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4-6 アデルの嫉妬

 これはクロードとの密談が終わってからの、ある日のことである。アデルはいつものように、夜会に出席する準備をしていた。

 

 この国の社交シーズンはとても長い。四月〜十一月初めの大舞踏会まで、ずっと続くのだ。その理由は、十月に建国祭があるためとされている。しかしアデルの推測では、この世界の原作が乙女ゲームであることも関係していると思っていた。ゲームのシナリオは、主に社交パーティーなどを絡めながらイベント展開されていくためである。

 そんな訳で八月に入っても、アデルは公爵夫人として社交に精を出していた。

 

 本日のアデルのドレスは、薄いブルーグレー。上は白いレースが縫い付けられている、上品なビスチェだ。レースがまるで淡雪のようにも見え、涼しげである。下は幾重にも、ハリのあるオーガンジーが重ねられたシフォンスカートになっていた。全体的に軽やかなイメージのドレスだ。このような最先端のドレスにも随分慣れてきたので、アデルは堂々とそれを着こなしていた。

 

 上がシンプルな分、ネックレスとピアスはゴージャスにした。大ぶりなオパールがたっぷり使われた品である。この宝石はアデルの瞳の色だからと、結婚記念日にユリウスが贈ってくれたものだ。以前贈られたルビーのアクセサリーと合わせて頻繁に付けており、アデルのヘビーローテーションになっている。


 

 しかし、和やかに進行していた夜会会場で突然、思わぬ出来事が起こった。


「こんにちはっ!ユリウス様っ!!」


 鈴の鳴るような声と同時に、何者かが背後からユリウスに飛びついてきたのである。仮にもこの国の公爵本人に対して、許されない狼藉だ。アデルは仰天した。

 一方で飛びつかれたユリウスも自身また、驚いた顔をしていた。彼は騎士なので、背後の気配には勿論勘付いていたのだろう。しかし、このような真似をされるとは思いもしなかったことが見て取れた。


「ユリウス様っ!お会いできて嬉しいですっ!!」

「マリア様……!」


 ユリウスが呼んだ名前に、アデルはやっぱり、と思った。マリアと呼ばれた彼女は、被っていたフードをぱさりと落とした。途端に鮮やかなオレンジブロンドと、印象的なピンクの瞳が露わになる。

 外見からしても、あまりにもゲームの『ヒロイン』と一致していた。彼女こそが、聖女マリアに違いない。

 

 今回のシーズン中、アデルはマリアの姿を見たことはなかった。ユリウスの配慮により、アデルはマリアと接触しないよう細心の注意が払われていたのだ。

 だから、アデルは衝撃を受けた。予想していたよりも、彼女がずっとずっと――――可愛かったからだ。大きな目と、小さくてふっくらした唇。それは完璧なバランスで、いかにも男性受けしそうな顔だった。スタイルだって抜群で、背が高く、胸がたっぷりとしていて……アデルとは、何もかもが違った。

 彼女を目の当たりにしてしまい、アデルは急激に自分の姿を恥ずかしく感じた。


「マリア……勝手に動いちゃダメだって、言っているでしょう!?」

「ごめんなさい、ニコラ様。でも私、嬉しくって!」


 後ろからフードを被った第二王子ニコラがやってきて、慌ててマリアを引き剥がす。しかし当のマリアには、全く悪びれた様子がない。

 ユリウスは怪訝な顔で二人を見て、冷え切った声を出した。


「マリア様は、今日の夜会には出席されないはずでしたよね?」

「うふふ。どうしても出たくなっちゃって、ニコラ様にお願いしたんです。だって私…………どうしても、噂のアーデルハイト様にお会いしたかったんだもの!」


 マリアが突然、興味津々の目でこちらを見つめてきたので、アデルはビクッとする。咄嗟に、ユリウスの後ろへ隠れた。


「や〜っとお会いできて嬉しいです!ユリウス様の奥様!!とっても()()()()()って……噂で沢山、聞いた通りだわ!」

 

 ――『()()()()()』って、どっちの意味なんだろう……。

 アデルは俯いて目を逸らし、考えた。彼女は悪気なく言っているようにも聞こえるし、子供っぽいと馬鹿にして、嫌味を言っているようにも聞こえる。

 或いはわざと、どちらとも取れるように言っているようにさえ、聞こえる気がした。


「アーデルハイト様って、恥ずかしがり屋さんなんですか……?もっと、お顔が見たかったわ。残念……。まあ、仕方ないですね。それよりも…………!」

 

 マリアが指を唇に当てて愛らしいポーズを取った、その次の瞬間である。彼女はなんとユリウスの手を突然、両手でぎゅっと握った。妻であるアデルの、目の前で、だ。


「ユリウス様!珍しく夜会でお会いできたんですから、私とダンスを踊りましょう?」


 無邪気に、上目遣いで言うマリア。アデルはそれが許せず、思わず間に割り入って、声を荒げた。

 

「私の夫に、気安く触らないで!」


 パシンとマリアの手を叩き落とす。すると彼女は一瞬呆然としたのち、たちまちその大きな瞳から、大粒の涙をこぼし始めたではないか。そしてしゃくり上げながら、周囲に聞こえるような大声で言った。

 

「わ、私!ぐすっ。そんなつもり、なかったんです……!ひっく。ご、ごめんなさい……!!アーデルハイト様ぁ……!!」


 ――何だ何だ。

 ――聖女が泣いているぞ。

 

 周囲の貴族が気付き、ザワザワとし始めた。アデルの方を見て、ヒソヒソと何かを言い合っている。――――これではすっかり、アデルが悪者に仕立て上げられてしまったではないか。

 アデルは大変なショックを受け、慌ててその場を走り去ろうとした。しかしその先にはユリウスが居て、ぽすんと抱き締められた。

 ユリウスはよく通る声で、ピシャリと言い放った。


「前から言っているが、俺には愛する妻がいる。気安く触れるのはいい加減止めてくれ」

 

 そうしてユリウスは周囲に見せつけるようにして、アデルの頬にキスを落とした。

 マリアはなおも泣き続け、震えながら言った。


「ごめんなさい……!わ、私…平民出身だから、そういうの、わからなくて……っ!!」

「平民は、既婚者に手を出すのか?さすがにそれは無理がある」


 ユリウスは正論を言って、マリアをばっさり切り捨てた。そうしてマリアの方を一切見ずに、アデルの手を引いて、会場を後にしたのである。


 

 ♦︎♢♦︎

 


 二人は黙ったまま、手を繋いで馬車に乗り込んだ。公爵邸へ帰り、ユリウスが使用人たちに「少し二人で話す」と伝える。使用人たちは心配そうな顔をしながらも、下がっていった。

 手を引かれて二人の寝室に入った途端、ユリウスはアデルの口を塞いだ。


「んっ………………っ」

「アデル…………」


 舌を絡めながら、ユリウスはアデルの背をさすった。

 それから、ユリウスは優しい声を出した。

 

「可哀想に、アデル。傷ついたね」

「…………ん」

「でも、嫉妬してくれて……嬉しかった。目の前で触れられてしまって、本当にごめん……」


 アデルは俯いた。どうしても、いじける心を抑えられない。

 

「初めて見たけど……マリア、美人だった……。可愛かった。ユリウスと、お似合いだと思ったわ……」


 ユリウスはアデルの頬を両手で包み込んで、優しく言い聞かせるようにした。

 

「一体彼女のどこが、アデルより優れている?俺には、まるでわからない」


 それからアデルの髪を一房取って、ユリウスは口付けた。そのルビーの瞳は、決してアデルから逸らさずに。


「彼女はこんなに、綺麗なプラチナの髪を持っているのか?……この、うつくしい瞳は?小さくて、可愛い耳は……?」

 

 ユリウスは言った順に、ゆっくりと甘いキスを落としていく。アデルは、それだけで自分の息が荒くなるのを感じた。

 

「美味しいケーキを生み出す、この愛しい手は……?」


 アデルの手を取り、小指から親指にかけて、順番に小さなキスを落としていく。まるで、この世で一等大切な宝物みたいに。


「俺の名を呼んでくれる、この愛しい唇は……?」


 最後にちゅっと、唇にキスを落とされた。アデルはもう堪らなくなって、ユリウスに両手を差し出し、懇願した。

 

「ユリウス。今日は、手加減しないで……!」


 アデルはユリウスがいつも、加減して抱いてくれていることを知っていた。でも今日は一切、そんなことをして欲しくなかったのである。

 ユリウスはアデルを胸に抱き留めながら、妖艶に微笑んで言った。

 

「わかった。いつもよりもっともっと。もっとしてあげる。それで、俺が…………どれだけ。どれだけ君だけを愛しているのか、思い知らせてあげる……」


 ユリウスは、噛み付くようにアデルに口付けた。

 

「愛してるよ……アデル……っ」



 ♦︎♢♦︎



「ごめんなさい。昨日は冷静じゃなかったわ……」


 翌朝。くったりとした身体でベッドに横になりながら、アデルが言った。今は二人で朝食を摂っているところである。少し行儀が悪いが、身体が怠いので仕方がない。

 冷静になって反省したらしいアデルは、しょんぼりとしている。ユリウスは彼女を励ますように言った。


「仕方がないよ。もしも逆の立場だったら、俺は剣を抜いていたかもしれない」

「ユリウスったら……。それにしても、マリア。あれは相当、曲者ね」


 アデルは顎に手を当てて、思案した。マリアの振る舞いは、無邪気ともわざととも取れるような、絶妙な塩梅だったのだ。それに、周囲の視線のコントロールや自分の魅せ方が、異常に上手いと感じた。女として、敵に回すと一番厄介なタイプの女である。


「だろう?あれを王族に準ずる扱いにしろなんて言うから、俺もアレックスも、参ってるんだよ」

「そうよね……。ごめんなさい。でも昨日はユリウスがばっさり切ってくれたから、私、嬉しかったわ……」


 アデルがふにゃりと微笑むと、ユリウスも小さく笑った。そしてアデルの手を取って、ちゅっと口付けてから言った。


「愛する君を守るためなら、あのくらい当然だよ」

「ありがとう……でも今後、あなたはやりにくくならない?」

「あれくらいじゃめげないと思う」

「それもそうね……」


 アデルは溜息を吐いた。あのマリアのことだ。きっとあっけらかんとして、またユリウスに付きまとうに違いない。

 建国祭までに、マリアの正体もはっきりすると良いのだが。それを願うばかりである。

 しかし一方のユリウスは、アデルの首元に手を這わせながら、うっとりと言った。


「アデル……キスマーク、沢山見えちゃってるね……」

「うぅ。……は、恥ずかしいわ……っ!」

「あんまり綺麗だから、またしたくなった」

「ん…………またしても、いいよ……?」


 アデルが首を傾げて言うと、ユリウスは上機嫌でキスをし始めた。何度しても、全然飽きないらしい。

 

 どうやらアデルは、ユリウスの愛を舐めていたようだ。彼の愛は、アデルが思っていたよりもずっとずっと、深くて重たいらしかった。

 だけど、彼をどこまでも許してしまうアデルも、大概である。だってアデルはどこまでいっても、どうしたって、彼を愛しているのだった。

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