第37話 高原の『幻』
第37話 高原の『幻』
ロッジアサヒ、今年お世話になるロッジである。
建物としては二階建ての古い建物であるが、客間・食堂と部員及びOBたちが大挙で押しかけてきても、大丈夫のようだ。最大の目玉は地下にある広間である。シーズン中であればスキー板を乾かすための場所であるが、合奏するのに十分な広さがある。
さて部屋割りであるが、階段を上がり左が男子4部屋、右は女子6部屋となっている。男子部屋のうち2部屋は襖で仕切っているだけで、ある意味3部屋だ。残りの男子部屋と女子部屋は4~6人が泊まれる個室風になっている。顧問とOBは1階だ。ただ、まだOBは誰も着ていないので空室である。
「荷物置いたら広間に集合な~」
南川が廊下を練り歩きながら大声を出していた。三浦はちょっとした修学旅行みたいな感じでウキウキだ。鼻歌を歌いながら荷物を置き、地下広間へと向かったのである。
「私はあまり口やかましくは言わないが、今高生として適切な行動を取るように。特に、深夜に騒いだり、ロッジのスタッフの皆さんに迷惑をかけないように。」
古峰から合宿時における諸注意の後、小柳先生の短い注意が終わる。とわ言え、皆修学旅行気分である。夜中に大騒ぎはしないとは思うが、こそこそと語り合ったりはするであろう。
「松島~三浦~、夕飯まで時間あるから、ちょっと基礎練しよか~こんな広いところで吹けるんや、気持ちええで~」
島岡はさっそく広間に置かれている楽器を取り出すとそう言った。
「いいですねぇ、いきましょ~」
「お前~、こんなところに来てもさっそく練習かよ。まぁ、ええけど。」
三浦と松島は異なる言葉ながらも同意すると、さっそく自分の楽器を探し、取り出した。
他のパートはゆっくりしていたが、島岡に煽られてか、そそくさと楽器の用意するのであった。
三浦はロッジの外へ出る。そこは広々としていた。大阪と違い空気も美味い。そして、人は島岡と松島だけだ。まるで、この高原を貸しきった様に思えた。
島岡はメトロノームをいつも様に動かす。「カッチ・・・カッチ・・・」という音が、寂しく鳴る。学校で吹いてるときにはそう思わなかったが、ここではそう思えたのだ。
三浦はここでいつもの音量では似つかわしくないと思い、フォルテシモでのロングトーンを行う。島岡・松島も同様だ。二人とも同じことを思っていたかもしれない。3つのホルンから大音量が鳴る。しかし、この高原はその全てを吸収し、音を遠くまで飛ばさなかったのである。
「はは・・・木が音をぜ~んぶ吸収しよる。こうなったら・・・」
島岡がそう言うとハイトーンを吹き始める。高音の為、ホルンの咆える様な勢いのある音だ。
「あれ、この曲・・・」
「三浦~、俺ら楽できそうやな。」
島岡の吹いた曲はバックトゥザフィーチャーのあの旋律だ。あのハイE♭も鳴っている。そして、最後のスフォルツァンド・ピアノ・クレッシェンド・フォルテシモの音は、木霊となって高原に響く。※1
(これでまたファン増えたかも・・・)
三浦は感動しながらも、また別の心配をするのであった。のちに麓の人々から『幻の音色』と言われたとか言われなかったとか・・・
やたら女子の熱い視線の多かった夕飯を終えた島岡・三浦・松島の3人は、のどを潤すため自動販売機の前にいた。
「しかし、えらい古い自販機やな。」
松島が言葉を発した。その自動販売機は結構大きく、受け取る穴の近くに栓抜きが備え付けてある。横にはビンを入れる箱があった。
「へ~ミルクセーキとコーヒー牛乳とオレンジがあんな。ミルクセーキなんて珍しいやん。一本買ってみよ~」
島岡はそういうと財布から100円玉を出し、ミルクセーキを買う。やはりビンで出てきた。『ヒメイン』と書いてあるそのミルクセーキは、どこか懐かしさを感じる。
「なんじゃこりゃ、美味いやん。」
島岡はそのミルクセーキを絶賛すると、三浦と松島も釣られて買う。
「ほんまや、甘いけど、くどくないやん。」
「こんな美味しいミルクセーキ初めて飲みました。」
松島、三浦も同じく絶賛した。
「こりゃ、ホルンパートの秘密やな。」
「「当然!!」」
しかし、次の日から合宿終了日までそのミルクセーキはなかった。合宿後も『幻』のヒメインのミルクセーキを探す部員たちなのであった。ちなみに、コーヒー牛乳も合宿終了待たずして完売した。
草木も眠る丑三つ時、夜静まったこのロッジであるが、1つの動く影があった。
(やっと先輩たちから解放されたよ~。先輩、待っててね~♪すぐにそのキュートな寝顔見に行くから~♪)
大倉であった。姿こそパジャマではなくジャージにピンクのトレーナーといういでたちであるが、その背の低さと愛くるしい顔でまったく野暮ったくなかった。髪も下ろしており、ちょっと色っぽさもある。
睡眠薬入り?のお菓子で同室の古峰・岩本・犬山を眠らした大倉は(犬井も居たが必要性無し)、こそっと部屋を出る。
向かうは階段向こうの島岡の部屋だ。廊下は非常灯のみで暗い。ちょっと気の弱い子なら涙目だろう。しかし、大倉には微塵もそんな気配がない。ちょっと顔を赤らめて「うふふ・・・えへへ・・・」と何か想像しながらゆっくり進む。廊下はカーペットの為、足音はしない。
階段の前で止まり下の気配を探る。先生もぐっすり寝ているようだ。さらに足を進め扉の前に来る。
島岡の部屋は、三浦・松島・辻本の4人部屋だ。そっと、扉を開ける。4人はぐっすり寝ているようだ。すぐ近くの布団には・・・愛しの島岡の姿があった。「すぴー」と可愛いいびきをかいている。大倉はもう大興奮だ。その布団にもぐりこむべく、足を進める。
とんとん。
後ろから肩を軽く叩かれる。当然、興奮状態の大倉は気づかない。さらに足を進めようとする。
とんとん。
再び、叩かれるが無意識にその手を払う。
「おい!なにやっとる!」
小さいが怒気のある声がする。
その声に聞き覚えのあった大倉は、大きな冷や汗をかいた。「ぎぎぎっ」と古びた扉の音がするように首を後ろに回すと、目には・・・小柳先生の姿が映ったのであった。
こうして大倉の添い寝は『幻』に終わった。
廊下でみっちり先生から説教を受けた大倉は、(まけないもんっ!)と心の中で叫ぶのであった。
合宿1日目はこうして終わったのである。さまざまな『幻』を振りまいて・・・
※1 スフォルツァンド・ピアノ・クレッシェンド・フォルテッシッシモ(sfp<fff)。その音を特に強くの後直ちに弱くし(スフォルツァンド・ピアノ)次第に強く(クレッシェンド)、最後はできるだけ強く(フォルテッシッシモ)という意味。長ったらしくてすいません。記号だと短いです。
色々な『幻』を出現させた(?)今高高校吹奏楽部。夏合宿はまだまだ始まったばかりです。




