憂鬱な気持ち
レナ殿下が待っていると思っていたのに、廊下に立っていたのはヴィルだった。
「あ――ヴィル先輩、おはようございます」
「おはよう」
「レナ殿下は?」
「教室に行くように言った」
なんでもヴィルは私が校長先生に話を聞きに行くのではないかと思い、ここにやってきたそうだ。
「予想は当たっていたな」
「はあ、みたいですね」
ヴィルは何を思ったのか、私の手を握って転移の魔法札を破る。
魔法が発動する瞬間、ジェムが私の腰に巻き付き、一緒についてきた。
「え、うわっ――!」
下り立った先は、ヴィルと初めて出会った中庭の森であった。
ここは不思議と日の光がさんさんと注ぎ、冬なのに暖かい。ホッとできるような場所だ。
ヴィルがやってきた途端、リス達が樹から下りてきて、歓迎するように周囲を囲んでいる。一気に、ほのぼのとした空間と化した。
「あの、ヴィル先輩、どうしてここに?」
「ミシャがあの場にいたくないような顔をしていたから」
たしかに、先ほどは監督生就任が腑に落ちず、なんとも言えない感情を持て余していた。
「そういうときはここにやってきて、ふて寝をするのが一番だ」
ヴィルはそう言って、ふかふかの野草をベッドに見立て、横たわる。
「ええっ!?」
「ミシャもこうしてみろ。楽になるから」
そういえば出会ったときも、ヴィルはここで寝っ転がっていた。
あのときは発作がきついので倒れていたのだと思っていたが、ヴィルが望んであの体勢でいたのだろう。
躊躇っていたら、ジェムが突然動きだす。
ヴィルの隣に移動すると枕に変化し、どうぞ使ってくださいとばかりにこちらへ視線を向けていた。
「いや、枕がなかったから横にならなかったわけではなく……」
まあ、もう、どうでもいいか、と思ってヴィルの隣に寝転んだ。
ジェムの枕がぷよぷよしていて心地いい。
野草のさわやかな匂いも、なんだか故郷を思い出して気持ちが安らぐ。
リスのチチチ、という愛らしい鳴き声や小鳥のさえずりなどが聞こえ癒やされる。
「ここは、いいところですね。悩みがあっても、浄化されるような気がします」
「そうだろう?」
ここは不思議な場所で、生徒は絶対に足を踏み入れないという。
「入学してからひとりになりたいときは、いつもここに来ていたんだ。ミシャもそういう日があれば、好きなときに使うといい」
「私がやってきてもいいのですか?」
「ミシャならば構わない」
「ありがとうございます」
放りだされていたヴィルの手に、指先をそっと重ねる。
すると、優しく握り返してくれた。
「昨日はただただ、ミシャの監督生の就任を祝福してしまったが、よくよく考えてみれば、私も一学年のとき、嫌だったことを思い出して……。その、申し訳ないことをした」
「いえいえ。選ばれたこと自体は光栄で、理由も校長先生から伺い、納得もできたんです」
私の心の中のモヤモヤというか、嫌な予感に近い何かの正体は、隣国ルームーンの第二王女がうちのクラスに転入してくることだろう。
「何か大きな事件に巻き込まれるのではないか、と考えたら不安になってしまって」
「なるほど、監督生であるミシャに王女殿下を取り巻く環境の監視を任せたかったわけか。学校側はそういう目論みもあったのだな」
「そのようです」
「まったく、酷い話だ。心配するな。学校で何か事件が起きれば、責任を取るのは校長と理事だから、ミシャが気負う必要などまったくない」
ヴィルがそう言ってくれたおかげでなんだか心がスッとした。
気持ちもずいぶんと軽くなったような気がする。
「近いうちに、ルームーンの第二王女を歓迎する夜会が王城で開かれるだろう」
以前より催されることが決定されていた夜会だったが、王女殿下がやってくる日があやふやだったため、いつ行うかというのは決まっていなかったらしい。
「そのさい、私はミシャとの婚約を周囲の者達に公表するつもりだ」
「そう、なりますよね」
王女殿下との結婚を回避する目的があるので、婚約は公にする必要があるのだ。
そのタイミングについては、恐ろしくて聞けずにいたのだ。
「国中の女性から嫉妬されてしまいますね」
「誰にも文句を言わせるつもりはないから、安心してほしい」
「はあ」
「その反応、信じていないな」
そう言ってヴィルは起き上がり、私の頬を軽くつねる。
「ひやっ!?」
その反応が面白かったからか、ヴィルは噴きだすように笑った。
私も起き上がると、ヴィルの頬を引っ張る。
けれども肉付きがよくなくって、あまり伸びなかった。
「ヴィル先輩は、もっと太ったほうがいいです。ほっぺたのお肉が、まったくありません」
「誰が骨と皮しかない貧相な人間だ」
「そこまでは言っていないのですが」
まさかの自虐ネタに、思わず笑ってしまう。
こうして話しているうちに、私の心に影を落としていた憂鬱は消えてなくなっていた。