013
………………。
暗闇が続いている。ここはいったいどこなのだろうか。耳を澄ましてみると、鳥の囀りのようなものが聞こえてくる。ぼんやりとした意識の中では、何も考えることはできず、永遠の時間をただただ無意識に潰すことしかできなかった。
それはあまりにも唐突な出来事だった。一筋の光が視界に見え始めたのだ。
泉……鎌田……気が付けば、目の前には白い壁と丸い光がこちら側を照らしている。
天井? 顔の左半分からは冷ややかな風が当たっており、右足には何やら重みを感じる。
左側を見ると見知らぬ窓が少し空いており、換気をしているのが見て取れた。右側には少女が一人。ベッドに両腕を乗せて眠っている。俺が上半身を起こし外を眺めていると、その少女もやがて目を覚ました。
「か……ごめ……?」
「悠くん――!!」
かごめは俺に抱き着き、子どものように泣きじゃくっている。
「悠くん。悠くん――良かった……悠くんが死んじゃったらボクは――」
「……頑張ってくれたんだなかごめ。目にクマができてるぞ。」
「だって、悠くんが全然目を覚まさないから――」
「……ごめんな。俺はどれくらい眠っていたんだ?」
「悠くんは一か月も意識不明で……」
「一か月……か」
そんな期間も眠っていたのか。感覚的には十数秒だったが、現実の時間と体感の時間の乖離に少しばかり驚いてしまった。
「ところで……泉や鎌田はどこにいるんだ? 助かったんだよな?」
「それは……悠くん。落ち着いて聞いてほしいんだけど――」
「………………」
「お二人は、その、助かりませんでした……」
「……え?」
泉と鎌田が?
「鎌田さんは悠くんのすぐ近くで救出されたんだけど、だいぶ衰弱していて病院に運ばれて間もなく――泉さんも悠くんの近くまで流されていたんだけど見つかった時には既に――今回の雪崩で亡くなったのはそのお二方です」
「そん、な……」
「とりあえず今、先生を呼んでくるから安静にしててね」
助かったのは、俺だけ? どうして……どうしてどうしてどうして。
俺が、気を失わなければ――
助けられなかった悔しさと、気を失ったことへの後悔で胸が張り裂けそうになる。
それから問診などがあったが、何を答えたのか、それすら記憶がなかった。
………………。
しばらくして、家族が俺の病室のもとへ訪れた。
「悠――」
姉さんが勢いよく俺の前に駆け寄りベッドの前に崩れ落ちる。
「よかったよ、本当に――」
「これも、ナツメの導き……なのかな?」
「父さん、それって――」
「悠ちゃんは覚えてない?」
「覚えてる――父さん、母さん、姉さん、ただいま……」
「夢だったかもしれないけど、私達家族はまた一つになれた。これからもお見舞いに来るから」
姉さんは立ち上がり涙を拭った。
「何か必要なものはあるか? 飲み物とか食べ物とか」
「いや、大丈夫だよ」
「そうか。必要なものがあったらいつでも言うんだぞ。面会の時間もあんまりなさそうだし今日のところは帰るけど、また明日顔を出すよ」
「……分かった」
家族はその後、俺の病室から去っていった。しばらくして再びかごめが俺の病室を訪れる。ベッドの近くにある椅子に座るとカバンからリンゴを取り出した。
「リンゴ……剝いてあげるね」
「ああ……ありがとう」
かごめはリンゴの皮を剝いている。家庭科はあまり得意そうなイメージはなかったが、リンゴを回しながら器用に皮を剥いていた。
「なあかごめ――」
「……どうしたの?」
「俺は泉と鎌田を救えなかった。友達すら救えなかった俺は生きる価値なんてあるのかな……?」
しばらくしてかごめはリンゴとナイフをテーブルに置いて俺を抱擁した。
「生きる価値はあるよ。あの時、必死になってボクのお母さんを助けてくれたでしょ。悠くんのおかげで、世界を夢見ることしか出来なかったボクは羽ばたくことができた。そんな優しい悠くんが無価値だなんてボクは思わないよ」
「かごめ……俺は……」
かごめの胸の中で、俺は泣いた。止まらない感情が雫となり頬を伝う。
「……うああああぁぁあーー……ぐっ……ぁぁあぁぁーー……!!」
俺は今までのすべてを吐き出した。かごめは優しく頭を撫でながら俺を肯定してくれた。
「……みっともない姿を見せたな、かごめ」
「いいんだよ。ボクでよければいつだって悠くんの力になるからね」
かごめは切り終わったリンゴをお皿に乗せて俺に差し出す。
「さ、リンゴも剥けたし、ボクが食べさせてあげるよ」
かごめはつまようじで刺したリンゴを俺の口元へと運んでくる。
「いいよ。さすがに恥ずかしいだろ」
「病人なんだから、口を開ける」
俺は気恥ずかしい気持ちを押し殺し、目を瞑りながら口を上げる。
「リンゴ、美味しい?」
「ああ……」
酸味と甘みが口の中に広がる。噛むたびに果汁が溢れ出し、少しだけ元気が出たような気がした。
それからしばらく、話をしながら二人でリンゴを食べていた。
そして――最後の一切れ。
「かごめ、最後の一切れ、ちょっと貸してくれ」
「うん、いいよ」
かごめは皿を俺に渡した。
「ほれ、口開けろ」
「え?」
「俺だってやったんだ。仕返しだ」
「え、恥ずかしいよ――」
顔を赤らめながら視線を逸らすかごめ。俺はつまようじで刺したリンゴを籠目の口元へと運ぶ。
「どうだ。俺の気持ちが分かったか?」
「むぅ」
いつもならこんな他愛のないようなことをしているだけで笑みがこぼれているはずなのに、口角は上がりきらず、ただ優しい眼差しでかごめを見つめることしか出来ない。俺は皿を近くに置き、下半身の向きを変えようとしたが、かごめによって静止させられてしまう。
「ちょっと――病人なんだから横になってないとダメだよ」
「なあかごめ、俺、あの木に――」
「――ダメ!」
震えた声で声を上げるかごめ。
「どうして、せっかく助かったのにまた危険なことをしようとするの?」
「………………」
「ボクだって、できることなら泉さんや鎌田さんを助けたかった。でも悠くんしか助からなかった。本当なら助からなかったのかもしれない。助かったのが奇跡だったのかもしれない。それに……ボクが助かった世界は――ココしかない。例えあの木への願いが正確に叶ったとしても次また助かるとも限らないんだよ?」
「それでも――俺は行かなきゃいけないんだ。今度は絶対にみんなを助けるんだ」
「ボクは悠くんが心配なんだ。悠くんには死んでほしくない。だったらこの世界で一緒に――」
かごめは真剣に俺の幸せを願っている。唯一かごめを救えた世界で、皆が無事なら文句無しの結果だったのかもしれない。だが、現実は非情だ。
俺にある選択肢は二つ。このままかごめと暮らしていくか、あの木に願ってもう一度雪崩が起きた日に戻るか。
「悠くん、お願いだから、ボクの前からいなくならないでよ……」
かごめは声を震わせながら俺の服を掴んでいる。
この世界でかごめと二人、協力しながら生きていくことも出来るだろう。生きていることが確定した世界で、泉や鎌田が居ないこの世界を。仮に願いが正しく叶ったとしても、俺の知っているかごめはこの世界以外に存在していない。過去を改変して救ったかごめはここにしかいないのだ。この世界以外に存在している可能性は極めて低いだろう。そして、最大の難関はあの雪崩の中で自身が死んでしまう可能性があるということ。そうなれば、かごめが恐れている最悪の結末になってしまう。
あの木はいつだって俺達に試練を与えてきた。都合の良い未来をそのまま渡すのではなく、あくまで自身たちの手でつかみ取らせようとしている。
与えられた選択肢。かごめとの暮らしか、やり直しか。
俺が選ぶのは――
「かごめ――俺はもう一度やり直したいと思うんんだ」
「……ッ!!」
「きっとこの世界でかごめと一緒に過ごすのも、いいものなんだと思う。だけど――俺は泉や鎌田を救いたい。みんなで幸せになりたいんだ」
「――そっか。悠くんの気持ちは固いんだね」
かごめは優しい瞳で俺を見つめる。
「そんな寂しそうな顔をするな」
「悠くん……」
俺はベッドを出て着替えると、廊下で待っていたかごめに手を差し伸べる。
「さあ、行くぞ――かごめ」
「……え?」
「世界を変えに行くんだ。俺一人じゃ力不足だろ。一緒に幸せな未来を掴もう」
「でも、この世界以外にボクは――むぅ」
俺はかごめの額の前で優しく中指を弾いた。
「かごめがこの世界にしかいないって思ってるならそうなっちまうけど、あの木の力なら何度だって世界の枷を断ち切れる。あの木は人の弱さや、人の可能性を試している。今の俺とかごめならその試しを乗り越えられる、そうだろ? 今度は泉や鎌田を助けに行こうぜ――かごめ」
「――ホント、悠くんには敵わないな」
「俺がかごめを置いていくわけないだろ。かごめがいない世界なら死んだ方がマシだ」
かごめの頭を優しく撫でると、再び手を差し出す。
「わかった――一緒に悲しい結末を変えよう」
かごめは俺の手を取る。
「それと――さっきの言葉さすがにクサいからね。ボクにコクってるみたいだったよ」
「なんだかごめ――俺にコクって欲しいのか?」
「むぅ――そんなことないもん!」
「ハハ、そんな悪戯じゃ俺には勝てないぞ。いくぞむぅ太郎」
「むぅ――そうやってボクをバカにして――」
俺はかごめと一緒にこっそり病院を抜け、あの木へと向かった。
十分後。俺達はそのまま高原の方へ足を運んだ。道中には俺達が雪崩に遭ったスキー場があったが、今シーズンの運営は見直されているようだ。
「悠くん――絶対に泉さんと鎌田さんを助けようね」
「当たり前だ。頼りにしてるぞかごめ」
目の前には木が一本。
人の可能性を確かめる木。その木を前にして、俺は覚悟を決める。
「来たぞ。今からお前に俺達の覚悟を見せてやる」
「悠くん――」
かごめも準備はできているようだ。
「と、その前に――一つやり残したことがあってな」
「やり残したこと?」
「よかったらかごめも付き合ってくれ」
「う、うん……」
「まだこの世界にいるなら出て来いよ――ナツメ!」
「ナツメさん……?」
『悠真――良かった……生きていたんだね。かごめちゃんもよく頑張ったね』
しかし、姿は見えない。声だけが辺りに木霊する。
「なあナツメ――俺は今から雪崩が起きた世界に戻る。だから、俺達に力を貸してくれないか?」
『前にも言ったように、僕の役目は終わったんだよ。あの世界で、悠真の頑張りを陰ながら応援して、最後は真美姉やお父さんやお母さんとも仲直りもできた。これほど満足できることはないよ』
「本当にそれでいいのか?」
『……うん』
「ナツメはそれで満足なのか? 本当は一緒に居たいんじゃないのか?」
『………………』
「この前も言ったように創立祭のメンバーは絶賛人手不足なんだ。鎌田がドラム、泉がキーボード、そして俺とかごめがギター、やっぱり、ベースがいないとしっくりこないだろ。それに、俺と鎌田が秘密裏に立てた計画にはナツメも必要なんでな」
『計画?』
「それはボクも知らないんだけど……」
「やっぱりバンドと言ったらボーカルが必要だろって思ってな。泉にもあとで声をかけるが、二人には唄ってもらうことにした」
「え? え?」
『これは驚いたね。できれば一緒に参加したかったものだけど』
「ならさ、一緒に行こうぜ。ナツメが困ってんなら俺が絶対に助けに行く。ここにいるかごめだってそうさ」
「そうですよナツメさん。ボクももっともっとナツメさんとお話したいです。あの世界で話し合えたのは数分もありません。だから、一緒に行きましょう?」
『そんなの……一緒にいたいに決まってる――でも僕は死んでしまった。かごめちゃんとは違って事故があったわけじゃない。どうしたって生まれる未来なんてないんだ』
「だったら――俺達と一緒にやり直そう」
『……え?』
「この木にナツメが生きている未来を願うんだ」
『そんな……の、無理だよ……』
「――大丈夫、俺達ならその運命に打ち勝てる。負の気持ちなんか一つもない。俺とかごめは未来を変える覚悟を持ってここまで来た。後は――ナツメ次第だ。このままここで終わるのか、それとも生きる未来を信じて俺達と一緒にもう一度やり直すか」
「ナツメさん、悠くんと一緒に頑張ってみようよ」
「悠真、かごめちゃんも――」
光の粒子が一つの場所に集まり、やがてナツメを形成していった。俺はナツメに手を差し伸べる。ナツメはその手を取り、笑みを浮かべた。
「本当に強いな悠真は――」
「みんなのおかげだよ。自分一人でなんでも抱え込むんじゃなくて、相談することや協力することの大切さを学べたからここまで強くなれたんだ。きっとあの頃の俺じゃ、こんな決断はできなかった。だから――そんな俺を変えてくれた人達を救いたいんだ」
「わかった。僕にできることなら協力させてくれ」
「これで戦力も大幅アップだよ」
「そうだな。それじゃ、行くぞ」
俺達は木の前で祈りを捧げる。
「俺達に――未来を変えるチャンスを……幸せの未来を掴むチャンスを――」
「みんなが生きてハッピーエンドになるための未来を――」
「誰一人欠けることのない幸せな世界を――」
俺達の祈りに応じるように世界は瞬く間に光に呑み込まれた。
世界を越え、時空を遡っている感覚が五感を刺激する。巻き戻る世界の時はやがて雪崩の時刻を過ぎ、かごめや俺が生まれる以前の世界まで遡る。最初に異変を現したのはナツメだった。
「僕の体が――」




