宣戦布告とチョコレート
「お嬢様、アッシュフォード家の使者が参りました。」
老執事アルフレッドの声が書斎に響いた瞬間、私は少しだけ眉を上げた。
――そう来るか。やはりジュリアは自分の立場を最大限に利用してきたらしい。
使者は無駄な動きひとつせず、封蝋が施された手紙を私に差し出した。豪奢な赤い封蝋には、アッシュフォード家の紋章がしっかりと押されている。重々しいその手紙を見たアルフレッドは、目を細めて「ただごとではありませんね」と呟いた。
「さあ、開けましょう。」
私は封を切り、滑らかな筆跡が並んだ手紙を開く。その瞬間、アルフレッドとエリオットの視線が鋭く私に向けられた。書斎の空気が、一段と重くなる。
――さて、何を書いてきたのかしら?
私は目を走らせる。文字のひとつひとつが、嫌味のような上品さで綴られていた。
「……ふん。」
小さく笑いがこぼれた。思わず、というよりは呆れの感情が先だったのかもしれない。
「何が書かれていたのですか……?」
エリオットが緊張した面持ちで尋ねる。
「簡単に言えば――私の暴言と暴行でジュリアが深く傷ついた。身体に傷が残り、暗闇と閉所が怖くて毎日泣き暮らしている、と。」
「……何ですって……?」
アルフレッドの口調はいつになく険しい。
「しかも、この件を『アッシュフォード家に対する侮辱』と捉えているらしいわ。そして、一週間後の社交パーティーでジュリアに正式な謝罪と賠償を求める、と。」
「アッシュフォード家は名門です。もしこのまま何の策もなく謝罪を拒めば、ブランフォード家の立場が大きく揺らぎかねません……。」
アルフレッドが緊張した面持ちで口を開いた。いつも冷静な彼の声が少しだけ低く、震えているように聞こえた。
エリオットは目を見開き、拳を握りしめた。
「謝罪と賠償……!?それも伯爵名義で……!」
その拳が震えているのがわかる。彼の正義感が、こんな茶番を許せないのだろう。私も同感だ。
「なんてことだ……。アッシュフォード家はジュリアの話をすべて鵜呑みにしているのか……!」
――ジュリアは「被害者」という鎧を纏うことで自分を守り、他人を貶める。悲劇のヒロインを演じながら、裏では権力を味方につけて周囲を掌握していく――まさに、悪女として完成された戦略だ。
二人が厳しい顔をして私を見た。
「お嬢様……どうなさいますか……?」
書斎の中に張り詰めた沈黙が広がる。
――どうするかって?
私は思考を止めることなく、机の上に置かれていた包み菓子の箱に手を伸ばした。届いたばかりの新しいお菓子だ。華やかな金色の包み紙が目に入り、気持ちが少しだけ軽くなる。包みを解くと、チョコレートの甘い香りが漂った。
「どうするって――決まってるじゃない。」
私は軽やかにチョコレートのひとつを口に放り込み、ゆっくりとその甘さを味わった。エリオットとアルフレッドが驚いたように私を見つめているのが分かる。
「……お嬢様……?」
アルフレッドが心配そうに声をかける。私はチョコレートを舌で転がしながら、優雅に笑みを浮かべた。
「ジュリアがどう出るかなんて、初めからわかっていたこと。」
「……!」
「だから問題ない。準備はすでに整えてあるわ。」
私は二人を見つめ、はっきりと言い切った。
「向こうが言いたいことは全部言わせてあげる。そして――全て片付けて終わりにするの。」
エリオットの表情が驚きから、少しずつ安堵と覚悟に変わっていく。アルフレッドも微かに肩の力を抜いたようだった。
「ここが踏ん張りどころよ。」
私は笑みを深め、包み菓子をもう一つ手に取りながら言った。
「私たちに必要なのは、完璧な片付けの段取りと――ほんの少しの辛抱だけよ。」
ゴミ箱の静かな「ピッ」という音が聞こえた気がした。その音が、私の心にさらに強い確信を与える。
――一週間後、社交パーティーでジュリアたちを葬る準備は整いつつある。私は絶対に負けない。なぜなら、私とゴミ箱と屋敷のみんなは、この世界で一番信頼できるチームだから。
部屋には甘いチョコレートの香りと、冷たい決意の余韻が残っていた。