む。
貴族たちが驚きの声を上げる。
脇から突進してきた自走式ゴミ箱が、伯爵に激突したのだ。
堂々たる銀色のフォルム。
誇り高く、静かに光るボディ。
そして、何よりも――
「味方のために戦う」意思を持った、最高の相棒。
「ピッ。」
ゴミ箱は、まるで「やりましたよ」とでも言いたげに控えめに音を鳴らした。
「……いい仕事だったわ。」
私は日記をしっかりと抱きしめる。
目の前に立つのは、役人たち。
彼らは驚いたように目を見開き、私を見ている。その視線を一身に受けながら、私は日記を掲げた。
「この記録を、どうかご覧ください!内容を明らかにしてください!」
私は役人の手に、そっと日記を預けた。
重い沈黙が落ちる。役人が本を受け取るその瞬間、私は心の中でそっと呟く。
――さあ、全てが明らかになる時よ。




