009
眩しい日差し。その光の中で俺は目を覚ました。気怠い体を起こし、辺りを見渡すと鎌田が大口を開けながら爆睡している。
「おい、鎌田。朝だぞ」
「……うぅ、もう……食べられないぜ……ぇ……」
俺は学校の支度をして鎌田の家を後にした。あくびをしながら校門を通りかかると、偶然にも泉と鉢合わせる。
「成生君、おはようございます」
「おはよう」
「あれ、今日は鎌田君とは一緒ではないのですね?」
「ああ、あいつは夢の中で腹いっぱい飯を食ってたみたいだし、邪魔するのもなんだから置いてきた」
「あ、あはは……でも、鎌田君出席がギリギリだったと聞いたことがあるような……」
「あいつなら、大丈夫だよ。俺に良い策があるんだ」
俺と泉は教室へと入り、外を眺める。
「いい策とはいったいどのようなものなんでしょうか。あと十分で先生も来ちゃいますけど」
「そろそろ頃合いだな」
俺は自分の携帯で鎌田へ電話を掛ける。
「おう、鎌田か」
『なんだよ……今、あじまんを……』
「あと十分で遅刻になっちまうぞ」
『………………へ? は? へ? っすう……ん? やばくね?』
「だいぶヤバいな。でも、鎌田なら間に合う――そうだろ?」
『遅刻はまずい……よし制服も来たし全力登校だオラァーー!』
「想像以上に準備が早いです!!」
活きの良いツッコミを入れる泉。
「いいか泉、これが最速の男――鎌田だ」
『今から全力疾走するから切るぞ――』
「ああ、健闘を祈る――」
俺は電話を切って窓の外を見守る。
「本当に大丈夫なのでしょうか」
八分後。校門前を全速力で走る生徒が一名。鎌田だ。
「本当に間に合いそうです!」
二分後。鎌田が入室したと同時に始業のチャイムが校内に響き渡る。
「本当に悪運の強いやつだな」
「も……もう限界……だ……っ」
鎌田は席の前で息を荒げながら前方向に倒れる。
「鎌田君、よく間に合いましたね」
「誰か、水をくれ……寝起きでカッピカピなんだ」
「コーヒーならあるけど飲むか?」
「いや、鬼か!」
鎌田は盛大に突っ込むと立ち上がり、青ざめた顔で着席をする。続いて入室してきた担任が出席を取り終えると、一限の準備を始めた。
「成生ヒドいじゃねーか。起こしてくれよ」
「いや、起こしたんだがな……どうやら鎌田が旨そうな飯を食ってたようだから、起こしてやるのも忍びなくてな」
「現実世界で食ってたわけじゃないんだから、起こしてくれよ。起きた瞬間愕然とするわ、遅刻ギリギリだわで本当に最悪の一日だぜ。ちょっと飲み物買ってくるか」
「あ、俺コーヒーで頼むわ」
「なんで、一番疲れてるオレに頼むんだよ、買ってくる時間いっぱいあったろ」
鎌田が教室を出ようとした瞬間にスタスタとこちらに駆け寄ってくる。そんな俺と鎌田の掛け合いを見て泉は笑みを溢した。
「お二人は本当に仲が良いんですね」
「一年の後期くらいの頃は鎌田も大分尖っていてな……懐かしいぜ。校門前であいつに出会ったときなんか――」
俺は唐突に鎌田に口を塞がれる。
「あ、成生様はコーヒーだったね。オレはスポドリでも買ってこようかな」
鎌田はしばらくして教室を後にした。
「なにかあったんですか?」
「まあ、色々とな。黒歴史ってやつだ」
「あはは……なるほど」
思い出し笑いをしそうになり、なんとか堪えながら泉にそう返すが、少しして鎌田が帰ってきた。
「早苗ちゃんに何か変な事吹き込んでないだろうな?」
「ああ、大丈夫だ。俺は優しい人間だからな」
「優しい人間は人をパシったりしないだろ」
そんなこともありながら、気づけば、時間は放課後。俺は教科書の入っていない軽いカバンを持って席を立ちあがる。
「帰るか」
「成生、今日はこのまま家に来るか?」
「すまん、一瞬だけ自宅に帰るわ。すぐにそっちに向かうよ。それじゃ――」
俺は急ぎ足で自宅へと向かった。頭の中が整理できているわけでもない。とりあえず姉さんに訊いてみて、そのあとのことはまたその時に考えよう。
十分後。俺は玄関前にいた。昨日の今日で帰ってくるのもなんだか不思議な気分だが――
俺が玄関の扉を開けると静かな空間が広がっていた。靴を見るとどうやら姉さんはいるようだった。
リビングの扉を開けると姉さんがテレビをつけながらソファで横になっていた。
「悠、おかえり~。頭は冷えた?」
「……なあ姉さん」
「うん?」
「姉さんはナツメってやつを知ってるか?」
「……ナツ、メ…………」
「実はナツメに会って話を聞いたんだ。ナツメのこと、家庭のこと」
「そっか……あの子とね」
姉さんは起き上がり、寂しそうな表情をしながらリモコンを操作してテレビの電源をオフにした。
「信じるのか?」
「うん……だって悠が小さかった頃、何度もナツメについて話してくれたしね。私には一度も見えたことはなかったけど」
「てことはナツメはやっぱり――」
「あれは私が幼稚園の頃だった。私の記憶の中ではあの時が家族として一番幸せな時期だったのかもしれない。父さんも母さんも元気で、笑顔で……」
「………………」
「私が下の子が欲しいと言ったばかりに――ナツメが亡くなって、そして悠が生まれた。悠が生まれて間もなくお母さんは流産の記憶がフラッシュバックして、入退院を繰り返した。特に悠にはナツメが見えてたみたいだから怨念がどうのって母さんも酷く怯えて」
「怨念――ナツメは一度もそんなことは」
「でもね、見えてるのは悠だけ。私たちには見えなかった。だから、父さんも母さんも悠が憑りつかれてるって思いこんで何度もお払いに行ってた」
「そんなことが」
「でも、それだけじゃ済まなかった」
「え?」
「それ以降、母さんは酷い鬱と怨霊という思い込みに苛まれ、神社に通い詰めるようになってしまった。神様に縋ることで、心の隙間を埋めようとした。それが昨日の行動の一旦だよ」
「そんなことが――」
「だからね、本当は誰も悪くないの、私を除いて、ね」
「どうして今まで教えてくれなかったんだ?」
「だって、言えるわけないじゃない……悠が父さんと母さんにとってナツメの代わりになってしまっているのだから――」
「……え?」
俺が、ナツメの代わり?
「父さんは悠がナツメを視認できていた時期はまだ元気だった。ナツメが視える悠がいたから毎日を頑張ってこれた。でも、悠がナツメを視認できなくなってからはまるで抜け殻のように元気をなくしてしまって、心の病気も患ってしまった。母さんはナツメに対する自責の念で鬱になり、入退院を繰り返して、それでも、いまだに神社に通い詰めてお金を捧げている」
「そう、か。俺はナツメの代わりだったんだ……」
「悠、私の願いが家庭を崩壊させたんだ。本当にごめんなさい」
姉さんは立ち上がり抱擁する。
今の俺にはもう、価値がないんだ。ナツメの代用品でしかなかったんだ。しかし、それすらももう果たせなくなった。
「大丈夫、だよ……姉さん……」
「悠……でも、父さんも母さんもいつか悠を悠として見てくれる。私はそう信じたいの」
それからの記憶は曖昧だった。気が付けば俺は、自宅を後にして、鎌田の家へと向かっていた。道を歩いているという感覚すら朧気で、いつの間にか鎌田の家の玄関に入っていた。
「お、帰ってきたか」
鎌田がリビングからポテチの袋を持って階段へ上がろうとしていたところだった。
「どしたん? 顔色が悪いぞ?」
「あ、ああすまん。ちょっと外が寒すぎてな。さてさて炬燵に入ろうかね」
俺は靴を脱いで鎌田の部屋へと向かった。部屋の中は暖かい空気に満ちていて、冷えてしまった心を除いて温めてくれた。
「家に帰るって言ってたけど、何しに行ってたんだ?」
「ああ、ちょっと部屋の掃除の方をな」
「そうか、でもあんま長いことここに居たらさすがに心配するだろうし、適度には帰ってやれよ?」
心配、か。
「少しだけ横になるわ」
俺は鎌田にそう言い残して炬燵で横になりながら目を閉じた。何時間くらい時間が経ったのだろう。辺りは暗く、深淵の中で俺は目を覚ました。そこに鎌田の姿はなく、下の階から会話のようなものが聞こえてくる。
天井を見つめるも豆電球すらついていない暗闇が視界を閉ざす。暫くして階段を上る音がすると、部屋の扉が開き眩い光が視界を眩ませた。
「……ッ」
「お、目を覚ましたか」
「……鎌田」
鎌田が部屋に入ると、後に続いて泉が鍋を持って入ってきた。
「泉!?」
「こんばんは」
「成生、クッソ体調悪そうな顔してたから、早苗ちゃん呼んで鍋を作ってたんだ」
「悪いな、迷惑を掛けて」
俺は上半身を起こして二人に謝罪をする。
「お気になさらないでください」
「たまにはオレの家で鍋パってのも悪くないだろ?」
「そうだな。ありがたく食べさせてもらおうかな」
俺達は炬燵の真ん中に鍋を置いて、お椀にそれぞれ具材を入れた。
「さて、それじゃいっただっきまーす!」
鎌田が勢いよく鍋を食べ進める。
「旨い。さすがは早苗ちゃんだ」
「ありがとうございます。お口に合ったようで何よりです」
温かい。さっきの出来事で冷え切った心の中に染みる味だった。両親と違って、泉や鎌田は俺を心配してこれだけの御馳走を用意してくれた。
「成生君、味の方はどうでしょうか。お母さんにはまだ及びませんけど」
「凄く、美味しいよ」
俺は、溢れ出てくる感情を押し殺して、おかゆと鍋を食べた。しかし、止めどなく溢れ出る感情はやがて頬を伝う雫へと変わっていった。
「――成生君……」
「あれ……あれッ……ハハ」
「ったく、人に『抱え込みすぎなんだよ』とか抜かしてたやつが世話ねぇな」
鎌田は食器をテーブルに置いて頭を掻いた。
「まさかそんなんでオレの目を誤魔化せると思ってんのか? 今のお前の姿は早苗ちゃんにだって普通じゃないってわかってるぞ」
「それは――」
「成生君、私たちは成生君の友人です。困ったことがあったら相談してください。小さな力かもしれませんが少しは役に立てるはずです」
「オレも夏澄との件で世話になったし、何でも言ってくれよ。力になるぞ」
「泉……鎌田……」
俺は泉と鎌田に家族のこと、ナツメやかごめのことを話した。
「なるほどね。かごめちゃんについてはあまり話題に上げないようにしてたが、そんなことがあったのか」
「ナツメさんにしても、まさか成生君の家族だったとは驚きました」
「そして俺は、そんなナツメの代用品なんだ。道理で家庭が崩壊するわけだよな……」
「で、成生はどうしたいんだ?」
「どうって、そんなのどうしようも」
「成生君、私を助けてくれたみたいに今度は私たちが成生君の手助けをします。だから――あの木へ行きませんか?」
「あの木?」
鎌田は首を傾げながら俺達を見つめる。
「だが、あの木への願いは必ずしも正しく叶うとは――」
「大丈夫です。私たちが付いています」
「まあ、なんだかよくはわからないけどそういうこった。オレ達にできることならなんだってするぜ」
俺は泉と鎌田とともに、あの木へ行ってみることにした。寒い夜の中、俺達はコートを着ながら長い坂を登る。
「この先にその木ってのがあるのか?」
「ああ、一本だけだから目立つんだが、夜だと見えないな」
「願いを叶える木……か。凄いロマンの塊だよな」
「そんな生易しいものじゃないさ。一歩間違えれば自分の望まない願いが叶った世界になってしまう木なんだ」
「それはちょっと嫌だな」
「そろそろつくぞ」
目の前には月光に照らされた一本の木が悠然と構えている。大きな木の枝は木製のブランコがつり下がっていた。
「これがその木ってわけか」
「はい、私もこの場所に来たのはあの時以来ですが、少しばかり緊張してしまいます」
「さて、ここまで来たはいいが……」
「成生君……」
『どうか、俺の周りの不幸を、あの人達の辛さを、なくしてあげてください』
祈りを捧げると木の根から小さな粒子が溢れ出し、天へと昇っていく。
「な、なんだこれは」
「成生君!?」
「――どうやら失敗したようだ……」
俺の体からもやがて粒子が天へと昇っていく。それは俺の存在を否定することで、周りから不幸を、辛さを無くそうとしていた。
「おい、木!! 成生を返せ!! コイツが居ないと俺達は不幸になってしまう」
昇っていった粒子は逆流し、俺の体へと戻っていく。存在が肯定されたのか?
「――鎌田……」
鎌田の願いは嘘偽りなく、心の底から願っていたのか?
だとしたら、俺の心にはやはりまだ迷いが――
「成生に消えられちゃ困るだろ、オレも早苗ちゃんも」
俺は再び木に祈りを捧げる。
………………。
俺が本当にしたいことはいったいなんなのだろう。大切な友人は居なくなり、実のきょうだいも消えた。家族は冷え切って笑顔もなくなり――本当にしたいこと……それは姉さんが居て、ナツメが居て、父親と母親と他愛のないことで笑いあいながら過ごす日常――なら俺がまず願うべきなのは――
「成生――」
「成生君――」
俺の願い――背けていた現実。
認めたくない真実。
『家族と、やり直す機会を――』
願いに呼応するように、辺りは眩い閃光に包まれる。
「成生!」
「成生君!」
――ここは、いったい……




