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庭のガゼボと騎士の涙

仕事を終えた後の庭の空気は格別だ。

柔らかな夕陽が芝生を撫で、風が葉を揺らしている。その音は遠くから聞こえる波の音のようで、疲れた頭を心地よく冷やしてくれる。


私は深呼吸を一つして、次に送るべき使いの者へ書簡を渡した。


「急ぎでよろしくね。」


使いの者が深く頭を下げ、軽やかな足取りで屋敷を出ていく。その姿を見送っていると、いつの間にか横にエリオットが立っていた。


「お嬢様……こんな場所にいらしたのですか。」


「どうしたの、エリオット?」


エリオットは普段と変わらない姿勢で背筋を伸ばしていたが、その瞳には普段とは違う色が宿っていた。心配、後悔、悲しみ――いろいろな感情が入り混じっていることが見て取れた。


私は無言で歩き出し、ガゼボへ向かう。ガゼボ――白い柱に囲まれた小さな休憩所――は庭の一角にひっそりと佇んでいた。誰にも邪魔されず、話ができる場所だ。


エリオットは黙ってついてきた。


ガゼボの中に入ると、彼は深く一礼し、しばしの沈黙の後、絞り出すような声で言った。


「……お嬢様、本当に申し訳ございません……」


その声は普段の彼のものではなかった。いつも冷静で、毅然とした態度を崩さない彼が、今はまるで自分自身を責め立てるような声を出している。


私は彼を見つめた。


「何が?」


エリオットは膝をつき、拳を握りしめて俯いた。


「私が、不甲斐ないせいで……ミレイアお嬢様を守れませんでした……」


その言葉と共に、一筋の涙が彼の頬を伝った。私の中で、何かが揺れた。驚きと戸惑い。そして――妙な既視感。


「下級騎士の身でありながら……先代の伯爵様に取り立てて頂きました…。この屋敷で務めを果たす機会を得て、どれだけ嬉しかったか…。誰よりも、ブランフォード家に忠誠を誓っていたのに…」


エリオットの声は、消えてしまいそうなほど弱々しかった。


「ここに来たばかりの頃……慣れぬ私に、お嬢様はいつも優しくしてくださいました。笑顔で話しかけてくださり……怪我をすれば手当を、美味しいお菓子があれば一緒にお茶を。今日あったことを一緒に話したり……私は、この屋敷で働くことが、お嬢様のお側にいられることが、何よりも幸せで…誇りでした……」


私は言葉を飲み込んだ。ただ、彼の言葉を聞くことしかできなかった。


「……ジュリアが最初に屋敷へ来た時……私は本当に安心しました。お嬢様があんなに嬉しそうに彼女の話をしていたから……彼女を友人として迎え入れられて、お嬢様の心が少しでも癒されるならと……」


「……。」


「ですが、私の目は節穴でした……彼女の本性に気づかず……陥れられ、婚約破棄をされ……お嬢様は孤独のまま、森へ……」


エリオットは拳を地面に叩きつけた。その音が乾いた音を立て、私は思わず目を細める。


――なるほど。エリオットにとってのミレイアは、ただの主ではなかった。何よりも大切な人であり、憧れであり、誓いの象徴でもあったのだろう。そして、その誓いを守れなかったことで、彼はずっと後悔していたのだ。


「……エリオット。」


私は彼の涙を見つめながら考えた。


――ミレイアにとってのエリオットは、どういう存在だったのだろう?


そして、私は気づいてしまった。


――ああ、そうか。私にとってのゴミ箱か。


それは悪口でも何でもなく、むしろ称賛だ。何があってもそばにいて、どれだけ辛くても文句一つ言わず、ただ自分の役割を全うしようとする存在。だからこそ、彼はミレイアにとって大切な存在であり続けたのだろう。


ただ、ミレイアは悲しみのあまり、彼の気持ちに、――愛に気づくことができなかったのだ。


「……泣かないで、エリオット。」


私は優しく、けれど少しだけ冷静な声で言った。


「私は、もう大丈夫だから。」


エリオットは顔を上げた。その目は涙で赤く滲んでいたが、どこかほっとしたようにも見えた。


「……お嬢様……」


「それにね、エリオット。」


私は彼の肩に手を置いて言った。


「君がいなかったら、この屋敷はもっと酷いことになっていたと思う。君は、立派な騎士だよ。」


その言葉に、エリオットは目を見開き、そして小さく「ありがとうございます……」と呟いた。


風がガゼボの柱をすり抜け、庭の草花を揺らしている。その音を聞きながら、私は心の中で一つだけ決めたことがある。


――この屋敷を守るために、私は「ミレイア」でいよう。そして、不要なものはすべて片付ける。


ゴミ箱やエリオットや屋敷のみんなのような存在は、大切にする。それ以外は――全部。


私は銀色のゴミ箱を一瞥し、わずかに笑みを浮かべた。ゴミ箱は静かに佇んでいたが、まるで「分かっているよ」と言いたげだった。


「さて、エリオット。そろそろ戻りましょうか。」


「……はい。」


ガゼボを出る私たちの背後で、夕陽が少しずつ色を深めていった。

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