ミシャの社交界デビュー
「もともと参加するつもりはなかったんですけれど、調査のためならば致し方ありません」
「いや、待て。なぜ参加するつもりはなかったんだ?」
「それは――」
思わず、遠い目してしまう。
近くにいたリスが、「あなた、はっきり言いなさいよ!」と訴えているような気がした。
「その、社交界デビューはですね、とてつもなくお金がかかるんですよ」
父は普通のドレスが一着買える程度のお金をお小遣いと称して準備してくれたが、それだけでは足りないのである。
社交界デビューに着用するドレスは、そんじょそこらにある物とは異なり、全身純白で長い裳裾があるのが特徴だ。
もちろん、一着一着オーダーメイドで作られるので、欲しいからとすぐに手に入る物ではない。
「それに、お金問題だけでなく、介添人もいないので」
介添人というのは、社交界デビュー当日に傍にいて、お世話をしてくれる既婚女性だ。
ダンスをする相手を見繕ってくれたり、家柄がつり合わない男性が話しかけてきたら牽制したり、相応しいお方がいたら取り持ってくれたり――。
初めて夜会に参加するひな鳥みたいな娘達を、正しい道へと導いてくれる親鳥のような存在だ。
介添人を務めてくれる女性は数年前からお願いし、当日にお世話になるのがごくごく普通の流れである。
私はルドルフと結婚する予定だったので、王都で社交界デビューをするつもりはなかった。
母にもはっきりとそう伝えていたので、社交界デビューの準備はされていなかったのである。
「社交界デビューは結婚相手を見繕う場で、当時は婚約者がいましたし、参加しなくてもいいかな、と考えていたわけです」
説明し終えると、ヴィル先生は眉間に皺を寄せて、盛大なため息を吐く。
「何か、おかしなことを言いましたか?」
「おかしなことだらけだ。まず、社交界デビューは結婚相手を探すだけの場ではない。その目的は、おまけみたいなものだ」
「はあ」
「どうせ、家庭教師か誰かから、社交界デビューはそういう場だと習ったんだろうがな」
たしかに、社交界デビューは「運命の男性と出会う場です!」なんて話を乳母か誰かから聞いていた。
立派な男性に見初められるために、美しい淑女であるように、と教え込まれていたのだ。
それゆえ、社交界デビューは結婚相手を探す場所、というイメージが根付いていたのかもしれない。
「我が国の社交界デビューは、成人を迎えた娘が国王陛下に拝謁し、一人前になったと認めてもらう場だ。さらに、すべての貴族女性が招待されるわけではないので、参加を認められること自体、光栄だと思ったほうがいい」
「ご、ごもっともで」
社交界デビューについて、認識を大きく間違っていたようで、恥ずかしくなる。
「知らなかったのならば、仕方がない話だろう。王都にいたのならば、また認識も違ったのだろうが」
社交界デビューを迎える娘さんがいる家庭は、一、二年前から準備に取りかかるようで、話題になることも多いらしい。
「私の妹……、も今年社交界デビューだから、ここ一年ほど騒がしかった」
「そうだったのですね」
ヴィル先生の常日頃のマイペースな様子から、一人っ子だと思っていたが、妹がいたらしい。
私と同じ十七歳で現在、花嫁学校に通っているようだ。
「でしたら、ヴィル先生は妹さんと社交界デビューに参加されるのですか?」
社交界デビューの場において、男性は護衛役として付き添うのが慣わしだ。
「妹と? 冗談じゃない」
「では、お父様と参加を?」
「どうだか」
家族仲はあまりよくないのか。
口ぶりから、あまり関わっていないように感じた。
何はともあれ、社交界デビューには参加したほうが良さそうだ。ただ、最大の問題はドレスである。
「今からドレスを注文しても、間に合わないですし、既製品も売り切れているでしょうから」
家にあるレースをかき集めて、白いドレスに取り付けたら、遠目から見たらそれっぽい社交界デビューの娘になれるだろうが、コスプレレベルだろう。
国王陛下の前に出ていける姿ではない。
「ど、どうしましょう……」
「社交界デビューの準備については、レヴィアタン侯爵夫妻を頼ればいい。彼らが保護者なのだろう?」
「ええ、そうですが、なんで知って――あ!」
そういえば、以前、レヴィアタン侯爵の屋敷に行ったさいに、ヴィル先生がいたのを思い出す。
「ヴィル先生は、レヴィアタン侯爵とお知り合いなのですか?」
「まあ、そうだな」
なんとなくこれ以上突っ込んで聞かないでくれ、という空気を感じたので、黙っておく。
「レヴィアタン侯爵夫人は、王妃殿下の元針子だ。きっとなんとかしてくれよう」
「そうだったのですね。ただ、突然頼っていいものなのか」
「問題ないだろう。保護者とは、親のような存在なのだから」
行動は早いほうがいいという。これからレヴィアタン侯爵の屋敷に向かうらしい。
「えーっと、レヴィアタン侯爵の屋敷まで行くには、馬車を手配しないと行けないような」
「心配いらない」
ヴィル先生が指笛をピイ! と鳴らすと、上空に大きな影が横切る。
「え、何――ひゃあ!」
強い風が舞い上がり、その場に立っていられなくなる。
リス軍団は踏ん張って耐えているのに、私の体は吹き飛ばされそうになった。
もうだめ! と思った瞬間、ヴィル先生が私の腕をぐいっと引き、腰を支えてくれた。
これまでにない密着っぷりに、盛大に照れてしまう。
どぎまぎしている間に、目の前に巨大なドラゴンが接近し、どかん! と下り立つ。
大きさは大型トラックくらいか。ひたすら大きい純白の美しいドラゴンだった。
「なっ、こ、この子は――!?」
「私の使い魔、セイクリッドだ」
神聖を意味する使い魔は、聖なる竜だという。
ドラゴンといえば、使い魔の中でも頂点に君臨するほどの強さを誇る存在だ。
リス軍団もヴィル先生の使い魔を見るのは初めてだったのだろう。驚いた様子を見せていた。
「セイクリッドに乗れば、レヴィアタン侯爵の屋敷まですぐに到着する」
「ドラゴンで移動するのですか!?」
「ああ、そうだ」
ドラゴンに跨がって空を飛ぶなんて、漫画やアニメの世界の話みたいだ。魔法が存在する異世界なので、今さらと言われるかもしれないが。
セイクリッドが私達が跨がりやすいよう、姿勢を低くする。
先にヴィル先生が乗り、私に早く来いと声をかける。
「わ、わかりました。ジェム!」
見張りをさせていたジェムを呼ぶと、コロコロ転がってくる。
セイント・ドラゴンを前にしても、「ふーん」という感じだった。
「ヴィル先生、ジェムも乗ってもいいですか?」
「構わないが、その形状だと乗れるのか」
その言葉を聞いたジェムは、セイクリッドの背中に跳び乗り、鞍の形に変化した。
「あ――賢い!」
鞍があれば、空の上でも安心だろう。
ヴィル先生の手を借りながら、セイクリッドの背中に跨がる。
私が落ちないよう、ジェムはシートベルトみたいなものを作って、体を固定してくれた。
ヴィル先生が合図を出すと、セイクリッドは翼を羽ばたかせ、大空へと飛び立った。