私とゴミ箱と元婚約者
馬車に乗るのは初めてだった。
揺れる車体と硬いシートがどうにも座り心地を悪くしている。だが、それ以上に私の視線を奪うのは馬車の外――森の中をついてくる自走式ゴミ箱の姿だ。
「……お嬢様、あの妙な箱は何なのです?」
甲冑の従者ことエリオットが不思議そうな顔をしながら、窓の外をちらりと見た。自走式ゴミ箱は、馬車の動きに合わせてスムーズに走り続けている。異世界の森だろうが道だろうが、こいつには関係ないらしい。その滑らかな動きは、まるで「私は今年のダカールラリーを走れます」とでも言っているようだ。
「ああ、これ?」
私はゴミ箱を指差し、少し得意げに答えた。
「これは私の、とても大事なものです。」
エリオットの眉が困惑気味に跳ね上がる。「大事なもの」と言われても、彼にとってそれが理解できるとは思えない。だが、私の中では確信があった。このゴミ箱は、私の現実に繋がる唯一の証だ。これを手放したら、本当に自分が誰だか分からなくなる気がする。
馬車が小さな開けた場所に停まると、私は窓から顔を出して、手をひらひら振った。
「こっちにおいで!」
自走式ゴミ箱がしっかりと私の声に応え、馬車の横にぴたりと停まった。その動きに、エリオットは目を丸くしている。
「……お嬢様、それを馬車にお乗せになるおつもりですか?」
「もちろん。」
私は当たり前のように答え、ゴミ箱を馬車に持ち込もうとした。エリオットは一瞬だけ抵抗したが、私が「大事なものだから」と断固たる調子で言い切ると、彼も折れて手伝ってくれた。馬車の中に収まったゴミ箱を見て、彼はため息をつきながら小さく呟く。
「これは夢でも見ているのだろうか……」
◆◆◆
やがて馬車は、見知らぬ城のような建物に停まった。
広大な庭園、豪華な建物、そしてそれを背景に立つ数人の男女。全員が私に心配そうな視線を向けているが、そのうち二人は明らかに歓迎の雰囲気ではなかった。中でもひときわ目を引くのは、鋭い目つきでこちらを睨む若い女性だ。
「まあ、今お帰りになられたのね。森は楽しかったですか?」
言葉の中に嫌味がたっぷり詰まっている。私は反射的に「ごめんなさい」と言いそうになったが、ここで下手に謝るのは不味い気がして口をつぐんだ。
「まったく…君がいなくなって、どれだけの人が心配したと思っているんだ?」
さらに言葉を重ねてくるのは、彼女の隣に立つ男性だ。年の頃は20代後半くらいで、凛々しい顔立ちをしているが、その口調には明らかな苛立ちが含まれていた。
「……誰?」
思わずそう呟くと、周囲の空気がピリついた。女性が小さく笑う。
「自分の元婚約者を覚えていないなんて、ますます無責任ね。悲劇のヒロインごっこは楽しかった?おかげで彼にどれだけの迷惑をかけたか、わかっているの?」
「婚約者……?」
何の話だ?元婚約者?迷惑?それどころか、私は彼らの名前も顔も知らない。そもそも婚約者がいる人生を送った覚えがない。
「迷惑をかけた自覚がないのか?それとも、迷惑をかけるのが楽しいのか?」
男性はさらに追い打ちをかけるようにそう言った。私は言葉を失う。ただでさえ状況が飲み込めないのに、次から次へと無責任なことを言われて、どう反応すればいいのか分からない。
そんな私の横で、エリオットが険しい顔をして一歩前に出た。
「レオン様、どうかそのくらいにしていただけませんか。お嬢様はお疲れです。」
「ふん、エリオット、君はいつも甘いな。」
男性は吐き捨てるように言い残し、女性と共に建物の中に入っていった。
私は取り残されたような気分で、馬車に置いてきた自走式ゴミ箱のことを思い出した。――あれを持ってきて正解だった。少なくとも、あれだけは私の側にいてくれる。