自分じゃない誰かとして
「はじめまして。私、家電メーカーの開発部門で商品企画をしている――」
そう言いかけて、私はふと口を閉じた。だって、ここで私が自己紹介して誰が聞いてくれるというの？木？葉っぱ？いやいや、自分で状況を整理するための独り言だってことは分かってる。だけど、どんなに一人でぶつぶつ言ってもこの異世界が現実であることを否定できるわけじゃない。
私は手元にある自走式ゴミ箱を見つめた。銀色に輝くボディ、計算し尽くされた曲線。機能性と美しさの両立。それが私の目指したゴールだった。
「名前、どうしようか」
自走式ゴミ箱にはまだ正式な名前がない。開発中の仮コード番号は「CZZ-01」だけど、そんな無機質な名前じゃこの愛くるしい見た目に失礼だ。ペットみたいな感覚で、親しみを込めた名前がいい。そうだ、踊るように軽やかな動きから、ポルカとかルンバとか――いや、それどっかで聞いたことあるな。
「ピッコロとか？……いや、それコーヒーメーカーにいた気がする…」
悩んでいる間もゴミ箱は地面を滑るように動き、枯れ葉を吸い込んでいく。その姿に私は微かに安堵する。少なくとも、これは私の知っている技術で動いている。本当の意味で私の現実に繋がるものだ。名前は後で考えよう。今は――
「お嬢様！」
突然、どこかから声が飛んできた。え？お嬢様？私は肩をビクリと震わせてその声のほうを振り返る。声の主は若い男性のようだったが、姿が見えない。
「お嬢様、どちらにおいでですか！」
いや、待て。お嬢様？私のことか？どう考えても違う。私は開発部門の平社員だ。「お嬢様」なんて呼ばれる要素は一つもない。それに、声に感じる微妙な違和感――なんていうか、現代人らしくない丁寧さ。まるで映画かドラマみたいだ。
「どちら様ですか？」と返そうとした瞬間、自分の声に違和感を覚えた。いや、声だけじゃない。言葉自体が、いつもの自分らしくない。妙に上品で、聞きなれない響きが自然に出てしまう。
手元を見た。何の気なしに広げた掌が、普段見慣れたものと違う。指が細く、白く、柔らかい――まるで陶器のようだ。これは私の手じゃない。
「お嬢様！」
今度は姿が見えた。木立の間から現れたのは、装飾のある甲冑を身にまとった若い男性だった。さらさらとした金髪でロイヤルブルーの澄んだ瞳。身長は高く、引き締まった体つき。だけど何より目を引くのは、その顔。私が自分の開発した商品プレゼンの相手にする上司や取引先にはいないような、美しさと鋭さを兼ね備えた顔立ちだった。
「こちらにいらっしゃいましたか！良かった…、本当に良かった……！ご無事ですか？ミレイアお嬢様…」
「……誰？」
その一言が口から漏れると同時に、彼の表情が一瞬曇った。
「お嬢様、どうかなさいましたか？まさか、森で彷徨って記憶が――」
森？彷徨う？私は混乱の渦に飲み込まれた。いや、待って。ミレイアお嬢様って誰だよ。そして、どうして私のことをそう呼ぶの？
私は慌てて近くの水たまりに駆け寄った。反射した自分の顔――いや、知らない顔――がそこにあった。
――柔らかな栗色の髪、エメラルドグリーンの大きな瞳、そしてありえないほど整った顔立ち。
「……ちょっと待って、……これ誰？」
水たまりの中の美しい女性が、私と全く同じ台詞を呟いた。
