第26話 宙を飛ぶ指揮棒
第26話 宙を飛ぶ指揮棒
蝉の声も聞こえる頃、彼らは朝から晩まで合奏に明け暮れれていた。
他の学校では知らないが、この学校では期末試験終了後から終業式にかけて、「試験休み」という期間に入る。要するに夏休みが非常に長いのである。
音楽室からは、吹奏楽部が今年のコンクールの自由曲で演奏する「キャンディード序曲」の冒頭部分が流れてくる。
指揮台の上には河合の姿は見えなかった。代わりに2年生である柏原が立っている。
OBである河合がこれない日は、こうやって柏原が指揮を取る。
だが指揮台に立っている柏原は、いつもの『爆音トランペッター柏原』ではない。
『指揮者柏原』としてまさに「鬼」がそこに立っていた。
「おい、そこ、ラッパか?入るタイミングちゃうわ!!頭からもう一回!!」
曲を止めた柏原は、トランペットの方へ顔を向けず指揮棒だけ指して怒号を飛ばした。
「「はい!」」
トランペットの5人が揃って言う。
そこには5月頃の和気藹々とした合奏の雰囲気はない。
あのバリチューパートでさえ、あのふざけた「耳赤ペン」はしていない。
曲が頭から再び演奏される。
しかし、先ほどトランペットが指摘された箇所に入る前に、柏原は曲を止める。
「そこ、クラ。頭揃ってない!もう一回!」
「「はい」」
今度は、クラリネットの8人が揃って言う。
「あと、ホルン。低音ピッチおかしいで。ちゃんと教えてるんかい!」
「「はい」」
ホルンの5人も返事をする。
吹きたての1年だろうがベテランの3年だろうが容赦なく怒号を飛ばす。
いくら4人が吹けていても1人がダメなら、それはパート長もしくはパート全体の責任である。
そして曲が頭から始まる。そして・・・
「こぉら!ラッパ!そこちゃうちゅーねん!」
先ほど曲を止めたところで柏原が叫ぶと同時に、指揮棒が沢木に向かって飛ぶ。
さすがに沢木に当たることはなかったが、沢木の譜面台に当たった。
それでも5人は怯まずに「「はい」」と返事をする。
落ちた指揮棒を拾った島岡は、無言で前の山郷に渡し、山郷はさらに前の古峰に渡す。
古峰から「すまんなぁ」と言いながら柏原は指揮棒を受け取る。
「ちょっと10分休憩しよか。平田さん、ちょっとええか?」
柏原がそういうと音楽室から出て行く。平田は楽器を椅子に置き、その後を追う。
しかし、音楽室では「キャララキャララ」とクラリネットの音がし、「パララララ」とトランペットの音がする。指をさらっているのである。※1
暫くして柏原と平田が音楽室に戻ると、柏原が黒板に何かを書き出した。
「木管分奏:教室、金打分奏:音楽室」
それを見た木管パートの人たちは用意をし、音楽室から出て行った。
音楽室に残ったのは金管パートとパーカッションパートの人たちであった。
「島岡先輩、分奏って?」
「あ~、お前は初めてやったな。字の通りや。金管と木管が分かれてあわせるんや。さっきみたいに合ってないところが別々の箇所やと、待ってる間他のパート暇やん。せやから効率的に合わす所を分けて練習するんや。」
「でも、柏原さん、木管のところに行ったみたいですけど、こっちは誰が見るんです?」
「ん~せやから、平田さんが呼ばれとったやろ?本来やったらセクションリーダー言うて、木管セクションリーダー、金管セクションリーダーちゅうんがおるんやけど、うちのところにはそれおれへんねん。」
「なんでいないんです?」
「セクションリーダーはな、指揮者と同じくらい能力がいると考えたらええ。大きな所やったら層も厚いしそれなりにできる奴もおるやろうけど、うちみたいな弱小楽団には厳しいやろうな。せやから今回みたいに、最も見ることができそうな人に頼んだんやろうな~」
それを聞いた三浦は、(島岡先輩ならできるんちゃうんかな?)と考えたのであった。
「ほな、『A』からいくで~」
平村の手には、使い古されたスティックが逆さに握られている。
それをおもむろに、前に置かれた机に叩きだした。
「カンカンカンカン」という大きな音が音楽室に響き渡る。
「さんしー」の合図で曲が始まる。木管がいないので旋律がない。チューバ・ホルン小さな打ち込み、トロンボーンの吹き伸ばしが聞こえる。時折、打楽器の音も聞こえる。
そしてトランペットの「パララララ」という音がした。そこで、平田さんのスティックが止まる。
「やっぱりそこやな~、ちゃんと正拍で入ってないな。指回しに気がとられてちゃんと入れてないんちゃうか?ちょっとラッパだけでやるか~。さんしーでパララララな。」※2
そして「カンカンカン・・・」と音が始まる。「さんしー」「パララララ」「さんしー」「パララララ」と2、3回繰り返される。
「ほな、Aから全員でな~」
再び、Aから曲が始まる。トランペットも「パララララ」の入りも問題なく行うことができた。
金打分奏は、入りの合わせを主に課題とされているようであった。旋律を若干ミスしても止まらなかったが、入りがおかしいとすぐさま曲を止めてやり直すの繰り返すのであった。
午後からは再び合奏になった。
柏原の指揮棒が再び振られる。
そして先ほどのトランペットの入りのところに近づいた。
トランペットが入る。曲はそのまま流れる。
柏原は指揮を振りながら、笑顔でトランペットを見て、口を動かした。
「OKな」と。
しかし、次の演奏部分に入ると再び柏原の怒号が飛ぶのであった。
※1 指をさらう。指回しの練習をすること。
※2 正拍。拍の頭のこと。その逆は裏拍。「ズンチャズンチャ」で「ズンチャ」で1拍とすると、「ズン」が正拍、「チャ」が裏拍となる。
柏原先生の熱血指導の巻でした。本当に指揮者って大変です。
あと、「第13話 指導者」とわかり難いのでサブタイトルを変更しました。




