大ピンチ!
自由の身となったノアのエルクは、そのまま林間コースを走って逃げてしまった。
あの様子だと、仮契約の魔法は不完全だったのかもしれない。
ノアの悲鳴が聞こえる。
「うわああああ!!」
ノアのソリは一瞬でコースアウトし、崖のほうへ落ちていった。
エルクがいなくなったソリは制御不能となっている。ノアひとりでなんとかできるような状況ではなかった。
すぐさま私は手綱を強く引いて、崖に行くように導いた。
私のエルクは、突然の方向変換に驚くこともなく、従ってくれた。
崖のほうへ下ると、五メートルくらい先にノアのソリが確認できた。叫び声も聞こえる。
整備なんてされていない崖には不揃いな木々が生えたり、岩が突きでたりと危険だった。
私のソリもガタン、と大きく音を立てて揺れる。
「うっ!!」
シートベルトなんてないので、気を抜いていたら体が放りだされそうになる。頼りになるのは手綱とソリの縁にある持ち手だけだ。
背後に乗っていたジェムは状況を察したのか、縄状になって私の体をソリと繋いでくれた。
ソリは大きな岩に乗り上げ、飛び上がった。奥歯をぎゅっと噛みしめ、衝撃に備える。
ガコン! と大きな音を立てて着地した。ジェムが私の体を繋いでいなければ、外に放りだされていただろう。
私は無事だったが、荷台に繋げていたトランクを落としてしまった。
このような状況では、命だけあれば儲けものである。
吹雪のせいで、視界が悪い。ノアの姿も見えなくなったが、まっすぐ進んでいることを信じるのみである。
舌を噛まないように、奥歯をぎゅっと噛みしめた。
どのくらい下ったのだろうか。わからなかったが、やっとのことでノアのソリがすぐ前方に見えてくる。もう少し加速したら追いつきそうだ。その前に、ノアの名前を叫ぶ。
「ノアーーーーーー!!」
「ミ、ミシャさん!?」
ノアは驚いた表情で私を振り返る。振り落とされていなくてよかった。
加速するようエルクに命じると、スピードアップしてくれた。
ついに、ノアのソリに並ぶ。
「ノアさん、手を!!」
「ミシャさん!!」
お互いに手を伸ばすが、少し触れただけで、ノアのソリが岩に乗り上げたようだ。
「あ――!!」
ノアとソリは大きく傾き、真っ逆さまになる。
私はすぐさまジェムに命じた。
「ジェム、触手を使ってノアを掴まえて!!」
すぐさまジェムは動き、視界が悪い中触手を伸ばして、ノアの体にぐるぐる巻き付ける。
そして、私達のソリへと引き寄せた。
「うっ!!」
ジェムがクッションになったので、ノアはケガなく着地できたようだ。
ホッとしたのもつかの間のこと。
エルクの体がガクンと傾き、転がってしまう。
このままではエルクの負担になってしまう。一瞬で判断し、手綱を手放し、ソリと繋がったベルトを外した。
ソリから離されたエルクは、上手く受け身を取って止まっていた。
一方、私達が乗ったソリは速度をそのままに崖を下っていく。
「うわあああああ!!」
「止まってええええ!!」
ソリはどんどん加速し、凍った川が見えてくる。
このままだと、硬い氷に激突してしまうだろう。
イチかバチか、私は賭けることにした。
「ジェム、網を張って、ソリを止めて!!」
ジェムは剛速球のように飛んでいき、大きな網となって木と木の間に張り付く。
張り巡らされた網の中心に、ソリは突っ込む形となった。
「うっ!!」
「わあ!!」
網となったジェムはソリをはじき返さず、優しく包み込んでくれた。
無事、止まることができたようだ。
今、どんな状況かわからない。けれども自分自身を確認する前に、ノアに声をかけた。
「ノアさん、平気?」
「な、なんとか」
「ケガは?」
「ない。ミシャさんは?」
「大丈夫」
体はどこも痛くないし、異常も感じない。
どうやら私達は助かったようだ。
「ジェム、ありがとう。その、下ろしてくれると助かるのだけれど」
そうお願いすると、ジェムは網をゆっくり地上へ降ろし、解いてくれた。
先ほど解放したエルクもやってきて、心配そうに見つめてくる。
「ありがとう。あなた、とっても勇敢だったわ」
エルクの顎の下を撫でつつ感謝の気持ちを伝えると、瞳を細めていた。
「ミシャさん」
「ん?」
振り返った先にいたのは、ばつの悪そうな表情で佇むノアだった。
「僕と契約したエルクの異変について訴えてくれたのに、聞き入れなくってごめんなさい」
「ええ……。しっかり反省してほしいわ」
しゅん、と肩を落とすノアの背中をばん! と力いっぱい叩く。
ノアは驚いた表情で私を見ていた。
「ノアさんも、私の背中を叩いて。気合いを入れたいの」
「え、でも」
「いいから、お願い」
「わかった」
ノアは力いっぱい背中を叩いてくれた。
思っていた以上に痛かったものの、気合いは入った。
「これからどうしようか考えましょう」
ノアにも気合いが注入されたのか、瞳に光が宿る。強い眼差しを向けながら頷いてくれた。
ひとまず、吹雪が酷くなってきたので移動しよう。
「え、移動するの? ここを登るのではなく?」
「ええ。このエルクは小柄だから、私達ふたりを乗せて登ることは無理よ」
ソリを引けたとしても、この吹雪の中で動くのは危険だ。
崖を少し下っていくと、川のほとりに行き着く。
その近くに洞窟があったので、そこでしばし大人しくしていたほうがいいだろう。
「ノアさん、行きま――」
大人しかったエルクが突然跳ね上がり、慌てた様子で崖を登っていく。
いったい何が、と思ったのと同時に、雪が津波のように迫ってきていることに気づいた。
あれは雪崩だ。
その場にしゃがみ込んでいたノアに手を伸ばそうとしたが、間に合わない。
このままでは、私も飲み込まれる。
「木に掴まって!!」
そう叫ぶのが精一杯であった。
あっという間に雪の波に飲み込まれ――――。




