ヴィルの本心
今、ヴィルはなんて言った?
理解しがたい言葉の羅列だったような気がする。
聞き違いだ。そうに違いない。
そう思ったものの、ヴィルは信じがたい言葉を二度も口にした。
「ミシャが婚約者にならないと言えば、私はこの先一生独身でいるつもりだ。リンデンブルク大公の爵位は別の王族が継ぐこととなるだろう」
やはり、ヴィルは私に婚約者になってくれと言っている。
なぜ? どうして? なんでなの!?
未来のリンデンブルク大公という輝かしい未来を与えられた彼が、唯一望んだのが私に対して婚約者になってほしい、というものだったなんて。
さらに彼は、私が応じなければ、リンデンブルク大公の爵位さえも手放す気でいるようだ。
ヴィルが私と結婚したいだなんて、ありえないだろう。
もしかしたら私との結婚が、何かしらの踏み台になる可能性がある。
結婚し、リンデンブルク大公になることが、玉座を得ることへの近道となるかもしれないのだ。
私は震える声で、さらなる探りを入れてみた。
「も、もしも、私がリンデンブルク大公夫人の座が重荷だと言ったら、どうしますか?」
「ならば、リチュオル子爵家に婿入りしよう。もちろん、ミシャの故郷であるラウライフに拠点を移してもいい」
雪下ろしでも、氷柱割りでも、なんでもしようとヴィルは言う。
「あの、婿入りと言っても、爵位は妹と妹の婚約者に継がせる予定ですので、私達には何もないのですよ? それでも、我が家に婿入りすると言うのですか?」
「問題ない。ミシャさえいればいいのだから」
目が点となった上に、開いた口が塞がらない。
「ヴィル、あなたは大きな権力とか、地位とか、財産とか、欲しいとは思わないのですか?」
「別に、必要ない」
信じられない一言に、ただただ呆然とする。
その真意を聞きだすため、私は言葉を振り絞った。
「あの、なぜ、必要ないと言えるのですか?」
「簡単なことだ。これまでの私は誰もが羨むような環境にいながらも、まったく心が満たされていなかったからだ」
ヴィルはリンデンブルク大公家に生まれ、未来のリンデンブルク大公だという未来が約束されていた。
厳しい教育を受け、礼儀を叩き込まれ、人々の模範であるように振る舞うのが当たり前だったという。
「そのような暮らしをする中で、私の心に安寧など訪れなかった。それも、ミシャに出会うまでは。ミシャと会ってからは、ミシャの優しさに毎日のように触れて、驚くほど自分自身の心が穏やかになって、一緒にいると安らぎさえ感じていた。ミシャと過ごす時間が、永遠に続けばいいのに、と次第に思うようになっていた」
まさか、そんなふうに思ってくれていたなんて。
胸がじん、と熱くなる。
「でも、ヴィルは多くのものを手にできるような、選ばれた人だと思います。それを望まないのですか?」
「たとえば、どのようなものを手にできると思っている?」
玉座、と直接的に言うのはどうかと思って、大きめなものを言っておいた。
「その、世界、とか」
私のたとえ話を聞いたヴィルは、珍しく声をあげて笑っていた。
「なるほど、世界征服か。それも、ミシャが手にしたいと望むならば、頑張ってみるが」
「い、いりません!」
「そうか。私の本気を見せることができず、残念だな」
ヴィルが言うと冗談に聞こえないから恐ろしいものだ。
私の言うたとえ話が現実的ではなかったので、真面目な意見は聞けなかった。と思いきや、ヴィルは真剣な眼差しで語り始める。
「――この世に生きる者はすべて、何も持たずに生まれてくる。けれども成長するにつれて、余計な知識だけでなく、財物に対する深い欲や、さまざまなものへの執着心を身につける。それらが、人というものを歪めるのだろう。いくら地位や財産、権力があっても、命を落とせばそれらのものは死後の世界に持っていけるわけがないのに。愚かな人々は自分にふさわしくないものでさえ望むのだ」
人生というものは等しく与えられながらも、歩む過程は一人一人平等ではない。
けれども唯一、与えられるものがある。
「それは〝死〟だ」
ヴィルの言うとおり、死だけは誰もが辿る運命なのだ。
「いずれ死ぬことが決まっている人生とわかっているのであれば、そこに至るまで、穏やかに、幸せに生きたい。そのためには、ミシャがどうしても必要なのだ」
ヴィルは立ち上がり、私を優しく抱きしめる。
耳元で、優しく囁くように言った。
「だからミシャ、私の婚約者になってほしい」
その言葉を聞き終えると、瞳から涙が溢れ、頬を伝って流れていく。
彼は絶対に、玉座なんて狙っていない。
ただただ、穏やかな死の瞬間を迎えられるように、私だけを望んでくれているのだ。




