第7話 基礎の基礎の基礎・・・
第7話 基礎の基礎の基礎・・・
音楽室の黒板横の時計は3時40分を指していた。
部長の南川がグランドピアノの前に立つ。
彼から見て右の窓側は金管パートの部員(主に男子)、左の入り口側は木管パートの部員(主に女子)、正面にはパーカッションパートの部員が座っている。
「今日の連絡事項は何かないですか?」
「はい!」
南川の言葉に岩本が挙手をして返事をする。
「今日から二人、新入部員入ります。三浦君、鈴木君。名前とパート紹介よろしくね。」
岩本の言葉に促されて、二人が席を立った。
「1年2組 三浦浩一と言います。ホルンパートに入りました。よろしくお願いします。」
「1年2組 鈴木健二。トロンボーンです。お願いします。」
二人が挨拶すると「こちらこそ」や「ようこそ~」の声と共に大きな拍手が起こる。
「他にありませんか?」
それが鳴り止むと南川の再度の連絡事項の有無を問うが返事が無い。
「では、今日もよろしくお願いします」
「「よろしくお願いします」」
吹奏楽部独特の元気の良い挨拶が終わると、皆移動を開始する。
「よっしゃ、三浦。ほな行こか。」
後ろから島岡が三浦に声をかける。
三浦は、「はい!」という元気な声を出して島岡の後に続くのであった。
(どんな練習するんやろ?)
三浦は不思議に思った。島岡の手にはメトロノームのみ。別段楽器など持ってきていない。
そのまま渡り廊下に出るとメトロノームをグラウンド側に置いた。
「んじゃまず呼吸法から学ぼうか。」
「呼吸法?」
「そそ、これからせんと話にならんからな~確か三浦は初心者やったよな。」
「はい」
「でや、楽器を吹くときは腹式呼吸ちゅうてお腹で呼吸するねん。」
(お腹で呼吸ってなんやろ?)
三浦は島岡の言葉に不思議な顔をした。
「ん~、俺も説明が悪いな。普段呼吸しているのは胸式呼吸ちゅうてな肩というか胸で息しとるねん。一回深呼吸してみ。」
島岡の言葉に三浦は深呼吸をした。その深呼吸の途中で島岡は三浦の肩に手をそっと置いた。
「ほら、肩が上がったり下がったりしてるのが判るやろ。」
確かに肩に意識をして深呼吸すると肩が上下に動いていることが判る。
「でや、楽器を吹くときは胸式やのうて腹式を使うねん。腹の底から声を出すちゅうかそんな感じやな。しっかりした音が出るで~。一回お腹に手を添えてな、吸うときにお腹を膨らませる、吐く時はお腹をしぼめる、ちゅうの意識してやってみ。」
三浦は言われるままに腹に意識を向け、深呼吸をする。
(膨らまして~しぼめて~膨らまして~しぼめて・・・)
暫くしていると島岡から「はい、やめ~」と声が掛かる。
「どや、意識してすると差が判るやろ。」
「ええ、まぁ」
「じゃぁ一回俺の腹の上に手を置いてみ」
三浦は言われるまま島岡の腹の上に手を置く。
するとその腹は風船が膨らんだように見る見るうちに大きくなった。自分の比ではない。
そしてしぼみ方もすごい。見る見るうちにしぼんでいった。
「とまぁ、これがお手本や。これくらい無意識でできる様になったら合格かな。」
さらっと島岡が言うが、それが合格ラインということに三浦は驚いた。
「そんなに驚かんでも・・・いますぐちゃうで、いずれわってことや。一朝一夕でできるもんちゃうしな。毎日意識してやったらええ。まぁ、腹式呼吸は男が有利にできとるさかいにな」
「なんでですか?」
「案外自然としてる場合が多いんや、男の場合。女の場合やと熟睡してるときくらいしかせえへんみたやで。」
「へ~」
三浦が納得してそう言うと、島岡はメトロノームを手に取りぜんまいを回し始めた。
「このまま練習してもええけど、せっかくやしこれ使おうか。」
手にしたメトロノームを廊下に置き動かし始めた。錘は60を示している。※1
「4拍でゆっくり吸って、8拍間で吐くんや。吐くときは肺の中の空気全部吐き出すつもりで。勿論、腹式意識してや。」
三浦がうなづくと島岡は「いちにーさんしー」と数え始めた。
三浦はお腹に意識を集中し4拍間でゆっくり息を吸う。
そして、8拍間息を吐くがなかなかこれが苦しい。ペース配分を間違えると最後まで息が続かない。
次のサイクルで吐く量を少し落としてみた。4サイクル目で島岡は「ストップ」と言う。
「大体はええな。ただ8拍と言うのは9数える直前までやで。今のやったら7拍と3/4や。あと・・・」
今までのほほんとしていた島岡が豹変する。目つきが鋭く厳しい。
「息は全部吐かんかい!練習にならんやろうが!7拍までしか息が続かんでもさらに1拍は無理やりに拍きだすんや。ほら、もう一回!」
「は、はい」
音楽室とは全く違う雰囲気の島岡に三浦は圧倒された。
そこからはがむしゃらである。2サイクルでも相当きつい。
それを4サイクルを4セット行った。たかだか5分も満たない時間であるが息絶え絶えである。
「よし、ちょっと休憩ししよか。」
島岡も一緒にやったらしく、息が荒い。
「しかし、これきついですねぇ。」
三浦は思わず愚痴をこぼした。
「そやろ、俺も初めこれきつくてな。でも、今でもきついわ・・・なんでやろ?」
島岡は三浦の言葉に同意するように言った。雰囲気は先ほどののほほんとした様子に変わっていた。
(なんでやろって・・・ドンだけ息吐いてるんだ、この人は・・・)
そう、島岡は三浦に付き合いながら全力で腹式呼吸を行っていたのである。
お互い息を整ったと思ったころ島岡は言った。
「今度は、4拍で息を出し切ろうか。一気に吐かんと全部でんからな、気をつけろよ。」
「はい」
この調子で30分程腹式呼吸の練習を続け、二人とも息絶え絶えになっていくのであった。
※1 1分間で鳴る数を示しています。60ということは1拍1秒。
初めて教えてもらった腹式呼吸で三浦君は息も絶え絶え。さて彼は何時になったら楽器を持たせてもらえるのでしょうか。




