幸せの青い鳥は飛んでいなくなった
私の婚約者は心優しく、穏やかな人物で、穢れを知らないような純粋な男性である。
もともと移民である彼は、雪深い領土ラウライフの気候と相性が悪いようで、月の半分ほど寝込むことも多かったが、その分私が頑張ればいいと思っていた。
私は雪の加護を持ち、家族の中でもっとも多くの魔力を持っていた。
そのため魔法について勉強して魔法薬を作り、王都に出荷して結婚資金を稼いでいた。
あと少しで、目標金額まで到達する――そう思っていたのに、従姉のリジーと一緒にのこのこやってきたあの男は、とんでもないことを主張したのだ。
「ねえルドルフ、今、なんて言ったの?」
ルドルフは愛おしそうにリジーの肩を抱き、同じことを私に言い放った。
「リジーのお腹に僕の子がいる」
「な、何よ、それ……。婚約破棄してくれ、って言うの?」
「いいや、違う。君のことも、今でも愛している。だからミシャ、頼みがある。僕の第二夫人になってほしい」
とんでもない告白及び懇願を耳にしたその瞬間、脳天に雷が落ちたような衝撃を受ける。
同時に、私の中にこれまでなかった前世の記憶が甦ってきた。
日本に生まれ、一般的な家庭で育ち、大学卒業後は大手企業に入社。
その後、営業先で出会った男性と交際し、晴れて婚約を結んだ。あとは結婚式を挙げるばかり、というタイミングで、彼からありえない懇願をされる。
――すまない、会社の子を妊娠させてしまった。責任を取るから……。
――信じられない。もうすぐ結婚式なのに、別れろって言うの?
――いいや、君との関係を解消するつもりはない。今流行の、〝セカンドパートナー〟になってくれないか?
マグマのような怒りがこみ上げてくる。
そうだ、そうだった。
前世の私は婚約者に不貞を働かれた挙げ句、セカンドパートナー――既婚者を精神的に支える、妻以外の愛する存在になってくれ、という提案を受けたのだ。
ふざけるな、と私は激怒し、その場で婚約破棄をした。
そのあとは、よく覚えていない。
嫌なことを忘れるように仕事に打ち込み、必要もないのに深夜まで残業して、フラフラな状態で帰宅する途中、暗闇の中、側溝に落下し、ドブ塗れになって死んだ。
悲惨な最期を迎えた私は、雪深い領地を有するリチュオル子爵家のご令嬢として生まれ変わったのに、前世と同じ轍を踏んでしまうなんて。
第二夫人もセカンドパートナーと同じものだろう。
怒りでわなわなと震えてしまう。
貴族令嬢は常に優雅であれ、なんて教えを叩き込まれて育った。
感情を制御できずに喚き散らすことがいかにみっともない行為なのか、幼少期から嫌になるくらい教師から叩き込まれている。
ぐっと堪えたが、ルドルフは我が耳を疑うようなことを続けて言った。
「生まれた子が、立派なリチュオル子爵になれるよう、一生懸命育てるから」
「あなた、さっきから何を言っているの?」
この国は女性でも爵位を継承できる。
だが、爵位継承者と婚約破棄された男の子どもが、爵位を継げるなんて話は聞いたことがない。
「そもそもあなたは、子どもを作る自信がないって言っていたじゃない。どういうことなの?」
熱心な聖教会の信者であるルドルフは、子どもを作る行為が罪であるようだ、と口にしていた。
体も弱いし、子どもは作れないかもしれない。
そんな彼を、私は受け入れていた。
ルドルフへの気持ちは、両親や妹に対するものと似ていて、異性に感じるような愛ではなかったのだ。
それでもいい。
リチュオル子爵は妹の子に継がせたらいい話だ、と考えていた。
きっと私達はいい家族になれるはず。
そう思っていたのに。
子どもを作る行為を恐れる彼を受け入れていたのは、前世で平然と不貞を働く婚約者がいたからに違いない。
記憶はなかったものの、無意識のうちに、彼ならば色恋に溺れることはないだろう、と決めつけていたのだろう。
それなのに、それなのに、彼はあっさりと私を裏切ってくれたというわけだ。
これまで私は一人前のリチュオル子爵になれるよう、勉強を頑張ってきた。
リチュオル子爵家はあまり裕福でないため、両親に負担をかけないよう、結婚資金も稼いでいた。
ルドルフも私の補佐ができるよう、父から仕事を習っていたのだが、こんな結果になるなんて。
ただただ、私の中で怒りがぐつぐつと煮詰まる。
ルドルフはそんな私の様子にいっさい気付く様子もなく、恍惚とした様子で話し続けた。
「リジーが、真実の愛に目覚めさせてくれたんだ。子どもを作るという行為が、こんなにもすばらしいものだったなんて、知らなかった」
ルドルフの言葉に、リジーは幸せいっぱいとばかりに、天使のような微笑みで見つめている。
そして私には、勝ち誇ったような悪魔の嘲笑を向けてきたのだ。
本当にありえない。
リジーと隠れて愛を育み、婚約者がいる身でありながら子どもを作るなんて。
さらに私との関係を解消するつもりはなく、第二夫人になってほしいと願ったのだ。
それだけでも呆れた話なのに、生まれた子どもをリチュオル子爵にしたいだって?
ばかも休み休み言ってほしい。
ルドルフは最後の最後に、止めの一言を放つ。
「ミシャ、君と一緒に貯めた結婚資金は、生まれた子どもの教育費にしたいんだ!」
何が一緒に貯めた結婚資金だ。内訳はすべて、私がせっせと魔法薬を売って得たお金である。
ルドルフは一ヶ月の半分を寝て過ごして、その半分は父の後ろにくっついて仕事を教わっていただけではないか。
「ミシャは夜、何もしなくていい。その分、昼間は僕達の分まで精一杯働いてくれ」
ふざけた提案に、私の体が自然と動く。
感情を制御できずに喚き散らすことがいかにみっともない行為だと教わった私は、何も言葉を返せなかった。
ただ、元日本人であった私は、大人しくしていない。
爆発した感情は拳となり、勢いのまま、ルドルフの頬に伸びる。
跳び上がって振り上げた拳は頬にヒットしたあと、ルドルフの鼻を捻り取るように振り切った。
何本か歯が折れ、流れ星のように宙を舞う。
「へぶし!!」
ルドルフは悲鳴を上げ、倒れ込む。
「ひ、ひいいい!!」
リジーが悲鳴をあげていたが、叫びたいのは私のほうだ、と思ってしまった。
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