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Traumerei  作者: 水月
第一章・石鳥居かごめ
7/18

005

 気が付けば日は回り、学校の授業を受けていた。数学の授業はいつもの三割増しで眠気を誘ってくる。


 「……なあ、成生」


 鎌田は小さな消しカスを投げて俺を呼ぶ。


 「なんだ」

 「今日の帰り、かごめちゃんって子に会わせてくれよ」

 どうやら、過去にやられたことをまだ根に持っているようだ。

 「構わないけど、あいつは神出鬼没だからな。見つけようと思って見つけられるかどうか……」

 「なにそれめっちゃ羨ましい。授業サボり放題じゃん」


 そんな話をしている時だった。廊下側に人影が通るのが見えた。噂をすれば、というやつだ。廊下の人影はかごめ本人で、どうやら授業のサボり癖は昔から変わっていないらしい。


 「ん? どしたん、ボーっとして」

 「いや、今廊下にかごめが居てな」

 「何だって!?」


 立ちあがる鎌田、教室中に響く声、黒板から振り返る数学の教師。


 「どうした鎌田?」


 鎌田、誤るなよ。言葉を間違えれば、お前はシベリア送りだ。


 「え、あ、その、そ、そこで兵法を完成させるなんて、先生はさすがだな、と思いまして」


 兵法を完成とは!? 戦国時代の知将じゃあるまいし。


 「うむうむ、その通りだ。ここで平方完成を使うことにより……」


 きっと些細なことで教師も気づかなかったんだろう。兵法を完成させる件は完全にスルーされ、鎌田のシベリア送りは延期となった。見てみたかった気もするが。


 「何、成生の後輩の子って不良なの?」


 小さな声で問いかける鎌田。


 「いや、別に不良ってわけじゃないさ。ただ、影が薄いってのと、ちょっと他より頭がいいから変なサボり癖が付いちゃったらしいんだ」

 「なんだよ、その優等生なお嬢様だけど、訳あり! みたいなラノベ設定は」

 「しかも、声優は最近話題のあの人だぞ」

 「へぇ、そりゃ凄いな……じゃないだろ!」


 再び教室に響き渡る鎌田の声。数学の教師も再び鎌田の方を振り向く。


 「どうした、鎌田?」


 二度も授業を中断されたからなのか、数学の教師の声色は少し低いようにも感じた。鎌田、本当にシベリア送りになるのか。お前とは、もう少し同じ学校でいたかったよ。


 「え、あ、ああぁぁ!! と、途中から式のDがPに置き換わってますよ」

 「うん?」


 黒板を見つめなおす教師。しばらくして。


 「本当だ、ありがとう鎌田。皆さん、私の記述ミスがありました。ここからの式のPは全てDです。であるから、この後の式も……」


 俺は、再び命拾いした鎌田にこっそりと話を掛ける。


 「また命拾いしたな。くたばり損ない」

 「あんた中々の薄情っすね。人間の心はないんか!?」

 「俺は鎌田がシベリア送りになると思ってたがな」

 「冗談抜きで焦ったんですけど!?」


 さすがに懲りたのか、小さな声で怒る鎌田。

 数学の授業が終わり、時は進む。泉とは、昨日のあれ以来話していない。もともと、あまり話したこともないし、彼女の方も、好んで自分から話しかけるような性格ではない。今思えば、あんなに自分から話をしている泉を見たのは初めてかもしれない。そんなことを考えているうちに今日の日程が終了する。


 放課後。

俺は鎌田とともにかごめを探すことになった。手始めに、校門前で下校する生徒に混じっていないか確認するようだ。

 それくらいで見つかるようなら苦労はないのだが。


 「どう? いる?」

 「見つけようと思って見つかるようなやつじゃないんだよ、あいつは」 

 「携帯の連絡先とか交換しとらんの?」

 「いや、してないな」


 そもそも、かごめがスマホをいじっている姿を、俺は未だかつて見たことがなかった。


 「これじゃあの時の仕返しができないじゃないか」

 「反撃されるのがオチだと思うぞ」

 「このままじゃオレの腹の虫がお侍んだ」

 「それを言うなら、腹の虫が治まらない、だ」


 鎌田が頭をかき乱していると、昇降口から泉の姿が見えてきた。


 「すまん泉」

 「はい、どうかしましたか」


 俺と鎌田は泉の方へ歩み寄る。


 「学校で巫女服を着た女の子見なかったか?」

 「え? 巫女服ですか? いえ、たぶん見てないと思いますけど」


 巫女服? 学校はついさっき終わったばかり。さすがのかごめも、まだ制服――か?


 「巫女服なんて目立つ衣装着てたらわからないはずないよねぇ」

 「そうだな、てことはまだ制服かなぁ。ますます見つけられる自信がないな」

 「その方ってこの学校の生徒さんなんですか?」

 「ああ、一個下だよ、俺らの。石鳥居かごめって言うんだけど」

 「急用なら、私も探すの手伝いましょうか?」

 「え? いいの!? 助かるよ早苗ちゃん」

 「いいのか? コイツの悪事に加担して」

 「悪事じゃないよ! 元はといえば、そのかごめちゃんって子が喧嘩を売ってきたんだからね。悪い仔猫はしつけないと――」

 「お前、将来絶対捕まるぞ」

 「いや、そういう感情はないから!!」

 「ふふっ――」


 静かに笑う泉。口に手を添えて、上品に微笑んでいる。


 「ほら、お前が犯罪行為に手を染めようとするから、泉が笑ってるぞ」

 「だから、そういうんじゃないって!」

 「お二人は本当に仲が良いんですね」

 「まあ、ほとんど腐れ縁に近いけどな」

 「気が合うのは確かかもね」

 「私もかごめちゃんの捜索に協力させてください」

 「捜索ってほど大がかりなものでもない気がするが、っていうか、かごめの顔を知ってるのが、俺だけなのは変わらないんだよな」

 「何組かもわからないの?」

 「……わからない」


 考えてみれば、俺はかごめについて、知らないことだらけだった。情報が少ないといった方が正しいのかもしれない。小さい頃からの付き合いがあるにも関わらず、かごめの家に遊びに行ったことなんか一度もないし、両親とも喋ったこともない。正月におみくじを引く以外、かごめの家――石鳥居神社に行ったことはなかった。


 ――神社。


 「――石鳥居神社だ。かごめは神主の娘だから、神社に行けば会えるかもしれない」

 「え、あの石鳥居神社?」

 「それなら、ここからそう遠くありませんし、今から行きますか?」

 「学校にいないんじゃそこで待ってればいつか会えるだろ。てか、本当に会いに行くのかよ」

 「モチのロンだ。あの時の借りを絶対に返してやるぜ」


 かごめへの復讐心を燃やす鎌田、付き添いの泉とともに、校門を後にする。

 坂、高原へと続く坂。街灯がほとんどないこの地域は、夜になれば、闇に呑み込まれる。そんな坂道を乗り越えた先に、石鳥居神社がある。この地域に住んでいる住民であれば、年末年始、初詣はこの場所で済ませることが多く、今日かごめに会いに行くことなんて、早めの初詣くらいの気分だった。それこそ、本当に早めの初詣をしたっていいくらいに。


 違和感――それは突然だった。この町で生まれ、この町で育ったはずの俺が、足を進める度に違和感を覚えていたのだ。


 気のせい、最初はそんな風に思っていた、思いたかった。この町に十七年という月日を過ごした人間が、この坂道に違和感を覚えるなんてあり得ない。あり得てはいけないのだ。きっと、違和感の根源はそこではない。もっと存在感のあるもの。坂道よりも存在感のあるものが脳裏の中で、モザイクがかかるように、途切れるように、砂嵐へと変貌する。

 神社――石鳥居神社。そこに映ったのは確かに石鳥居神社だった。かごめの実家。なぜそこが映ったのか、わからなかった。わかりたくなかったのかもしれない。拒む俺の脳内に、一枚の風景絵が淡く浮かび上がる。やがて、それは鮮明に、一つの建物を形成していった。


 寺?

 思考が停止する。ライトの導線が断線するように、頭の中が真っ白――いや、真っ暗になる。

 ありえない、そんなことはありえない……自分にそう言い聞かせて、俺は走る、石鳥居神社に向かって。


 「な、成生君?」

 「おい、どうした急に」


 二人は、唐突に走る俺を見て驚きながらも走って追いかける。石鳥居神社までの距離は折り返しということもあり、数分で目的地へと到着した。

 石鳥居神社。

 ……石鳥居神社。


 ………………。

 嫌な予感は的中してしまう。そこには、鳥居や手水舎など、神社になら必ずあるものが無かったのだ。


 「あれ、ここって――」

 「寺だったっけ?」


 どうやら二人も気づいたようだ。いや、ここまできてしまうとそれは違和感ではなく――消失。その空間だけが切り取られ、別の何かにすり替えられてしまったような。


 「ど、どうして……」

 「――来ちゃったんだね、この場所に」


 夕暮れ、俺達の背後に一人の少女が立っていた。巫女服を纏い、憂いた表情で。

差し込む夕日は風に舞う雪を煌めかせる。


 「か、ごめ」

 「悠くん――」

 「なあ、かごめの実家が――」

 「ボクの実家、なんてものはないんだよ? 前に言ったよね、この世界には秘密があるって。その秘密の一つがこれなんだよ」

 「そ、そんなのって」

 「それに――」

 「な、なあ――」


 間を割るように入ってくる鎌田。俺は、呆然と鎌田の方を見るが、どうも二人の様子がおかしい。もちろん、神社が消失していることにも驚いているはずだが、それよりも、何か違うことに驚いているようだった。


 「――成生、お前……誰と喋ってるんだ?」

 「――え?」


 誰と?

 耳を疑うようなその言葉とともに、世界の刻は針を止めた。


 「だ、誰って、かごめだよ。そこにいるじゃないか。悪い冗談はやめてくれよ。ほら、ここだよ」


 俺は、かごめが立っている場所を指差す。

 かごめは、たしかにそこに立っている。泉と鎌田のすぐ先に。巫女服を纏って。


 「…………」

 「…………」


 沈黙――それが二人の答えだった。


 「なんとか言えよ……泉ならともかく、鎌田、お前は会ってるはずだぞ」


 会っている。会って、いる。

 会っている?

 会って――いない。校舎で滑った時も、鎌田の家で蹴られた時も、あいつは一度もかごめを視認してない。


 「これが現実なんだよ、悠くん。ボクはこの世の人間じゃない――イレギュラーな存在なんだ。本来なら生まれる存在じゃなかったんだよ。本当はね、一人で静かに終えようと思ってたんだ。でも、どうしても、一度でいいから、一緒に、学生生活を送ってみたくて、悠くん以外には視えないってわかってたのに」


 少し震えた声で、少女は語る。ずっと抱え込んでいた本音を。


 「嘘――だろ?」

 「さっきも言ったように、ボクは本来この世界には居てはいけない存在。もうすぐここを去らなくちゃいけない――出番を終えた役者は舞台を降りなきゃいけないんだよ。悠くんの記憶の中で過ごせた時間は、ボクの一生の宝物になった。ろくに挨拶も出来なかったけど、ボク――待ってるから。ちゃんと、そこで……」


 かごめはそう言い残して、消えた。文字通り。

 雪の粒子とともに。少し冷たい風が過ぎ去ったころには跡形もなく。雪影を目で追っても、夕日に照らされているだけ、少女の姿は、ない。


 ………………。

 呆然と立ち尽くしたのは五秒ほどだったが、俺にとっては何時間も経つくらい、緩やかに時間が過ぎていった。地面に膝をつき、体温で溶けた雪が膝元を濡らしていたが、雪を冷たいと感じなかったのは生まれて初めての経験だ。


 「なあ、成生、かごめちゃんは本当にいたんだよな?」

 「……え?」

 「ならさ、もっかい探そうぜ。今の成生の様子を見た限りだと、一方的にフラれてたみたいだし、オレ、一緒に探すよ。お前だけかごめちゃん拝めてオレらが拝めないのは不公平だろ?」

 「わ、私も、探すの手伝います。私なんかが手伝っても、足手まといになるかもしれないけど、それでも手伝わせてください」

 「鎌田……泉……」


 二人の手を取り、俺は立ち上がる。


 そうだ、まだ終わってない。終わらせちゃいけない。きっと、まだどこかにいるはずだ。俺の記憶の中のかごめは、あんなに強い女の子じゃない。どこかで泣いている。平然な態度で繕っても、泣きたい気持ちを抑えてても、俺にはそれがわかる――あいつを、かごめを唯一知っている友人なのだから。

 かごめなら、必ずあそこにいる。


 少しずつ日は落ちていき、宵闇が世界を浸食し始める中、あの場所を目指す。俺の中で唯一知る鳥居、神社。石階段の先に佇む小さな社。坂を下り、学校を目指し走る。学校につく頃も、まだ日は昇っていた。学校の裏に回り、石階段を見上げるが彼女の足跡らしきものはない。


 「こんなところに裏山に続く階段があったなんて、気づかなかったわ。鳥居まであるし」

 「私もです。初めて見ました」


 この先に、かごめはいるはず。

 石階段を上る。途中にある鳥居をくぐり、再び石階段を上って。

 俺達の目の前には小さな社が佇んでいた。


 「え、神社か? ここ」

 「鳥居がある、ということはそう、なのでしょうか」


 二人は初めてこの場所に来たようで、感心に浸っていたが、そこにかごめの姿はなかった。社の周りを一周してみるも、やはりかごめの姿は見当たらない。


 「いなかったか?」

 「ああ――」


 半ば、諦めかけた時だった。頭の中に響く鈴音。拝殿を見るが、特に異常は見当たらない。鈴はきちんとぶら下がっているし、錠も掛けて――


 「錠が、ない?」

 「え?」

 「本当です。普通なら掛けてあるはずなんですけど」


 息を飲んで扉に手を触れる。罰当たりな行為なのは間違いない。それこそ、祟られてしまっても文句は言えないようなことを今まさにしようとしている。


 「成生――覚悟はできてんのか」

 「ああ、出来てるさ」


 俺は、禁忌に、手を触れた。触れてしまった。

 中には、一人の少女が蹲っていた。隅の方に身を寄せ、泣くのを我慢しているのか、顔を腕の中に埋めている。


 「見つけたぞ――かごめ」

 「君が……」

 「かごめちゃん」


 どうやら、二人にもかごめの姿が視えているようだ。


 「どうして、どうして来てしまったんですか……もうすぐ、お別れなのに」

 「そんなの――決まってるだろ。お前をどこかになんて行かせない」

 「無理だよ――ボクはもう死んだ人間なんだから……」

 「――え? かごめが――死んでる?」

 「お母さんが、まだボクを身籠ってた時の話です。安産祈願のためにこの社に足を運びました。お祈りを済ませ、家に帰ろうとしたその時、足を滑らせて石階段を転げ落ちたんです。救急車が来た時には、もう遅くて――皮肉なものだよね。かごめ、だなんて文字通り、籠の中でしか生きられなかった女の子なんだ――ボクは。初恋だってまだだったのに……友達とも遊ぶこともできず……籠の中でしか生きられなかった小鳥は囀ることも、羽ばたくこともできなかった。世界を夢見ることしかできなかった小鳥の一生に、価値なんて、あったのかな」


 涙を流しながら、声を震わせながら、かごめは問う。自分の人生を悲観し、絶望した目を向けて。


 「世界を夢見る小鳥にだって、価値はある。必死に囀ろうと、必死に羽ばたこうと生きた証が、無価値だなんて思わない」

 「悠……くん――ッ」


 かごめの前で屈み、そして、手を差し伸べる。


 「お前は――死なない。死んでなんかない、かごめの――」


 思い出す――約束。遥か遠い記憶。夢なんかじゃない、あの木の下で、彼女に告げたこと。


 『この木は――俺達の願い事を何でも叶えてくれるんだ。かごめは何か願い事あるか?』

 『ボク? ボクはね……う~ん、と……』

 『別に今じゃなくてもいいんだ。いつか自分の願い事ができたら言ってくれよ――一緒に、願ってやるからさ――』


 ………………。


 「かごめの――願い事はなんだ?」

 「ボクは――ボクは……」


 言葉が詰まるかごめ。目は腫れて、頬に伝う涙は雫となり、滴り落ちる。袖で涙を拭い、顔を上げる。


 「ボクは……皆と、一緒に……遊びたかった――一人の女の子として、一人の友人として――生きたかった――」


 かごめは、俺の手を握る。震えながら――消えてしまう悲しさ、怖さを乗せて。ただ、彼女の手にはたしかな温もりがあった。


 ――光。神々しく、温かい光が屋内を優しく包み込む。世界の色は剥がれ落ち、純白な世界が取り残される――

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