第60話 もう一つの難曲・・・
第60話 もう一つの難曲・・・
中間試験も終わった日の放課後、再び音楽室はがやがやと騒々しさを取り戻す。
「何か連絡事項はないですか?」
いつもの部活開始前のミーティングの時間。グランドピアノの前に立った南川が言った。それに反応して手が挙がる。挙手した人物は坂上だ。銀縁の眼鏡が彼の知的さを引き上げる。
「坂上君どうぞ。」
南川がそう言うと、坂上は立ち上がり眼鏡をくっと直して発言する。
「待望の『展覧会の絵』の楽譜が届きました。ミーティング終了後パート長は取りに来てください。」
「「お~~」」
その言葉に皆は喜びとも驚きとも付かない声を上げる。決まってから2週間近く経っているからだ。
「じゃぁ、練習はじめんで。よろしくお願いします。」
南川は皆の声が小さくなるとすかさず号令をかける。
「「よろしくお願いします。」」
それに釣られ皆も返礼をする。一週間振りのいつもの騒がしい光景である。
「早速譜面貰ってきたで~」
島岡は結構な枚数の楽譜を抱え三浦・松島・大原の元に向かう。
「それ・・・結構枚数多くないです?」
「やな~一人何枚あるんやそれ?」
三浦と松島はちょっと嫌な顔で言う。
「そやな・・・9ページってとこやな・・・」※1
「「きゅ・・・9ページ!!」」
二人とも大きく驚く。大原はその声を聞いてキョトンとしている。良くわかっていないようだ。
「え、エルカミでも3ページやで・・・」※2
松島は思わず呻いた。
「・・・しゃ~ないやん、曲が曲や・・・三浦、お前トップ吹くか?」
島岡は1st譜面を見ながら言った。
「ななな、なんでですのん。いくらなんでも・・・」
「ほれ」
島岡は三浦の言葉を途中でさえぎり、おもむろに譜面を渡す。当然1stである。
「こ・・・これって・・・」
三浦が一番最初に見たページは最後の曲である『キエフの大門』だ。そこには・・・
「なんですかこれ。ず~とハイB♭の吹き伸ばしですやん・・・」
そう、そこにはロングトーンのごとく、曲の冒頭からハイB♭の吹き伸ばしが書かれていた。全音符で2小節のタイで永遠と・・・
そして駄目押しの島岡の言葉。
「ちなみに、『ババヤガ』と『キエフの大門』の間に休みないから・・・だから、三浦やれ・・・おまけにホルンソロもあるしな。」
「ホルンソロ!?」
島岡の言葉に三浦は必死にその場所を探す。だが、どこにも「solo」の文字がない。
「ホルンソロなんてないんですやん。」
三浦は探せどもその場所を見つけることができない。しかし、島岡は2ページ目の一番上の所を指差した。
「ここや、ここ。」
そこには『プロムナード』と書かれていた。2ページ目なので『第二プロムナード』であろう。
「ほれ、頭のプロムナードはラッパのソロなんやが・・・ここはホルンソロなんや。無伴奏の・・・」
「無伴奏って、まさかホルン1本だけのソロですか。」
「そうや、楽章ど頭のホルン1本だけのソロや。どや、なんかワクワクしてきたか?」
島岡の言葉を聞いた三浦は、その光景を頭に思い浮かべた。
広い舞台だが人数故にひしめき合っている場所で、第一楽章に当たる『小人』が終わった後、舞台も観客席も音を発しない静かな時。指揮者はこちらを向いて「落ち着いてと」目で訴えかける。こちらも準備完了と目で合図を送ると、指揮者が静かにタクトを振る。そして一発目の音が・・・ピッチが低い?!!
(さ、最悪や・・・)
大失敗の様子を思わず描いた三浦は顔を青ざめる。
そしておもむろにそのソロの箇所を見る。そこには見慣れない記号が・・・いや、見たことはある。しかし、ホルンの楽譜としては初めて見る記号だ。
「島岡先輩・・・」
「なんや?やる気になっ・・・えらい顔色悪いな・・・」
「いえ、そんなことはどうでもいいんです。これこれ・・・」
三浦はそういいながら問題の記号を指をさして島岡に見せる。松島も大原も思わず覗き込む。
「なんや、ただのへ音記号やん・・・へ音記号!俺も見落とし取ったわ・・・」
「「ええ!!」」
島岡もこれには驚いたようだ。松島も一緒に驚く。大原は・・・良くわかっていないが驚いた。さすがはホルンパートの一員である。
「これ、音なんになる。・・・ここがドやからドシラソファミレドシラソ・・・下のCやな・・・F管でぎりぎり出る音やな。」
島岡は音を確認し、ホルンを持ち出す。いつものロングトーンで始まるFから1音づつ下がっていく。そしてその音はいつものロングトーンで折り返すFを過ぎ、とうとうCまでかなり低い。この音になるとF管でも開放ではない。1・3番を押す。※3
「やべ、ピッチまともに取られへんやん、これ。三浦~チューナー持ってきてくれ。」
島岡は吹くのを辞めると三浦に言う。それを聞いた三浦はロッカーに向かいチューナーを取って戻ってくる。そして島岡はもう一回その音を吹いた。
「・・・これって・・・」
三浦は必死にチューナーをベルに近づけるが、針がピクリとも反応しない。音が低すぎてチューナーが反応でしないのだ。さらに島岡は音量を上げるとようやく針が反応するが、直ぐに元の位置に。島岡もそれを確認すると楽器から口を離した。
「ソロよりもこの低音出すのが問題やな・・・あとでスコアーで確認してくるわ。チューバとかが同じ音であるんやったらなんとか合わせれるんやけどな。」
さっきまで三浦に1stを押し付けようとした島岡は、そのことを忘れぼやく。
心なしか三浦はホッとしたようだ。
ちなみに、ここでこの動きをするのはホルンだけである・・・チューバの支援はない。
しかし、この曲も『エル・カーミノ・レアル』とは違う意味で難曲である。
例えば・・・
(リモージュの市場より)
「この3本の斜線ってなんです?」
「あ、それな・・・32分でタンギング付けってことらしいで。」
「これ・・・めちゃめちゃ早いですやん」
「早いな・・・ダブルタンギングでも追いつかんかもな・・・」
(鶏の足の上に建つ小屋 - バーバ・ヤーガより)
「ここのフォルテシモってどれくらいの音量いるんです。」
(島岡はスコアーをみて)「これか・・・トロンボーンと同等の音量みたいやな・・・交互に吹くみたいや・・・」
「向こうには大沢さんが・・・」
「いうな、俺も困ってる・・・」
など、無茶のオンパレードである。しかし、彼らはそれをこなさねばならなかった。
「お前ら~明日から厳しくいくぞ。」
「「「はい!」」」
しかし、彼らの士気は高かったのである。
※1 これは記憶が正しければです。譜面は実家にあるので正しい枚数を把握していません。しかし、『バーバ・ヤーガ』~『キエフの大門』は3頁であることは克明に覚えています。ですので、この頁数だと思われます。
※2 これも記憶があやふやです。4頁だったらごめんなさい。
※3 F管ではこの下のH(1・2・3全部押し)が限界・・・ではなく、B♭管でさらに下の音が出ます。ホルンの音域は広いです。
とうとうそのベールを脱いだ『展覧会の絵』。『エル・カミーノ・レアル』よりも彼らを苦しめます。しかし、彼らはやる気満々です。
ところで、三浦のホルンソロの想像シーンですが・・・あれ私の失敗談です。今でも克明に思い出します。。。