4-10 建国記念パーティー
いよいよ建国記念パーティーがやってきた。
「アデル、今日も綺麗だよ」
「ふふ、ユリウスも素敵よ」
本日のアデルが身に纏っているのは、深い青のオフショルダードレスだ。すらりとしたAラインのスカートには、銀のスパンコールが裾に向かって密になるように散りばめられている。まるで秋の夜空のような、印象的なドレスである。
アデルはそのプラチナの髪を美しく結い上げ、シンプルな銀細工の髪留めで留めていた。耳と胸元にはルビーの豪奢な飾り。ユリウスの色を身に纏えば、自然と力が湧いてくる。
会場に到着すると、既に貴族たちのほとんどが揃っていた。今回は120周年の記念となる年なので、王宮の特大ホールが開放されていて豪華だ。来賓の席にはクロードの婚約者、クリスティーネの姿もあった。久しぶりに顔を見たが、元気そうでアデルはほっとした。
そのまま来賓席に順番に目を向けていくと、ほどなくして目当ての人物を見つけた。
「いたわね……あれが、ヴァレリー・チェルネコフ皇子……」
「堂々としているな」
すらりとした長身の彼は、周囲より頭一つ抜けている。真っ白な髪に、冬の空のような青い瞳。切長で美しい目鼻立ち。乙女ゲームに出てきてもおかしくないくらい、整った顔立ちだ。
「見張りはつけているが、注意を払っておこう」
「わかったわ」
一つ頷き、ユリウスの腕をぎゅっと握った。
やがて王族全員の入場が終わり、形式的な挨拶をこなした。クロードは今日も自信に満ちた、柔和な微笑みを浮かべている。
「ユリウス、今日は宜しく頼むよ」
「はい」
いつも通りの柔らかな声が掛けられるが、今日は少し意味合いが異なってくる。ユリウスは普段通り、泰然と答えた。
一方のニコラは、まるで憑き物が落ちたような顔をしている。随分落ち着いているようだ。特別声を掛けては不自然になるので、アデルたちはいつも通りの形式的な挨拶に留めた。
貴族に順番に挨拶をしていると、アレックスがエリーゼをエスコートしていた。
「アデル、今日もとても素敵だわ!夜空みたい」
「エリーゼも素敵よ。どんどん綺麗になってるわ」
エリーゼとにこやかに言葉を交わす。今日仕掛けることは、彼女も少しは知っているはずだ。しかし、緊張した様子はなかった。アレックスを信頼しているのだろう。
エリーゼはミントグリーンのドレスを身に纏っていた。ビスチェ部分には薄オレンジの糸とミントグリーンの糸で、密に花の立体刺繍が施されている。美しい花畑のようなドレスだ。裾にかけても同色の花の刺繍が入っており、彼女の可憐さを引き立てていた。
「アレックスが仕立ててくれたのよ。本当はこういう可愛いのも着てみたかったから、挑戦ね」
「花畑にいる姫様みたいですごく素敵よ、アレックスってセンスが良いのね!」
「そうだろう?ウエディングドレスを見てたら、どうしてもドレスが選びきれなくてね。思わずプレゼントしたんだ」
二人は顔を見合わせ、幸せそうに微笑んだ。結婚に向けて準備中の二人は、相変わらず仲が良い。
「俺も、アデルに何か贈りたい……」
「ユリウスには十分、色んなものをもらっているわ」
「変に対抗するなよ、ユリウス」
アレックスはけらけらと笑った。しかし、最後に真面目な顔つきになり、一つ頷いてから去っていった。
「それじゃ、宜しくな」
「ああ、宜しく」
今日の手順が始まるのは、もう少し先だ。アデルが緊張していると、注意を払っていた例の人物が、どんどんこちらに近づいてきた。なんとヴァレリー・チェルネコフ本人が接触してきたのだ。
「失礼、ローゼンシュタイン公爵と、その夫人アーデルハイト様とお見受けします」
「初めまして。その通りです」
「私はストイッタ帝国の第三皇子、ヴァレリー・チェルネコフと申します。公爵の武勇は、遠く我が国にも伝わってきております」
「恐縮です。ありがとうございます」
「いやあ、それにしても。アーデルハイト夫人は、噂に聞いた通りの美しさだな」
美しい青の瞳にずばり射抜かれて、アデルの心は動揺する。しかし公爵夫人としての仮面は外さず、つんとした態度を貫いておいた。
「まあ、美しいだなんて。あまり言われない言葉ですわ」
「それは意外だな。我が国では、プラチナブロンドが最も尊いとされます。夫人はまるで雪の精霊のようだ。是非一曲、ダンスのお相手をお願いしても?」
やはり、アデルに直接探りを入れるつもりらしい。彼が『シナリオ』を知る人物である可能性は限りなく高いだろう。アデルが『シナリオ』を知っていることも、恐らくばれている。
アデルは快くダンスの申し込みを受け入れ、ヴァレリーの大きな手を取った。
「ええ、喜んでお受けしますわ」
「光栄です」
ユリウスと離れ、二人でダンスホールに立つ。ヴァレリーの身長は、目測で百九十センチほどあるだろうか。多分、アレックスよりも大きいだろう。目の前に立たれると、まるで逃げ場がないように感じてしまう。
しかしアデルは怖気付かず、堂々とダンスを踊った。彼も大きな体で、巧みにダンスのリードをして見せる。余裕のある踊りの中で、艶やかな低い声に、密やかに話しかけられた。
「この国に来たら是非とも、あなたとダンスを踊りたかったんですよ、アーデルハイト夫人」
「そうですか。何故でしょう?」
「あなたの活躍は、帝国にまで漏れ聞こえています。あなたの洋菓子店の評判は素晴らしいのだとか…………この世界では考えられないほど、洗練された菓子を出していると聞きました」
アデルは相手を、きっと睨みつけたい気持ちを堪えた。アデルの事情にかなり詳しいことを、言外に伝えてきているのだ。例の憎き競合店パティスリーエルサは、大方こいつの仕掛けなのだろう。
「この世界には考えられないほど…………ですか。私は稀人ですので、それも当然のことかもしれません」
「おや。転生者であることは、隠されていないのですね」
「ええ。この国では、そこまで珍しいことではありませんから」
しれっと答える。隠していないのだから、堂々としていれば良いのだ。アデルが隠しているのは、『シナリオ』を知っているということだけである。
「あなたは転生者であることを、ケーキ作りに活かしているのですね」
「ええ。私のケーキで一人でも多くの人を幸せにしたいと……笑顔にしたいと思っています」
「なるほど。誰も傷つけない、素晴らしい志だ」
これはアデルの本当の気持ちだ。転生したということの旨みを、国を分裂させたり人を悲しませたりするようなことに使う気は、一切ない。もしもアデルの持つ技術力を行使すれば、この世界の戦争の常識を覆すことだって可能だろう。でもアデルは初めから一貫して、洋菓子店を出すという夢だけを貫いてきた。誰かを悲しませるよりも、幸せにすることに自分の能力を発揮したいからだ。
ヴァレリーはきっと、アデルの考えを下らないと思っているのだろう。それでも構わない。アデルの生き方は、アデルが決めるものだ。
「夫人のお話を聞いて、大変感銘を受けました。パティスリーアデルのケーキは是非店舗で食べてから、母国に帰りたいな」
「ありがとうございます。光栄ですわ」
曲が終わり、すっと体を離す。間をおかず、待ちきれないユリウスが迎えに来て、くいっと手を引かれた。高い身長に隠されるようにして、アデルは守られる。
「おやおや。ローゼンシュタイン公爵は、噂に違わぬ愛妻家なのですね?」
「そうなのです。妻が可愛くて、仕方がないのです。心が狭くて申し訳ありません」
「ふふ。これは早く返さないと、後が恐ろしいですね。それではアーデルハイト夫人、どうもありがとうございました。楽しいひと時でした」
「ええ、こちらこそ」
ひらりと身を翻し、ヴァレリーは去って行った。その大きな後ろ姿が群衆に紛れていくのを見ながら、アデルは心の中で毒づいた。
――――この大嘘吐きめ。今に、みてなさいよ。
「アデル、何もされなかった?」
「店について、探られただけよ。あと、少し嫌味を言われたわ」
「そうか……まさか、直接ダンスを申し込んでくるとはな」
「私も大胆で驚いたわ。けど大丈夫よ」
二人は密やかに言葉を交わし、また貴族への挨拶に戻る。もうすぐ始まる計画に、静かに備えるのだった。




