第36話 波乱の幕開け
第36話 波乱の幕開け
まだまだ夏真っ盛りの8月のある日、今高高校の校門には観光バスと人だかりがあった。
島岡の大きな声が聞こえる。楽器部々長として、楽器運搬の指揮を取っているのだ。このときばかりは、部長の南川も指揮者の柏原も黙々と指示に従い楽器を運搬している。
この部は運営は南川、技術系は柏原、楽器運搬は島岡、と状況に従い最高指揮が変わるのがスタイルだ。さらに、楽譜の坂上、渉外兼マネージャーの岩本、全体サポートの古峰、会計の三村(普段は引っ込みじあんであるがお金に関しては細かい)と充実した人材が居る。更科が言うには『運営に掛けては全国金』の太鼓判付である。100人規模の楽団となっても問題なく運営できるであろう。
ベードラやティンパニーは、ダンボール箱で作成した手製の楽器入れに格納され、観光バスのキャリアに入れられていく。格納できない楽器類は、観光バスの最後部の座席へとどんどん入れられる。
三浦は、島岡がコンクール前のいつもの島岡の姿になっているのを見て安堵した。休み中に何があったかは知らないが・・・
楽器の搬入も終わりさらに人の搬入も終えた観光バスは、一路新たな舞台である『ハチ高原』へと向かう。ハチ高原は兵庫県北部にあり、冬場は近畿のスキー場のメッカとして多くの人が集まる。夏場はそのロッジを利用して、多くの学校のクラブが合宿場として使用しているのだ。
「島岡先輩、休み中は何してたんですか?」
バスの中、前席にいる島岡に体を乗り上げて尋ねた。三浦の横には1年の大倉、島岡の横には古峰が座っている。座席はくじ引きで決まっている。
「あ~・・・あれや、家の仕事が大変やったんで手伝っとったんや。ほれ、俺の家、お好み焼きやしてるやろ。昨日もな、昼11時から夜の1時まで仕事したからくたくたやで。」
島岡は苦笑いして答えた。
三浦は初耳だったが、横の古峰は「そういえばそうやったね」と納得顔だ。
「へ~、じゃぁ、今度食べに行っていいですか~♪」
大倉が屈託した笑顔で言う。
「俺がおらんときにきーや。なんか知り合いに働いているとこ見られると恥ずかしいわ。」
島岡は顔を掻きながら苦笑いし、答えるのであった。
暫くすると、周りはまだ遠足気分で騒々しい中、島岡は寝始めた。
「あら、この子ほんま疲れてるんやね。」
古峰は島岡の状態に気付くと、そっとひざ掛けを島岡に掛けてあげた。
「あれ~、姉さん、今日はえらい優しいんですね。」
三浦はニヤニヤしながら後ろから言った。横の大倉も小悪魔じみた笑い顔をしている。
「もう、そうやって先輩をからかうんじゃないの。第一、向こうがその気にならないんじゃ、どうしようもないじゃない。」
「え~、そうですか?姉さんに好かれたら、どんな男でも一発で落ちると思うけどなぁ・・・」
確かに古峰は知的な美少女だ。性格はアレだが・・・
「そういう問題じゃないの。この子はね、すごく不器用だから、どこまでも一つのことにしか集中できないのよ。1年のときからずーとホルン一筋。確かにいい男なんだけど、恋人としては落第点ね。」
「そういわれると、そんな気がしますね・・・でも、島岡先輩を好きな人って結構いますよね?」
「それはホルンを吹いている島岡君が好きなだけであって、島岡君自身ではないと思うのよね。あの姿は私でもヤバイわね。でも、普段はこれよ・・・」
古峰はそう言って、島岡の寝顔を指差した。確かに間抜けな顔だ。
「た、確かに・・・」
三浦は納得して言ったが、横からトンでもない爆弾発言が聞こえた。
「そのギャップがいいんじゃない、ちょっと頑張ってみようかな~♪一つのことに打ち込める男の人って素敵だし、この寝顔も可愛いし~♪先輩、席代わってくれません?」
大倉はニコッと笑うと、三浦は思わず「ドキッ」とした。
(うわ~大倉ってめちゃくちゃ可愛いからな。もうしかしたらもしかするんちゃうかな。)
そんなこんなで盛り上がりながら、観光バスは中嶋が持ち込んだ「嘉門達夫ベスト」を掛け目的地に向かうのであった。※1
一番前に座っている顧問の柳原は、曲を聞いて少し顔を顰めていたが・・・
観光バスは何事もなく、目的地近くの駐車場にそろそろ着こうとしていた。
島岡は本当に疲れているらしく、ずっと眠ったままだ。
「先輩、着きましたよ~♪早く起きてくださ~い♪」
大倉の可愛い声に反応した島岡は、ぼーとしながら起きる。
「なんや、もう日本着いたんか。」
まだ、島岡は寝ぼけていた。
「ん~~~ず~と日本ですけど?何の夢見てたんですか?」
島岡の寝言にも健気にも大倉は返事をした。
「あ・・・そうかそうか、合宿場に着いてんな。ってなんで大倉が横なん?出るときは古峰だったと思ったんやけどな。」
「え~~~と~~、先輩のいびきがうるさいって古峰先輩が言ってたので代わったんです~♪」
大倉はしれっとそういった。後ろからは「あんたちょっと・・・」と古峰が言っていたが、三浦に「まぁまぁ」と押さえ込まれていた。
「そうやったんや、すまんな~かなりうるさかったやろ。前に妹にも『うるさいわい』って言われたからな・・・」
「え~~、そんなこと無かったですよ。それに先輩の寝顔可愛かったし~♪」
大倉は極上の笑みで言う。普通の男ならイチコロであろう破壊力であるが、相手が悪かった。
「大倉~、寝顔の観察なんて面白い趣味持ってんなぁ~」
島岡はあくびをしながらそう言うと、バスは停止した。目的地に着いたのであろう。
「よっしゃ、一仕事するか~、大倉~前通るな~」
気合を入れた島岡はそう言うと、さっさとバスを降りたのである。
後に残された大倉は唖然とした顔をした。そして自分を取り戻したあと小声で「まけないもん」と言うと、楽器運搬の指揮をしている島岡をそっと見つめた。そこにはホルンを吹いているときに近い姿の島岡が立っていたのであった。
三浦は二人を見て、これは合宿で一波乱ありそうやなぁと思ったのである。
「こらぁ~三浦~、とっとと運ばんかい。」
「あ、はい!」
島岡に注意された三浦は、急いで楽器を持って目的のロッジに向かったのであった。
※1 このころはまだ『替え歌メドレー』はありませんでした。
島岡のいつもの姿に安堵した三浦であったが、今度は違う心配をするのであった・・・本当に三浦君は心配性ですね。
ちなみに、冒頭の楽器部は間違いではありません(笑)楽器運搬時には部長の権限も超えるという意味合いで、そう言っていました。