006
「こ……こは」
眩い閃光が過ぎ去ると、目の前には高原が広がっていた。どこかで見たことのあるような、懐かしさを感じる、風景。
「なんか色が薄くねーか?」
「そう、ですね。それとなんだか景色も少しぼやけているような」
遠くいくにつれ、色が白くなっているが、間違いない。ここは俺達の住んでいる町だ。
背後には一本の木が立っており、俺達を日差しから守っている。木の横には、幹に縄が掛けられたブランコが寂しそうに静止していた。
「あれ、そういや雪がない――確か今は冬だったよな」
「そう……ですよね」
「泉?」
「すみません、少し懐かしい気がしていて、それより、かごめちゃんは?」
「そうだ、かごめ!」
周りを見渡すが、それらしき影は見当たらない。あるのは山々と先まで続く高原。雪のない緑色の世界。
「いない、な。それに成生。この景色、どこか違和感ないか?」
「たしかに、どこか今じゃないみたいだ」
「携帯は圏外……か。おい成生、これを見てくれ」
鎌田はスマホ内のカレンダーを見せてきた。
「十六年前!?」
「それに七月って……真夏、ですね」
「真夏にしては全然暑くないし、夢か?」
「なにが起こったか、それは神のみぞ知るってところだろうな。そもそもこの時代にスマホってあるのか?」
「ほう、つまり、オレのスマホを売れば億万長者に――」
「ならんでいい。ったく、よくこんなシリアスなムードでボケられるな」
「それにしてもこの景色を見る限りだと」
「ああ、たぶんそういうことなんだろう。かごめが強く願った結果俺達はこの世界に来た」
「でも、願いが叶っているのなら私たちは必要ないはず……ですよね」
「つまりなんだ? どっかの願いを叶えてくれる神様はあくまでチャンスってのをくれたに過ぎないってことか?」
「……そう考えると、ここで時間を潰してる暇はない。校舎裏に急ぐぞ」
俺達は学校へ向かって高原を下りるが、町々の雰囲気からはどこか古いような違和感があった。全速力で下る中、俺の瞳に一人の男性の姿が映り込む。背中に赤ちゃんを背負った男性が俺達のいたあの場所へゆっくりと坂を上っている。
「くっ……」
「どうかしたか、成生」
「いや、なんでもねぇ。とにかく急ぐぞ。あともう少しで学校に着くはずだ。泉は大丈夫そうか?」
「は、はい、なんとか。なんだかこの世界だと、とても体が軽いんです」
あまり意識はしていなかったが、言われてみれば体が少し軽いような気がする。このペースでいければあと五分も掛からずに目的地までは着きそうだ。
『あらそういや奥さん、知ってる? もうすぐ石鳥居さんが出産するんですってねぇ』
『あらまぁ、おめでたいわねぇ。最近は子どもも減って田舎は大変よねぇ』
目の前で二人組のおばさん達が楽しそうに会話をしていた。
それに石鳥居……間違いない。
「今の話、聞いてたか?」
「もちろんだ。やはり、かごめはまだ産まれていない。てことはそろそろかごめの母親は――」
「成生、時間はあまりなさそうだな」
「ああ、先を急ごう」
………………。
「やっと、学校に、着いた。かごめの母親は?」
「いない、な。もしかしたらまだ来てない?」
「いや――」
俺は校舎裏にある社を目指して再び走る。
『世界を夢見ることしかできなかった小鳥の一生に、価値なんてあったのかな』
価値がないなんて言わせない。
夢を夢のまま終わらせない為にも、かごめの願い続けた夢を無駄にしちゃいけないんだ。
石階段を駆けると、同時に社の方から石階段を下りる女性の姿が見えた。お腹を擦りながらゆっくりと階段を下りている。間違いない、かごめの母親だ。
諦めるな――かごめの母親が足を踏み外す前に、あの場所まで行くんだ。空を眺めているかごめの母親のもとへ、とうに限界を迎えている足のことなど無視して、石階段を駆け上がる。
『あら、今日もいい天気ね。かご――』
間に合え、間に合えッ、間に合えぇぇええええ!
足を踏み外しかけたかごめの母親を間一髪で受け止める。
「はぁ……はぁ……大丈夫……ですか?」
「あ、ありがとう……ございます?」
――間に、合った。少しは見出せたかな? かごめの、これからの生きる価値を。
安堵した俺は全身から力が抜け、石階段に倒れ込んだ。
………………。
「こ……こは?」
「お、目を覚ましたみたいだな」
「あらあら、よかったわぁ」
「成生君大丈夫ですか?」
まだ焦点が合っていないのか、少しぼやけているが、三つ編みで横結びをした女性の顔が見える。
「え――あ、すすす、すみません!!」
俺は勢いよく体を起こし立ち上がるが、あれだけの全力疾走だ、少し疲れていたのだろう。眩暈で足元が覚束ない、階段に再び座り込む。
「軽度の熱中症かもしれないわぁ。急に動いては駄目よ」
かごめの母親は水筒を取り出し、コップに飲み物を注いで俺に手渡した。これは、お茶か?
「あら、麦茶はお嫌いかしら?」
「あ、いえ、ありがとうございます。いただきます」
「お礼を言うのはこちらの方よ。危ないところを助けて貰って本当に何とお礼をしたらいいか」
「おうおう成生照れまくりだな」
「う、うっせぇぞ」
冷えた麦茶が心身に沁み渡る。幻想世界のような夏、麦茶、石階段から見下ろす校舎。夏風が木々を揺らし、心地よい葉音は世界の矮小さを助長する。ちっぽけなこの世界にも希望はあるってこと、かごめに伝えられたのだろうか。
「それにしても、成生も無事だしかごめちゃんのお母さんも無事だしこれにて一件落着だな!」
『あ――』
「え、どしたん? あ……」
少し遅れて自分が非常に不味いことを言ってしまったと理解する鎌田。そう、時系列的に考えて、初対面の人間がまだ生まれてもいない赤ちゃんの名前を知っていることはおかしいのだ。既に過去改変をしている俺が言えた義理でもないのだが。
一方、かごめの母親は、にこやかな表情を崩さないで鎌田を見つめる。
「あらあら、どうして家の、しかもまだ産まれていない娘の名前をご存じなのかしらぁ?」
「(鎌田、最後の最後でやらかしたな)」
「(さすがにちょっとまずいのではないでしょうか)」
「えっと、あの、それはですねぇ……」
数秒の沈黙が訪れる。
「な~んて、冗談よ」
『へ?』
「うふふ、悠真君のお友達なんだもの。悪い子じゃないわぁ」
「そんなことはないと思いますけどね……あはは、は――は?」
あれ? なんだこの違和感。なんだか背筋が凍る出来事があったような――
「あの……俺って自己紹介しましたっけ?」
「そういえば、まだしてなかったわねぇ。そこの彼が成生って呼んでいたからもしかしてと思ってちょっと鎌をかけてみたのよぅ」
「完全にかごめちゃんのお母さんのペースに呑まれてますね……」
「未来人相手にするとかかごめちゃんのお母さん恐るべし……」
かごめの母親相手に嘘を突き通せる自信がない俺は、未来から過去に来た経緯を話すことにした。
「実は、俺達未来から来たんです」
「うんうん、そうみたいねぇ」
「未来では、その、かごめとかごめのお母さんはあのまま石階段から落ちて……」
「……そうなの」
「かごめは、かごめだけは、霊体として止まった世界に居続けて、俺以外の誰にも見えないまま、長い時間を過ごして……かごめの本心を、願いを、叶えるためにこの世界に来たんです」
「……ありがとうね悠真君。かごめも悠真君に感謝しているわぁ」
「かごめが夢見た世界、生きようとした未来、その価値を見出せたかな」
「きっと、悠真君の想いは伝わっているはずよ。これからもかごめと仲良くしてあげてね」
「はい、任せてください」
「それにしても大きくなったのねぇ、悠真君」
「俺のことを知っているんですか?」
「当然じゃない。悠真君のお母さんと私は幼馴染なんだもの」
「え――」
「あら、未来では教えてもらってなかったの? って、未来だと私はかごめと一緒に亡くなっているんだったわねぇ……その――お母さんとは上手くいっているのかしら?」
「は、はい――うまくいって……ますよ、とても」
「――嘘、ね」
「…………」
「本当、嘘をつけないところはあの子と変わらないわねぇ」
「俺と、あんなのを一緒にしないでください。第一あの人は嘘ばっかりで――」
「――ううん、違うのよ。私が言った嘘を付けないってのは、バレバレな嘘を付いちゃう不器用なところよ。でも、こんな調子だと悠真君はとても苦労しているのね……悠真君、こっちへいらっしゃい」
「…………」
俺はかごめの母親に言われた通り石階段に座った。
そして――暖かい感触が俺を包んだ。感じたことのない温もり。
「あ――」
「よしよし、未来でも頑張れるように悠真君を応援しているからね。自分の過去、家族、難題はたくさんあると思う。私がしてあげられるのはこれくらいだけど、悠真君なら必ず自分と向き合えるって信じてるわぁ」
理由はわからない。ただ、なぜだか涙が出そうになった。
俺は、かごめの母親の温もりを受け止めることで、精一杯だった。形容できない感情、それと同時に心が荒んでいくのがわかる。羨望、憫然、かごめの母親を見ていると、自分の人生というものがどれだけ惨めで、恵まれない環境だったのか、思い知らされる。
「こんないい子を……あの子もとんだ罪作りね」
「かごめのお母さんは、何でも知ってるんですね……」
「ええそうよぉ、でもね、あの子にもあの子なりの苦悩と葛藤があったのよ」
優しさの裏にどこか悲しさを秘めるかごめの母親。
「それは――」
「私が言えるのはここまでだわぁ。ここで私がそれを言っちゃったら悠真君のためにも、あの子の為にもならないものね」
「俺は――」
「お、おい成生――オレ達の体が」
かごめの母親の腕の中で、自分の体が少しずつ光の粒子になるのが見えた。周りの景色も一層色が薄くなり、数メートル先はまるで線画のように白と黒の世界が広がっている。
「そろそろ時間――かしら」
かごめの母親は抱きしめた腕を解くと俺の頭をゆっくりと撫でた。
「我慢しないで泣いたっていいのよ。大事なのは自分と向き合う勇気。でも、溜めすぎは禁物よ。溜め込みすぎると心が病んでしまうわぁ。だから、こうやって、時には誰かの胸を借りて自分の想いを吐き出すことも大事なんじゃないかしら」
「ありがとう――ございます」
「うんうん、悠真君はそれくらい笑顔の方がカッコいいわよぉ」
「かごめのお母さん、ありがとうございました。おかげで少し前に進めそうです」
「うふふ、どういたしまして。それと、未来でかごめと仲良くしくれてありがとうねぇ」
体の粒子化が加速する。
もう長くは持たないみたいだ。
「あの、ここで俺達に会ったことは……」
「えぇ、もちろんここにいる四人――いいえ、五人だけの秘密よぉ」
「かごめちゃんのお母さん、成生のことはオレと早苗ちゃんに任せてください。未来で友達として、非行に走らないようにして見せるんで」
「あはは、鎌田君が言ってもあまり説得力がないような……」
「みんなの未来に私達が戻るかは分からないけれど、少なくともこの世界は、みんなが救ってくれたこの世界のあなた達は、幸せな日々を送れると思う」
「――はい」
俺は、立ちあがろうとするかごめの母親の手を握る。
「それじゃあ――かごめのお母さん」
「ええ――、連君、早苗ちゃん、悠真君。三人とも元気でねぇ」
ゆっくりと手を振るかごめの母親。俺達は三人で声を揃えて
『はい!』
と答え、手を振り返す。
そして――数秒後。
世界は完全な銀世界に呑み込まれた。
………………。
『あれ、かごめ見なかったか?』
『かごめちゃん? 確かさっきまで近くにいたと思うんだけど。早苗ちゃんは見てない?』
『私さっきまで一緒にいたんですけど、急に行方を眩ませちゃって……』
『ったく、しょうがない奴だな。鎌田、囮の出番だぞ』
『遂に、俺の出番が来てしまったようだな――ってなんでオレが囮なんだよ。たまにはお前がやれよ!!』
『俺は鎌田みたいに耐久力の塊じゃないから――うぉっ!?』
唐突に目の前が暗くなる。間違いない――あいつの仕業だ。
背が小さくて、不器用で、一人で悩み事を抱え込んで、自分の存在を諦めかけてた少女。
『――後ろの正面だぁれ?』