終業後
一日の作業が終わり、給料をいただく。
みっちり十時間働いて、たった半銀貨一枚。
相場の半分くらいである。
さすが、身分証なしの職場と言うべきなのか。
ぞろぞろと列を成して馬車乗り場まで向かったのだが、長蛇の列ができていた。
「うわあ、すごい人!」
「工場はこの時間に、一斉に終わるからね」
ヘルタは慣れたもので、長くて二時間ほど待つことになると教えてくれた。
しかしながら幸いにも、三十分ほど待っただけで馬車に乗り込めたのだ。
馬車は二十人は乗れそうな、幌馬車である。
通常は荷物を運搬する物なのだろう。内部は座席はなく、皆身を縮めて座っていた。
走行のさい振動が直接お尻に響くものの、しばしの我慢である。
ヘルタはいつも下町で下りていたが、今日は初めて中央街で下りた。
「こんなことして、本当によかったのか」
「よかったのよ」
きっと今までが間違っていたのだ。そう彼女を説得する。
馬車の停留場には、私を繊維工場に送り出してくれたミュラー商店の諜報員の女性が迎えてくれる。
ヘルタの存在に気付くと、私に問いかけるような眼差しを向けていた。
「彼女から情報を聞き出そうと思いまして、同行をお願いしました」
それから気の毒な境遇にいるので、保護したい旨を告げる。
「承知しました。では、商会長に報告しますので、しばしお店でお待ちいただけたらなと思います」
「わかりました」
案内された先はレストランである。内部は個室で、内緒話をするのに打ってつけの場所という印象だ。
ミュラー男爵のおごりで、なんでも食べていいらしい。遠慮なくいただこう。
ヘルタはメニューとにらめっこしていたが、ため息をつく。
「あたし、こういう店は初めてで、何を頼んでいいのやら」
「そうなのね」
別に高級店ではないし、料理の価格も安いほうである。
このレベルの店ならば、婚約者が連れてきてもおかしくないと思ったのだが、外食すらしたことがなかったという。
「あの人はだいたいうちで食事をして、親父と酒を飲んで、眠るみたいな感じだった」
「ヘルタのお父さんとお酒を飲んでいたの!?」
「ああ、なんだか似たもの同士みたいで、意気投合していたんだ」
ヘルタからお金を奪い、暴力をふるう父親と仲よくなれるなんて、どんな婚約者なのか。 逆に会ってみたくなる。
「マヤと一緒の物を頼んでくれ」
「わかったわ」
好きな料理を聞いてもなんでも食べるというので、一番人気だというビーフシチュー定食を頼んでみた。
料理を待つ間、彼女に本当の名前を伝える。
「あの、ヘルタ、ごめんなさい。私、本当の名前はミシャっていうの」
「ミシャ!? どうしてマヤって名乗っていたんだ?」
「それはいろいろと事情があって」
繊維工場には人探しにやってきたのだと説明する。
「誰を探しにきたんだ?」
「行方不明になった叔父を」
ヘルタにそう伝えると、途端に気の毒そうな表情を浮かべた。
「それで、工場内で叔父を見かけなかったか、ヘルタに聞きたくて」
「ああ、なんでも聞いてくれ!」
ミュラー男爵から預かっていた似顔絵を見せると、ヘルタは驚いた表情を浮かべた。
「ヘルタ、叔父さんを知っているの?」
「いや、この人……あたしの婚約者だ」
「なんですって!?」
まさかの展開に、頭が真っ白になりかけた。