第62話 基本ってなんだっけ?
第62話 基本ってなんだっけ?
その日いつもの渡り廊下に、三浦・島岡・松島の3人の姿があった。こうして3人が並んで基礎練習をするのも久しぶりである。少し離れたところには石村・大原組が基礎練習を始めている。
「ほな、さっそくロングトーンやろか~」
「「はい」」
島岡の声に二人は元気良く返事をする。廊下の反対側にあるメトロノームが「60」のスピードで「カッチ・・・カッチ・・・」と音を立てる。
「さんしー」
島岡の掛け声でロングトーンが始まった。
このロングトーン、始めはいつもの事であるがあまりピッチが揃っていない。しかし、続けるしたがって、主管を調節したり聞きもって音を合わせてやっていたのであるが・・・
(全然合わん・・・なんでや?)
島岡はいつもならば自然とピッチが合ってくるのに今日に限っては全然揃ってこない。確かに、三浦・松島はロングトーンの合間に調整をしているが、前ほどピタッと合わないのだ。
(俺がおかしいんかな・・・)
島岡はふと自分を疑ってみる。久しぶりに3人でやった為、二人に自分が合ってないのではないかと思ったのである。
余り主音となる島岡が動くのは好ましくないのであるが、二人の音を聞きもって吹く。
しかし、二人とも微妙に合っていない。どちらかという松島のほうが島岡のピッチに近い感じがした。
(ん~、もうちょっとロングトーンやったら感もどりよるかな?)
島岡はそう思い一回ロングトーンを止める。
「もう一回、初めからやろか。」
「「はい」」
二人は島岡の声を聞くと直ぐにロングトーンをやめ、返事をする。
(あれ・・・そんなに悪かったんかな・・・いつものようにやったんやけどな・・・)
(また、島岡の悪い癖が始まったな。まぁ、ええ。やろか。)
と、二人は返事と違った思いがあった。
「さんしー」
島岡の掛け声の後、ロングトーンが始まる。これで4回目のやり直しである。既に基礎練習を開始して1時間を越えている。
(何時まで続ける気なんやろ・・・これじゃ、いつまでたっても『エルカミ』練習でけへんやん。)
三浦はうんざりしたようにそのロングトーンを続ける。そんな三浦の気持ちを気にせずに島岡や松島は当然と言わんばかりにロングトーンを行う。
しかし、島岡の心の中は穏やかではなかった。彼はこっそり三浦の吹いている様子から、彼のやる気の無さを感じ取り少しカチンとしていた。彼としても今日の基礎練習は軽めに切り上げて、パート練習に移りたかったのである。
(なんや、三浦は・・・以前できてたところが出来てへんのに面倒くさそうに吹きやがって。)
そう思った島岡は、これ以上やっても無駄だと思い結局ロングトーンを最後までやって終了したのである。最後までロングトーンが終わったので、三浦の顔から安堵の雰囲気が漂ってきた。島岡はさらに不機嫌になるが、そこはぐっとこらえる。
「もう時間もあれやし、教室いこか。」
「「はい」」
二人は元気良く返事をするが、三浦の心の中では違う。
(もう、誰のせいで時間なくなったと思ってるんですか・・・)
しかし、一番の被害者は松島であった。素早く二人の雰囲気を読み取り、こりゃやばいな~と思っていたのである。
少し横では大原と石村が良い雰囲気でタンギングの練習に勤しんでいたのであった。
教室に移動した3人は楽譜を広げる。島岡はメトロノームを『エルカミ』の前半部のテンポに調整する。メトロノームは「カッチカッチ・・・」と早い動きを示す。
「じゃぁ、旋律の後の打ち込みしよか~」
「「はい」」
島岡の声に二人は返事をする。ここでも三浦の心境は穏やかでない。
(なんでそんなとこやるんやろ・・・旋律とかその後の対旋律とかの方が重要ちゃうんかな?)
しかし、島岡の指示は打ち込みのところである。三浦はその部分を見る。
(なんや、ただの打ち込みと後うちやん。練習してへんけど余裕余裕。)
そして、島岡の「さんしー」の声でその部分が演奏される。
ンタタッタタンタッタタタ ンタンタンタンタンタンタ・・・
「三浦、リズムちゃうぞ~もう一回」
教室内に島岡の声が響く。三浦は「はい」と大きな返事をした。
(うわ、ここ裏拍と正拍微妙に入れ替わってるやん。失敗失敗・・・次こそは)
三浦はちょっとばつが悪そうな顔をしたが、気を取り直してホルンを構える。
「さんしー」
ンタタッタタンタッタタタ・・・
「やめっ。三浦、走ってるで。もっとメトロノームでリズム取れ。松島、ピッチ若干低い。もう一回」
「「はい」」
こうして久しぶりに島岡の『鬼軍曹』モードが入る。
「三浦~ここ打ち込みやぞ?もっと跳ねんかい。松島~心持、音量落とそうか。」
「「はい」」
「三浦~音量でかすぎや。デモテープちゃんときいたんか!」
「はい」
何回も同じフレーズを繰り返すが、もう松島に指示は飛ばない。全て三浦に対してになる。
「ピッチおかしいぞ。」
「走ってるぞ、何回やってんねん。」
「アタック強すぎや。曲つぶす気かい!」
「は、はい・・・」
島岡の鋭い指摘に三浦はもうたじたじだ。しかし、島岡としてもこんなところで躓くとは思っていなかったので、フラストレーションがどんどんと溜まっていく。そして・・・
「三浦~お前個人練なに練習してたんや!全然出来てへんやないか!!」
ついに島岡が大声で怒鳴る。しかし、三浦としても個人練習をサボっていたわけではないので、この言葉にはカチンときた。
「してますよ。ここ練習する時間無かっただけですやん。」
「はぁ?時間無かったって・・・中間試験抜いても1週間個人練してたんちゃうんか?そんな言い訳通るかい!」
三浦の言い訳に島岡は切って捨てる。だが、三浦はなおも追いすがる。
「無かったものは無かったんです。唯でさえ旋律難しいのに、こんな所練習するはずないでしょ!」
「こ、こんな所ってお前・・・」
三浦の言葉に島岡は絶句する・・・が、何とか言葉を発した。それは怒気のない小さな声であった。
「もうええわ。なんや、俺・・・間違えたんやな。勝手に練習せえや。」
そういうと島岡はホルンと楽譜を持ち教室を出て行った。
メトロノームは虚しく「カッチカッチ・・・」と音を教室に響かせている。
いつの間にか、考え方の違いですれ違った二人。さて、ホルンパートはこの先どうなるんでしょうか。




