新学期の朝
ヴィルと別れてしばらく経ったというのに、まだドキドキしている。
頬への親愛のキスならば、ルドルフもしてくれた。
けれどもこんなふうに胸が高鳴ったことなんて一度もない。
今になって気づく。
ヴィルへの感情は、前世を含めても初めての恋なのではないのか、と。
思わず頭を抱える。
ルドルフから第二夫人の提案を受け、婚約解消を決意したあとは、もう二度と他人に振り回されてたまるものか! なんて考えていたのに。
今は自分でも信じられないくらい、ヴィルの手のひらの上でコロコロ転がっているような気がする。
私はもしや、とてつもない面食いなのだろうか。
いやいや、と否定する。
ルドルフだってかなりの美形だった。けれども彼に対する気持ちは異性への愛ではなく、家族愛に近いものだった。
「――んん?」
久しぶりにルドルフの顔立ちを思いだすと、少し引っかかる点があった。
彼の目元や鼻筋などが、それとなくリンデンブルク大公に似ているような気がした。
以前、ルドルフから話を聞いていたのだ。
彼の母親は大貴族の家に仕えていたレディースメイドで、当主からお手つきがあり、ルドルフを妊娠した、と。
大貴族の奥方に関係が露見し、屋敷を追いだされてしまったようだ。
もしも、ルドルフの母親と関係があった大貴族がリンデンブルク大公だったら?
なんて、根拠のない可能性を考えるのは時間の無駄だろう。
それにしても、リンデンブルク大公とヴィルは似ていない。彼はきっと母親似なのだろう。
ヴィルから母親の話は聞かないが、貴族の家族関係はあっさりしている場合が多い。めったに顔を合わせず、他人のように暮らしている人達も少なくないようだ。
ヴィルと母親も、そういう関係なのだろう。
ルドルフについて考えていたら、浮かれていた気持ちから冷静になれた。
今日ばかりは彼に感謝した。
◇◇◇
ついに始まる新学期。
私は昨日の夕方にはガーデン・プラントに戻り、明日の朝食の仕込みをしたり、掃除をしたり、温室の様子を見にいったり、と忙しいひとときを過ごした。
朝食はロールパンを仕込んでいた。もうすぐ焼き上がるだろう。
それにハーブサラダとゆで卵、ソーセージと、簡単に用意できるものをワンプレートに盛り付けていく。
薬草茶を蒸らしているところに、レナ殿下がやってきた。
「ミシャ、おはよう」
「おはよう」
たった十日間のホリデーだったのに、ずいぶんと長く会っていないような気がするから不思議である。
「ホリデー中、何度もミシャに会いたくなっていた」
「光栄だわ」
私もレナ殿下のいない朝を、物足りなく思っていたのだ。
新学期が始まって、これから毎日会えることを考えると、言葉にできないくらい嬉しくなる。
「ホリデー中、もっと食べろと侍女達がしつこく言うものだから、太ってしまった」
「そんなふうには見えないわ」
「そうだろうか? まあ、気持ちの問題かもしれないな」
成長期なのだから、見た目なんて気にせずにたくさん食べてほしい。
けれどもレナ殿下の場合は男装する中で、胸の急成長が気になっているのだろう。
年若い娘達が体重を気にするのとは、抱えている事情が違うのだ。
一瞬、レナ殿下は暗い表情を浮かべる。私はそれを見逃さなかった。
気づかなかったふりもできたが、新学期から見せていい顔ではないだろう。そう判断し、質問してみた。
「何かあったの?」
「あ――いや、陛下の容態が安定しないので、臣下達から魔法学校を休学し、陛下の傍にいてほしい、と頼まれてしまって」
けれども一度休んでしまったら、二度と戻れない気がして、レナ殿下は断ってしまったと言う。
自分で決めたことなのに、それでよかったのか、と思い悩んでいたようだ。
「私はわがままなのだろうか?」
「そんなことないわ。あなたの人生ですもの。今は自分の判断で決めてもいいはずよ」
国王となれば、その者の人生は一人のものではなくなる。
せめて即位するまでは、ある程度自由な選択をしても罰は当たらないだろう。
「そう、だな。こうしてミシャと一緒に朝を過ごすのも、今だけだろうから」
「あら、お呼びだしがあれば、いつでも参上するわ」
ただし、誤解がないよう、ご友人枠で招待してほしい。なんて言うと、レナ殿下は明るく笑った。
「ミシャを国王の愛人にさせるわけにはいかないからな」
「そうよ。ノアに怒られてしまうわ」
「気をつけておこう」
そんな話をしながら朝食を食べ終え、レナ殿下と一緒に登校したのだった。