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静かな過去の記憶

ガゼボの白い柱に絡む蔦が、午後の陽射しを遮り、心地よい木陰を作り出している。その場所に腰を下ろしながら、私はゴミ箱を隣に置いた。


――少し、休憩。資料作りに没頭していたせいで、体も頭も重たい。


ゴミ箱はいつものように黙ってそこにある。頼もしい相棒、けれど今は少しだけその力を休ませる時間だ。


「お手入れするから、しばらく休んでてね。」


私はそう声をかけながら、ゴミ箱の電源スイッチに指を伸ばす。


「ピッ。」


小さな音がして、蓋の光がふっと消えた。まるで深い眠りに入ったかのような静けさが広がる。その姿を見つめながら、私はそっとフィルターの部分に手をかけた。


「さて……どれくらい汚れてるかな。」


ゴミ箱の中身を開けてみると、案の定、細かい埃や紙くずが詰まっている。それを一つ一つ取り除きながら、私は心を無にして作業を進める。


――こんな静かな時間、久しぶり。


庭に吹く風が頬を撫で、草木の匂いがほんのりと漂ってくる。時折聞こえる小鳥の声も、作業の合間に優しい音楽のように耳をくすぐる。


けれど、不思議なことに。


フィルターを外し、布で拭っているうちに、意識がだんだんと遠のいていく。


目を閉じるつもりはなかった。それでも、まるで何かに引き込まれるように、私はそのまま眠りに落ちた。


◆◆◆


それは甘く、切なく、そしてどこか苦々しい物語だった。


最初に見えたのは、柔らかな陽射しの差し込むリビングルーム。

大きな窓から揺れるカーテン越しに、明るい庭が見える。その中心にいるのは幼いミレイア。笑顔を浮かべ、両手を広げて駆け回っている。


「お父様! お母様!」


その声に応えるように、優しい表情をしたふたりの大人が彼女を抱き上げた。ブランフォード伯爵夫妻――彼女の両親だ。


母親は笑いながらミレイアの頭を撫で、父親はその小さな体を軽々と持ち上げる。ふたりの視線には、確かな愛情が宿っていた。


場面が変わる。


成長したミレイアが、初めて台所に立っている。彼女の手にはクッキーの生地が握られており、その額には緊張と必死さの滲む汗が浮かんでいる。


「エリオット、これ、私が作ったの…」


手渡されたクッキーは、見た目からしてかなり固そうだった。でも、それを受け取った若いエリオットは、優しい笑みを浮かべてこう言った。


「ありがとうございます、お嬢様!すごく嬉しいです!!」


そして、一口齧る。煎餅を食べたような、ごりごりとした音が聞こえたけれど、彼は気にする素振りを見せずに言った。


「こんな美味しいクッキー、食べたことがありません!」


――その言葉に、ミレイアの顔がぱっと明るくなる。初めて作ったクッキー。それが、彼に喜ばれた。それだけで十分だった。


場面が変わる。


薄桃色のドレスに身を包み、緊張した面持ちで周囲を見渡している。その目には、不安と期待が入り混じった光が宿っていた。


そんな中、彼女の前に立ちはだかったのは、カトリーナ・ド・グリフィーネだった。


「社交界で分からないことがあったら、聞いてもよろしくてよ。」


その一言は、少し高慢な響きとともに投げかけられた――手を差し伸べるような言葉だった。


「……ありがとうございます。」


ミレイアは、ぎこちなくも嬉しそうに微笑んだ。それは初めてこの世界に足を踏み入れた少女が受け取った、ささやかな救いのようだった。


さらに場面が変わる。


午後のティータイム。ミレイアが必死に淹れた紅茶は、妙に濃い色をしている。失敗した、という顔をしていた彼女を、母親が優しい声で包み込む。


「ミルクティーにすれば美味しくなるわ、ありがとうミレイア。」


母親はそう言って、カップにミルクを注ぎ、スプーンで静かに混ぜた。ミレイアは少しだけ表情を和らげ、その紅茶を一口飲む。


「私も、お母様のような人になれたらいいな。」


――彼女は確かに愛され、支えられて育った。


しかし、その幸せは突然奪われる。


両親が事故に遭ったのだ。轢いたのは、放蕩者として名を馳せた王弟の馬車だった。制御を失った馬車は暴走し、ふたりを呑み込むように突っ込んだ。


あの日、庭で両親を待っていたミレイアの記憶が浮かぶ。彼女は何も知らず、花を摘んで帰りを待っていた。


――そして、訃報を聞いた瞬間、世界が崩れ落ちた。


また場面が変わった。


ジュリアが屋敷にやってきた。


「私、家族に虐められていて…家から逃げてきました…。帰る場所がないんです。一生懸命働きます!どうか、どうかここに住まわせてください!」


涙ながらに訴える彼女を、ミレイアは追い返せなかった。むしろ、境遇に同情し親しく接するようになった。


だが、次第にジュリアの本性が見えてくる。彼女はいつもミレイアに甘え、仕事をサボり、ドレスや宝石をねだるようになった。そして、それを手に入れた後には、陰で笑っている。


――それでも、ミレイアは彼女を拒絶しなかった。どこかで信じたかったのだ。


場面が変わる。


エリオットへの淡い想いを告白した日。


「エリオット……私、あなたのことが好きなの。」


静かな庭のガゼボで、その言葉を口にしたミレイア。しかし、彼の返事は冷静だった。


「……申し訳ありません、お嬢様…。私は……伯爵家に相応しい身分ではありません。どうか、別の方と…幸せになってください…」


涙を流しながらの答えに、彼女は微笑んで頷いた。けれど、その笑みは明らかに震えていた。


――身分の違い。それが彼女の望みを打ち砕いた。


その後、彼女は跡を継ぐため、レオンとの婚約を決めた。


「伯爵家の未来を支えるために。」


周囲からそう言われ、彼女はそれに従った。――それが自分の役割なのだから、と。

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