第18話 その男、最強につき・・・
第18話 その男、最強につき・・・
ゴールデンウィークも終わり、通常の日常が戻ってきたある日、島岡は深夜2時に家に帰ってきた。
古い立て付けの引き戸を「ガラガラ」と開けるとサイクリング車と共に家の中に入る。
風呂場で油で汚れた体を洗い、寝室の机にあるメモを見るとそこには可愛らしい字で一言書いてあった。
「更科さんよりTELあり。明日向かうとの事。」
島岡は明日来るのかと思いながら就寝した。
三浦はホルンパートの面々と共に基礎練習を行っていた。この頃になると音も安定し、ロングトーンにおける課題も増やされていた。
また、その後に続く練習であるピアニッシモによるロングトーン、タンギング(これは速度を落としてもらっている)にも参加している。
ダイナミックや分散和音についてはまだ許可されていない。
島岡曰く、ダイナミックを変に練習すると音を押す癖が付くということと、分散和音はメロフォンの特性上ホルンの様にできないということである。※1
基礎練習も終わり、2人(今日は石村は休み、松島は個人練習の為先に教室に向かっている)が音楽室で楽譜(教則本)の準備をしていると、見られない人が音楽室に入ってきた。
年の頃は30歳位であろうか。背は島岡と同じ位であるが、体格は一回り大きい。少し色の付いた眼鏡を掛けており、目つきは優しいが、雰囲気は逆に厳しい感じだ。手には革張りの大きな長方形のケースを持っている。
「更科さん、お久しぶりです。こんにちわ。」
「おー、島岡。合同以来やな。様子見にきたで。」
島岡は更科に挨拶をした。
「三浦~紹介するわ。こちらはOBの更科さん。7つ上の先輩や。」
「おっ、こいつが新人か。更科や。よろしく。」
「こ、こちらこそよろしくお願いします。三浦といいます。」
更科が手を出して自己紹介すると、三浦はあわててその手を握り自己紹介をした。
「なんや、そんなに緊張せんでもええで。島岡~、お前俺のことなんか吹き込んだか?」
「いえ、言ってませんよ?今日来ることも伏せていましたし、特には。」
「まぁ、こいつの反応が普通なんやがな、毎年の新人は。」
更科はそういうと三浦の手を離しさらに言う。
「お前は初めて会ったときいきなり『あ、更科さんや~』言うて『ぎゃはは』笑ってたからな。それまで威厳のある先輩で通ってたのに威厳がた落ちや~。ほんまあん時は悲観したで~」※2
「え~そうでしたか~?確かに楽しそうな先輩やな~とは思いましたが・・・」
「ほんまいつもこれや。敬語を使いつつ砕けた言葉で俺に話しかけてくる後輩は、お前くらいしかおらへんで、全く・・・」
しかし、更科は全く怒ることなく逆に嬉しそうである。
「とりあえず、練習いくんやろ。久しぶりに俺が見るわ。」
更科がそういうとさっさと音楽室を出たのであった。島岡と三浦はその後を追いかける。
「あの人な~・・・」
島岡は三浦に言う。
「ああ見えても、アンサンブルコンテストの一般の部の関西支部大会で金賞取ってんねん。」※3
「え~と、中地区大会の上の府大会の上だから・・・すごいんですね。」
「ちゃうちゃう、アンサンブルコンテストはコンクールと違って府大会からやねん。でも、すごいことには変わりないわ。」
三浦は尊敬の目で更科を見つめるのであった。
教室に入った3人は、机に腰を下ろした。更科はケースを開けホルン本体にベルを取り付ける。※4
横の教室からは松島のホルンの音が聞こえた。
「お前らは先に基礎練終わってんやろうけど、ロングトーンだけ3人でしよや。」
更科がそう言ったあと3人は並んだ。更科・島岡・三浦の順でだ。
更科はマウスピースを少し鳴らした後、楽器に取り付ける。
3人の目の前にはメトロノームの音が「カッチ・・・カッチ・・・」と鳴り続けている。
「さんしー」の更科の掛け声でロングトーンが開始される。メニューはいつもの通りだ。
三浦はロングトーンをしながら「え?」っと思った。
二人から聞こえる音が音色による違いはあるものの音程が全く一緒なのである。更に、入り・伸ばし・切りと寸分狂うことが無い。
更科も三浦の音を聞いて驚いていた。
メロフォンという楽器の特性上、音色は軽いがまだ楽器を触って一ヶ月も経っていないというのに、伸ばしが良く安定している。普通はまだまだ揺れがあるはずだ。
一通りロングトーンを終わると、更科は一つ提案をした。
「三浦~、一回俺の楽器吹いてみるか?」
三浦はそう問われてから島岡の顔を見た。島岡は軽くうなづく。
「是非、お願いします。」
更科は「よっしゃ」というと自分のホルンケースからマウスピースを取り出した。
「こいつは『アレクの8番』いうてな、まぁ、一番スタンダードなマウスピースや。」※5
そういって更科は三浦にマウスピースを手渡した。
受け取った三浦はメロフォンとは違う、すっきりとした円錐のマウスピースをまじまじとみた。
口のところには「ALEXANDER 8」と刻印が打ってある。
三浦はそのマウスピースを口に当ててみる。メロフォンと比べてリム厚は薄い。※6
「プー」とマウスピースを鳴らす。特に差異は感じられず、スムーズに鳴る。
マウスピースを楽器に付けると、横にいる島岡が持ち方を教えてくれる。
「ホルンは左手で持つんや。小指をここに掛けて、親指はレバーに添えるんや。右手はメロフォンみたいに添えるんやなくて、指でOKマークを作ってベルの中入れて持つんや。そうそう、そんな感じや。」
フルダブルのホルンなのでメロフォンと違い重い。※7
右手を添えていないと左の小指一本で支えている感じだ。
それにキーはピストンではなくロータリーだ。指に結構フィットする。
「F管でF聞かせてくれるか。親指のキー含めて全部開放や。」
更科が三浦にそういうと三浦はホルンを構えた。頭の中にFの音を思い浮かべる。
思った以上に息の抵抗があるが、三浦は気にせずホルンを鳴らした。
「フォーーーーーーーーン」
アタックは初めてホルンを吹いたということでうまく当たれなかったが、重く澄んだ音がした。
2回目以降は、アタックも失敗せず今まで通り吹けている。
(これは・・・想像以上やな。音色は島岡より軽めやが澄んだ綺麗な音や。まだまだ原石状態やが、来年が楽しみやな。・・・はよホルン用意したるか。)
それは三浦が更科に素質を認められた瞬間であった。
何回かホルンを吹くと「そろそろええか?」と更科が言ったので、三浦は吹くのをやめ、マウスピースをハンカチで拭くとホルンを更科に返した。
「よっしゃ、三浦の後学の為にちょっと曲吹いたろか。島岡~あの曲、一番吹ける様になったか?」
「あ~、一応練習しとったからいけますよ。まだ暗譜までしてませんが・・・」
「俺も冒頭部分はいけるけど、あれは無理や。楽譜はもってきとるか?」
「いえ、まさかするとは思ってなかったんで、ケースの中ですわ。」
「まぁええ、楽譜はもってきてるさかいそれ見たらええ。」
そういうと二人はさっと演奏の用意をする。楽譜の表紙には手書きで「ニコライ No.6」と書かれてある。※8
準備が終わると、更科はホルンを軽く一回縦に振った。
その曲を三浦は聞いたことがないが、鳥肌が立った。
島岡の深みのある高音に更科の優しい中音が添える様に鳴り響き、綺麗な和音を奏でる。
更科は伴奏の打ち込みに入っているが、島岡の高音の旋律が果てしなく続く。早いパッセージも和音に乱れは無い。
音質・音程・和音、どれを取っても三浦が今まで聞いたことが無い素晴らしい演奏であった。
音楽室に戻った三浦は楽器を片付けながら、島岡と更科が話をしている姿を見て思った。
自分もいつかあの二人の傍に立てる奏者になりたいということを。
※1 「音を押す」というのは音の後ろの音量が意図せずに大きくなる状態を指す。勿論、音程もおかしくなる。押し癖が付くとなかなか矯正するのが難しい。ホルンは音が柔らかくわかりにくいが、トランペットがすると致命的である。
※2 言葉の使い方は間違っていますがニュアンスで受け取ってください。
※3 年頭から春に行われるアンサンブルコンテスト。一般の部では各支部から1団体のみ全国大会へと進めれる。ここでいう関西支部金というのは全国大会一歩手前と言う意味。
※4 ベルカットタイプのホルン。ベルの部分が分離する。
※5 アレキサンダー社の型番号8のマウスピースのこと。
※6 口に当てる部分の金属の厚さ。
※7 フルダブルホルン。F管とB♭管をもつホルンで、現在一番普及されているホルンです。親指開放でF管、押さえるとB♭管に切り替わります。他にも色々種類がありますが割愛させていただきます。
※8 O.ニコライ作曲 二重奏曲 第6番だと思われる。
さて、第二部「怒涛のコンクール編」のスタートです。
ここで今高高校OB最強のホルン奏者が登場しました。三浦は目標をこの人たちに設定しますが、その道のりは果てしなく遠いです。




