打算と計算
書斎にかかる陽射しは織物のカーテンを透かして薄明るく広がり、机の上の資料に淡い影を落としていた。広げられた紙の上には、急ぎ足で綴られた文字が踊っている。
ペンの先が紙を擦る音、時折響く小さなため息、それからカーテンの隙間から入り込む風の音だけが、この部屋を満たしていた。
「…それにしても、よくアッシュフォード夫人が協力してくれましたね。」
アルフレッドの声が静寂を破る。
私は顔を上げ、彼の方をちらりと見た。ペンを置き、背もたれに軽く体を預けると、机の隅に置かれたゴミ箱が視界に入った。
蓋の部分が微かに光を反射している。
「まあ、そう思うのも無理はないよね。」
私は静かに答え、視線を書類に戻した。
「夫人のような厳格な方が、私のお願いを聞いてくれるなんて、普通に考えたら奇跡みたいな話でしょうけれど。」
「実際、驚きましたよ。」
エリオットが口を挟む。その声には少しだけ感心の色が混じっている。
「名門アッシュフォード家の当主夫人が、敵である我々のためにここまで協力してくれるなんて……一体どうして?」
私は資料の山から顔を上げ、ペンを持ち直した。
「理由は単純――ジュリアの“性格”が原因。」
「性格?」
エリオットが首を傾げた。アルフレッドも少しだけペンを止め、私の言葉に耳を傾けている。
「ええ。」
私は微笑みを浮かべながら言葉を紡いだ。
「ジュリアの教育係だったメイドから聞いた話では……彼女、家で食事も与えられずこき使われていたと言いながら、血色は良かったし家事が何ひとつできなかったそうよ。」
「そういえば…」
アルフレッドが静かに呟く。
「掃除ひとつまともにできない。洗濯物を干す手つきも辿々しい。それどころか、料理の仕込みを頼めば材料を無駄にし、紅茶を淹れれば葉をまき散らす。」
「彼女がしていたのは、仕事をサボって、『私』の宝石やドレスを欲しがることばかり。」
私はペンを手遊びしながら続ける。
「もしアッシュフォード家のような名門に彼女が行けばどうなると思う?」
「…まあ、淑女教育など真面目にやらないでしょうね。彼女の性格なら、自分の立場を守るために誰かを悪者にする。そして、その“誰か”に選ばれるのは……おそらく指導をするアッシュフォード夫人。」
「……ああ!」
「だから夫人へ『ジュリアに悪者にされて困っていませんか?』って手紙を出したの。」
私は視線をゴミ箱に戻す。蓋の光沢が、心に静かな安心感をもたらす。
「ジュリアが以前、この屋敷でどう振る舞っていたのかを伝えて――それを夫人が知れば私に協力してくれると踏んで、ね。」
「……全て計算の上だったんですね。」
エリオットは小さく息を吐きながらそう言った。その声には、感心と少しの驚きが込められている。
私は苦笑しながら、資料を手繰り寄せた。
「計算だなんて大袈裟だよ。ただ、ジュリアの本性を知っている人を探し出し、行動しただけだから。でも、少なくとも彼女が協力してくれたおかげで、次の一手が打てるようになった。」
まだ全てが終わったわけではない。この“計算”が功を奏するかどうかは、これからの展開次第。
私は再びゴミ箱に目をやり、その静かな佇まいを見つめた。
――最後の一手を打つまで、冷静さを失うわけにはいかない。この勝負、必ず私が制する。




