主役の席と主導権
召使いが手にした椅子を、一番端のテーブルに運ぼうとした瞬間、私は迷わずその背もたれを掴んだ。
「……えっ?」
召使いは困惑した顔で私を見たが、私はニッコリと笑ったまま、優雅な手つきで椅子を引き寄せる。
――なるほど、隅に座らせて完全無視するつもりだったのね?
「ありがとう、ここでいいわ。」
私は椅子をカトリーナの隣にぴたりと置き、スカートの裾を整えてから静かに腰を下ろした。
その瞬間、部屋全体に張り詰めた空気が広がった。
――でも、そうは問屋が卸さない。私は“端”の席には座らない。主役の座を譲る気は、毛先ほどもないから。
カトリーナの瞳に一瞬の動揺が浮かぶ。だが、彼女はすぐに唇を引き結び、冷笑を浮かべた。
「……本当に驚いたわ。よくもまあ、そんな顔をして、この場に現れたものね。」
――来たわね、嫌味の一手。
私はそっと肩をすくめ、笑顔を浮かべたまま視線を合わせた。
「何か問題が?」
「ジュリアから聞いているのよ、あなたの悪行の数々を。」
カトリーナはわずかに首を傾げながら、声を潜めて言った。その言葉は丁寧なようでいて、鋭い棘が込められている。
「あなたの屋敷では、桶の冷水を浴びせて碌に食事もさせなかったそうね。夜遅くまで倒れるまで働かせ、給金も与えず、ボロ切れのような服を与えていた――」
「暗くて嫉妬深く、悪事が露見してレオン様に婚約破棄されると、それを逆恨みして暴言を浴びせ、ゴミ箱に閉じ込めて暴行した。――ジュリアが傷つき、怯え、閉所に怯えて毎日泣き暮らしているのは、全てあなたのせいだと――」
――なるほど、話をまとめてきたわね。悲劇のヒロインの脚本はばっちり、といったところかしら。
私はゆっくりと椅子の背に体を預け、穏やかな笑顔を浮かべたまま言った。
「証拠はありますか?」
カトリーナの目が少しだけ見開かれた。
「……証拠?」
「ええ。『ミレイア』がそんなことをする人間だと、本当に思います?」
名前を強調してみせると、周囲の令嬢たちが息を飲む音が聞こえた。
――そう、私は『ミレイア』ではない。けれど、彼女がそんなことをする人間ではないのを知っている。…なら、私より本物の『ミレイア』を知っているあなたたちは、わかっているでしょう?
カトリーナは微かに視線を揺らしながらも、すぐに冷たい笑みを張り付けた。
「ジュリアは信頼できる人ですもの。」
「そう。」
私は頷き、カップを持ち上げるふりをして、指先でリズムを取った。
「だけど、証拠がなければ、“信憑性”はありませんよね。社交界で真実を語るには、信頼よりも証拠が必要だと思いませんか?」
カトリーナの表情が硬直したのがわかる。
――ジュリア、あなたの武器は“噂”と“演技”。でも私は、“証言”と“証拠”を持っている。
私は目を細め、周囲に集まる視線を受け止めながら静かに微笑んだ。
「お茶が冷めてしまうわ、カトリーナ様。どうか落ち着いて、優雅にいただきましょう。」
そう言って、私は無言のまま取り巻く令嬢たちを見渡した。ざわめく音が次第に小さくなり、視線がカトリーナに集中する。
――これでいい。この場の“主役”は私。照明はもう、彼女の側を照らさない。
ゴミ箱の中で静かに待つ存在が、私に「その調子です」とでも言いたげに微かな響きを立てたような気がした。




