涙の仮面と微笑みの策略
「お義父様、ごめんなさい!」
ジュリアの泣き声が大広間に響いた瞬間、私は思わずため息を飲み込んだ。
いや、予想通りとでも言おうか。
――ここで泣く。そう、彼女は泣くしかない。
責任を取る?謝罪する?そんな選択肢はジュリアの辞書には存在しない。
あるのはただ一つ、涙という名の最終兵器。
「勧められるまま、店でお金をよく見ずに買ってしまったの!」
ジュリアは頬を伝う涙を拭いもせずに、必死で弁解を続けた。
「見窄らしいと他のご令嬢に虐められてしまうから……。」
――ああ、その手を出したか。被害者ポジション、お得意のやつね。
私はじっとジュリアを見つめた。泣き崩れるその姿は、どこか滑稽ですらあった。涙で化粧が崩れ、もう誤魔化しきれない顔の歪みが露わになっている。
それでも彼女は懸命に涙を流し続ける。まるでその涙が、すべてを洗い流してくれると信じているかのように。
「ジュリア……。」
伯爵の声は、慰めるような優しさを含んでいた。それを聞いた瞬間、私は口元を引き締める。伯爵はゆっくりとジュリアに歩み寄り、その肩に手を置いた。
「…よく、正直に言ってくれたな。」
――やっぱりか。
伯爵はジュリアの涙を信じた。いや、信じたふりをしているのかもしれない。どちらにせよ、彼はこの場でジュリアを庇う道を選んだ。親として?それとも……別の感情から?まあ、どちらでもいいけど。
私は視線をジュリアから外し、広間の他の令嬢たちを見渡した。カトリーナ・ド・グリフィーネ公爵令嬢。彼女の顔がわなわなと震えているのが目に入る。
――まあ、今まで仲良くしておいて『虐められるから』はないよね。
カトリーナの拳は白くなるほど握り締められ、その唇はきつく結ばれていた。その目には怒りとも悔しさともつかない感情が渦巻いている。
周囲の令嬢たちも同様だった。彼女たちの視線は、ジュリアと伯爵に向けられたまま、しかしその感情の矛先は明らかだった。
ああ、もう一押し。
私は静かに歩みを進め、カトリーナの前に立った。その瞬間、彼女の瞳が私に向けられる。私は柔らかく微笑みながら、言葉を紡いだ。
「カトリーナ様。」
その名前を呼ぶと、彼女の目が一瞬揺れた。私はその隙を逃さない。
「――初めてお会いした時のことを、覚えていますか?」
令嬢たちは、静かに私たちを見守っている。
「社交界デビューの日、緊張していた私に、『分からないことがあったら聞いてもよろしくてよ』と声をかけてくださったのは、あなたでした。」
その瞬間、カトリーナが目を見開いたのを私は見逃さなかった。
「あなたのおかげで、私はあの日、少しだけ勇気を持つことができました。」
私はふっと微笑み、周囲の令嬢たちにも目を向けた。
「皆さまも、それぞれの形で私に温かく接してくださいました。今日、こうして再びお話できたこと、心から感謝しています。」
令嬢たちの顔に、微かな戸惑いと、そして少しの懐かしさが浮かぶのが見えた。カトリーナは、ふと視線を落とし、そして静かに口を開いた。
「……そうでした。そんな事もありましたね、どうして忘れてしまったのかしら……」
その一言が、令嬢たちの間に新たな空気をもたらした。皆が次々に頷き、私に向けて柔らかな笑顔を浮かべ始める。
照れくさそうにカトリーナは微笑んだ。
「ミレイア様。その、わたくし…少し勘違いをしていたかもしれませんわ。すべてが終わったら……また皆でお茶会をしましょう。」
その誘いに、私は少しだけ目を細め、微笑み返した。
「ええ、ぜひ。」
そう言いながら、私は心の中でほくそ笑んでいた。
――終わった後のことも、考えなくちゃね。『ミレイア』の人生は、これからも続くのだから。
目の前で繰り広げられる涙の茶番劇も、怒りに震える令嬢たちも、全てが私の掌の中で転がっている。この物語、もう結末は決まっているんだから。




