第27話 初披露
第27話 初披露
それは、試験休みもそろそろ終わる終業式一日前のことである。
音楽室で楽器の準備をしていた三浦は、後ろから島岡に声を掛けられた。
「三浦~、これ楽譜や~。とりあえず渡しとくで~。」
島岡の手には1枚の紙があった。
「これ、なんですのん?」
三浦は不審に思って、その紙を受け取った。コンクール前のこの時期に新しい曲をするとは思えなかったからだ。
「校歌や。」
「校歌?」
三浦はその紙を見てみた。そこには表題に「今高高校学校校歌」と書いてあった。
原譜は手書きであったであろうその楽譜は、比較的簡単なものに見えた。高い音もなく後打ちと打ち込み位である。初見でもできそうに思えた。※1
「そうや、今日の合奏の最後にこれするからな。お前は下吹いてな、俺は上吹くから。」
島岡に言われて音符を見ると、2つ符頭が付いている。下の音を吹けということであろう。
「でも、なんで校歌なんて吹くんです?」
「なんでって、明日校歌吹くからに決まって・・・あ、そうか。そういえば言ってなかったな。」
「?」
「うちらはな、始業式と終業式には校歌の伴奏するんや。」
ああ、なるほどと三浦は思った。しかし、入学式では校歌斉唱の伴奏はピアノであった事を思い出した。
「でも、入学式では校歌斉唱の伴奏はピアノでしたよ?」
「グラウンドにピアノ運べるか?」
「ああ、そっか。」
三浦はその言葉で納得した。そして島岡は続けて言う。
「それに学校行事で演奏すると『ブラバン特権』が発動するからな。明日は楽できるで~」
「『ブラバン特権』?」
三浦は再び怪訝そうに聞いてみると島岡は答えた。
「まぁあれや、演奏ご苦労さんってな感じのご褒美みたいなもんや。明日になったらわかる。一応、一通り楽譜は見とけよ~」
島岡はそう言うと「ほな、基礎練始めよか」と言い、そのまま音楽室を出て行った。
三浦はその後に続くのであった。
その日の合奏は河合さんが指揮をしていたが、終わり間際になると柏原が指揮台の上に立った。
「じゃぁ、校歌一回流して終わろか~」
柏原はそういうと、皆楽譜の準備を始めた。一部の部員は用意すらしない。暗譜しているのであろう。
三浦も楽譜を用意すると、一通り譜面を見る。今日は基礎練習と合奏が続き、校歌の譜面を見る暇など無かったからだ。昼休みにその暇はあったが、すっかり頭から離れていたのであった。
しかし、その簡単な譜面にこそ大きな落とし穴があったのである。
(「Horn in E♭」ってなんや・・・?)
さらに音符の上を見ると先代たちの苦悩であろうか、「ド」や「レ」などがかすれた文字でうっすらと見える。
「島岡先輩、これって・・・」
三浦はその問題の箇所を指差し、島岡に聞いた。
「ん?あ~、それか。譜面がE♭なだけやん・・・しもた、教えとくん忘れてた。」
三浦は時々思うことがある。この人、楽器の腕や演奏方法など実務はものすごく優秀なのだが、こういう普通のことをよく忘れる。
額に汗をうっすらと浮かべながら島岡は言った。
「E♭の読み方はな、完全1度落として読むんや。そのままFの様に読んで、FやったらE♭、GやったらFと言う具合に・・・わかるか?」
「なんとなくですが・・・ドだとシ、レだとドなんですよね。」
「大体それでええけど、ファやとAやないで?完全一度落とすから、ファはA♭になるんや。シやとラのDやなくて、D♭になる。ややこしいと思うけどなんとなくでええ、頑張ってや~」
三浦と島岡がそういうやり取りをしているうちに、柏原は指揮棒を構えていたのだ。
二人ともホルンを構える。
三浦は楽譜を見る。さっきまで簡単な譜面面が移調作業をしながら見るともあって、凶悪な英語の長文の様に見える。
柏原の指揮が振られると校歌は、前奏が奏でられる。ちょっとしたマーチだ。
三浦は必死に移調しながら吹くが、たまに音を外す。しかし、柏原は気にすることなく指揮を続けるのであった。
「明日は8時に音楽室に集合な。ちょっと吹いてからチューニングして校庭に並ぶからな。男子部員は
パーカッション手伝うように。以上や。」
南川がそういうと。「お疲れ様でした」「「お疲れ様でした」」の掛け声とともに解散となった。
「島岡先輩、校歌の楽譜持って帰っていいですか?」
「まぁ、ええけど?但し、譜面にドレミ書き込むの禁止な。」
島岡はニヤニヤしながら答えた。
「え~、そんな~」
「うそやうそ、あんまり褒められたことちゃうけど、今日の明日や。かまへんで。でもいっぱしのホルン吹きやったら、E♭くらい普通に読めんとあかんけどな。」
「そうなんですか?」
「ああ、オリジナルとかはFがほとんどなんやけど、マーチとかはしょっちゅうE♭でてくるからな。その度にドレミ書くつもりか?んなわけないやろ。せやから今回だけ特別や。」
「はい、判りました」
そういうと三浦は楽譜を持って家に帰るのであった。
全校生徒が校庭に並ぶ中、吹奏楽部の面々はその校庭の隅で並んでいた。
担任には既に通達されているのであろう、特に三浦や鈴木を探しては居なかった。
楽器は既にチューニングを完了し、そのまま一度校歌を通している。
校長の長くもなく短くもないスピーチが終わると、先生の離着任の挨拶が始まる。
そして生活指導の先生から夏休みの注意を受け、次はいよいよ校歌斉唱だ。
考えてみたら人前で演奏するのは三浦にとって始めてである。
このちっぽけな人数で1500人相手に吹くのだ、少し緊張する。
しかし、横の島岡・松島は普段と変わらない様に見える。「さっさと終わらすか」という感じが見受けられる。
そして、柏原がタクトを構える。全員が楽器を構えた。
タクトの前振りのあと力強い前奏が始まり、校歌の演奏が始まる。
曲を演奏し終わるのに、ものの2分もかからない。
しかし、三浦は初めて人前で演奏したこともあり、ちょっと嬉しかった。
それは簡単な曲であったとしてもだ。
その後、解散となり掃除と最後のHRで終わるわけだが・・・
パーカッションの楽器運びと各自の楽器手入れが終わっても、誰も教室に戻らない。
音楽室で雑談を続けている。
「島岡先輩、誰も教室に戻りませんね・・・」
「そらそやろ、今戻ったら掃除やで。」
「でも、クラスの人に不審に思われるんじゃ・・・」
「ん~ほら、俺ら全校生徒の前で演奏してたよな。」
「ええ、まぁ」
「そして、楽器の片付けとかも見られてるわけよな。」
「そうですねぇ。」
「でや、そういう他の生徒と違うことをしている吹奏楽部や。部員が教室に戻らんでも、他の生徒は「あいつらはきっとなんか違うことしてるんやろうな」って思われるわけや。こっちは遊んでようが、どう思うかは向こうの勝手や、この意味判るか?」
「なんか、あくどいですね・・・」
「昨日、言うたやろ?『ブラバン特権』発動ってな。」
それを聞いた三浦は、そのささやかな特権を満喫するのであった。
だがその特権は、あるイベントでとんでもない効果を発揮することを、今はまだ知らない。
※1 後打ち。判りやすく言うと裏拍のみ打ち込むこと。(正確には違うが)「ズンチャズンチャ」でいうと「チャ」の部分を打ち込む。
初めてE♭の譜面に苦しみましたが、三浦君は校歌とはいえ人の前で演奏する喜びを味わいました。
しかし、次はコンクールという大舞台です。無事演奏することができるのでしょうか?




