第83話 最後の日常
第83話 最後の日常
一気に時間は加速する。『合同』まで明日に迫る。
三浦はいつもの様に朝の7時に学校に訪れる。年末年始や入試期間中、期末試験を除くとあの日から毎日来ている。こう毎日続くと不思議なもので別段苦痛とは感じない。慣れとはまさに恐ろしい物である。
そして向かう先にはいつもの様に島岡がホルンを吹いている。相変わらずその音色には惚れ惚れしてしまう。三浦はいつもの様にゆったりと音楽室に向かう。
三浦は島岡と共に基礎練習を始める。この時期になると曲の個人練習など余り関係なく感じた。ただただ自分が納得するまでロングトーンをする。
と言っても、今まで自分で納得できた試しは無い。ある項目が出来始めればさらに試練を増やし、また出来れば増やす。その繰り返しである。
実際、他人が聞けばどこがどう悪いのか判別が出来ない。
それは、島岡にとってもそうである。唯ひたすら楽器を吹く。漠然としてではない。目的を持ってだ。彼もまた永遠とも続くロングトーンに没頭していた。
三浦は思った。明日の『合同』が過ぎれば島岡は引退し、次は自分がこのパートを引き継がなければならない。勿論、島岡は3年生としてサポートしてくれるだろうが、実質牽引していくのは自分だ。
しかし、それは今ではない。今だけは島岡パート長の下で伸び伸びと演奏する。そう、これは本当に最後の日常。そのことを心に刻んだ三浦は、一心不乱にホルンを吹くのであった。
「三浦~」
「何ですか島岡先輩」
ロングトーンも一通り終わり、島岡が三浦に声をかける。
「お前、ほんま上手くなったな~」
「何言ってるんですか。先輩に比べればまだまだ雛ですよ。もっと一杯教えて貰わないと・・・」
三浦は本心からそう言った。そう、彼が3年になっても色々教えてもらおうと思っているのだ。しかし、その言葉は島岡の口から軽く否定された。
「ん~そりゃ無理やな~もう、お前に教えることはあらへんで。」
「え?なんでですの?」
三浦は島岡に問いただす。島岡は少し考えてから答えた。
「ん~それはな・・・もう、お前は教えてもらう段階を超えたっちゅ~ことやな。自分で考え、試し、ものにしていく。そんなところやな~」
「えっ、そんな・・・」
その言葉に三浦は思わず情けない声を上げる。しかし、島岡はそれに構わず話を進めた。
「大丈夫や、お前の頭ン中にあるもん全部試してみ。確かに理論とか理屈も大事や。当然知識も。せやけど前にも言ったやろ?楽器は理屈や無い。音出して感じて、お互い合わせて楽しむもんや。音を楽しむ、『音楽』ちゅ~くらいやからな。お前はお前なりの『音楽』を見つけたらええんやから。」
そこにはいつもの間抜けな島岡はいなかった。勿論、ホルンを吹いている凛々しさもない。にこやかに三浦を諭す島岡がいた。
不思議なことで彼から『大丈夫』と言われると本当に大丈夫に感じる。
「そ、そうですね。そうですよね。」
三浦は島岡の言葉に答えた。
「そうや、その調子や。おっ、なんや~今日は松島もきとるやないか。」
島岡は校門で動く影を見てそう答えた。
「あっ、本当だ。その後ろには大原さんと石村さんもいますね。あれ・・・浅井さんも・・・」
三浦もそちらを向き目を凝らして見る。
「お~い~、松島~。今日はえらい早いねんな~」
島岡は大きな声で松島を呼ぶ。
「・・・・・・」
松島も何か言ったようであるが、さすがに音楽室から校門までは大きく離れている為聞こえない。島岡の声量が異常なのであろう。
10分後、渡り廊下には6人のホルン吹きが並んでいた。こうやって1年生から3年生まで揃ったのは実は初めてである。
「あっ、そうや。」
島岡はふと思いついたのであろう。皆が「なんや~」という顔で向く。
「久しぶりに石村部長に仕切ってもらおうや。」
「あっ、それいいですね。」
「なんや~1年ぶりやな、それ。」
「あら、懐かしい。久しぶりにいいかも、それ」
「えっ、石村先輩って部長さんだったんですか?」
「ちょ、お前・・・まぁええわ。じゃぁロングトーンするぞ。いつもの通りドからドや。ええな。」
「「「「「はい!!」」」」」
石村は一瞬戸惑ったが開き直り取り仕切る。勿論、並びも交代だ。石村・浅井・島岡・松島・三浦・大原の順に並ぶ。
「さんーしー」
久しぶりの石村の号令でロングトーンが始まった。
6本のホルンの音が学校を包む。そして、リップスラー・分散和音・タンギング・音階へと続く。いつものフルメニューだ。
そして最後にF長調の和音をする。島岡・大原でF、浅井・松島でC、三浦はAだ。最後に石村がオクターブ上のFで入る。ピッチ、音量のバランスの取れた澄んだ綺麗な和音である。まるで一本のホルンで奏でられている・・・そんな和音であった。
音楽室への帰り道、三浦は島岡に聞いてみた。
「島岡先輩、引退と言っても勿論コンクールには出ますよね?」
島岡は三浦に振り返るとボソッと言った。どこか寂しげな顔だ。
「先のことは・・・分かれへんなぁ~」
「え?」
その言葉と表情を見た三浦は、一抹の不安を感じたのであった。
『合同』一日前に初めて6人が揃いました。しかし、最後の島岡の言葉。三浦は『何かある』と感じたようですが・・・