007
自宅へと帰ると、リビングの方で二人が言い争っている声が聞こえる。
これが、父親と母親なのか。
「悠が帰ってきたから二人もそろそろ喧嘩をやめて」
姉さんのその声で二人の喧嘩が止んだ。
………………。
俺はこんなくだらない争いをしている人間たちの火消し道具なのか、と思いつつリビングの扉を開けると床には皿やグラスの破片が散乱していた。
姉さんは俺が帰ってきてホッとした様子を浮かべているが、二人はというと未だににらみ合っている。
「おかえり、悠」
「今度の喧嘩は一体なにが原因なんだ」
「お母さんがその、お父さんの財布から――」
姉さんは目を伏せて言葉を詰まらせる。
なんだよそれ。
静まりかえるリビング。鉛のように重たい空気。温度調節されているのに部屋の気温はさらに落ちていく。
胸の奥底にしまっていた感情が蠢きまわる。そしてついに、蠢くその感情は器から溢れ出し俺は母親の前まで歩み寄った。母親は怯えた目で俺を見つめている。元凶。全てを壊した張本人が目の前にいる。
黒い感情に流されるまま、俺は母親の胸倉を掴んだ。
「悠、何してるの!?」
「悠真!!」
姉さんが俺の腕を振りほどき、喧嘩していたはずの父親までもが俺と母親の間に割って入った。
「どうして止めるんだよ。全ての元凶はこいつなんだぞ。こんな奴がいるから崩壊するんだ!」
「バカなことを言わないで」
「悠真、母さんは悪くないんだ」
「………………」
全てを崩壊させた張本人を庇う二人。つい先ほどまで喧嘩をしていた父親までもが庇っている。どうしてこんなものを庇うのか、俺には理解ができなかった。
「こんな家にいられるか」
俺は玄関を出ると、当てもなくできるだけ家から遠いところに向かって走っていった。あの家にいること自体が体に毒だ。
しかしどうしたものか。本当に行く当てもなくこんなところまで来てしまったが、鎌田の家にでもお邪魔しようか。
俺は、足早に鎌田の家へと向かった。
「で、なんか不機嫌そうだけど何かあったん?」
鎌田は炬燵のテーブルに顎をつけながら尋ねる。
「ちょっと、家で揉めてな。しばらく帰りたくないんだ。てか、顔も見たくない」
「それはそれは、派手に揉めたんだな」
「という訳で暫く匿ってくれ」
「それは別に構わんが成生は本当にいいのか?」
「あんな窮屈な場所より、ここでのんびりしていた方が精神衛生上いいわ」
「とりあえず一日休んで頭を冷やした方が良さそうだな」
「それもそうだ。今日はバスケもしたしちょっと疲れてんだわ」
俺は炬燵に温まりながら横になる。心地よい炬燵の熱気が眠気を誘ってくる。
「へえ、バスケしてきたんか」
「そう、泉の父親とな。鎌田のことも知ってたぞ」
「オレを知ってる? 泉? もしかして!?」
「泉 俊央っていうおっちゃんなんだけど」
「俊央さんが早苗ちゃんのお父さんだったのか!?」
鎌田は驚いた拍子に炬燵のテーブルに膝をぶつけて痛そうにしている。
「俺もびっくりしたよ。なんせあのおっちゃん鎌田と同じ技使ってくるんだぜ?」
「まさか、俊央さんがこの街にいるとは思わなかったよ」
「話を聞いたら、どうやら鎌田のお父さんと同級生なんだってな。おっちゃんも鎌田がこの街にいるって聞いてびっくりしてたぞ」
「オレの両親って結構出張が多かったからたまに実家に遊び来ててバスケをしたもんだよ」
「さすがにおっちゃん顔広すぎるだろ」
「確かにあのコミュ力の高さだからね。きっと誰とでも打ち解けられそうだ」
………………。
「なあ鎌田、鎌田って母親についてどう思う?」
俺は鎌田に問いかける。聞いたところで苦しむのは俺自身、そんなことは分かりきっているのに。
「母さんか。そうだな、料理作ってくれるし、たまにだらしない父さんを弄ったり、結構面白い人、かな?」
「楽しそうな家庭だ」
「小学生の頃から鍵っ子だったから少し寂しかった部分もあったけどな」
そのまましばらくして、俺は炬燵の温もりに身を任せ眠りにつく。
翌日、学校を終えた頃、鎌田の家に帰ると、何故か泉もついてきていた。
「なんか今日はあからさまな気がするんだが?」
「あはは、なんかごめんなさい」
「泉じゃなくて鎌田のやつだよったく」
鎌田は下手な口笛で誤魔化そうとしている。泉が気を使っているところを見ると、鎌田が昨日のことを泉にでも話したのだろう。
「成生君、ご両親と喧嘩していると鎌田君から聞いたのですが……まだ仲直りをしてないのですか?」
「してないな」
「それにしても、成生が怒るなんて珍しいこともあるもんだな。原因は何だったんだ?」
「それは……さあな」
金、だなんて言えるはずもなく、俺は適当にはぐらかした。
「よくオレの家にきてたってことは今に始まったような喧嘩じゃないんだろ? いつからなんだ?」
「いつから、か。いつだったかな。気が付いた時には嫌悪感しかなかったからな」
「嫌悪感、ですか」
「最近まで俺の家には母親が居なかったんだが、一年の終わり頃かな。いきなり現れて母親面するやつが家に来たんだよ」
「その方は実のお母さんではないのですか?」
「血は繋がっているけど、家にはいなかったしほとんど他人みたいなもんだよ」
「で、そのお母さんとそりが合わないって話か。お父さんとは大丈夫なのか?」
「母親に比べたら何倍もマシだが、中学に上がる前くらいからほとんど口を利くこともなくなったな。仕事が忙しくて、ほとんど家に居なかった。家に帰ってきても疲れ切った表情をしてたし俺に構ってる余裕なんてなかったんだろうよ。母親に関しちゃ今更どの面下げて帰ってきたのやら――」
「成生君に会いたかったんじゃないでしょうか」
「ないな、育児放棄するような奴だぜ。ろくでもないやつだよ」
「成生君のことが嫌いなら、そもそも帰ってこないのでは?」
「まあ、深い事情はありそうだけどな。きっとオレ達が想像もつかないような」
「……とにかく俺は、あんなものは認められない」
「杓子定規とはまさにこのことか」
「小さなころに居なかった理由などはお聞きになったんですか?」
「いや、聞いたこともないし、知るつもりもないかな。興味すら湧かないし」
「家族のことなんだからさすがに聞いておいた方がいいんじゃないか?」
「父親も父親で家にいることは少なかったし、きっと俺なんかいらない子だったんじゃないかな」
俺は炬燵に肘をつきながら軽くため息をつくと部屋の隅の方へ視線を追いやった。
「いらない子なんてことは決してないと思います。まずはちゃんと理由を聞くべきです」
「オレもそれは同感かな。小さなころからいなくて違和感はあったんだろうけど、まずはキッチリ話し合ってそれからどうするか、改めて考えてもいいんじゃないか」
「気が向いたら後で聞いておくよ」
「本当に家族との会話は何が最後になるか分からないからな。ちゃんと考えておくんだぞ」
最後、か。はたして俺はあの母親と名乗る人物が仮に死んだとしても、本当に悲しめるのだろうか。思い出も何もない赤の他人のような人物に涙を流せるのだろうか。
しばらくして泉が帰ると、俺は少し散歩してくる旨を鎌田に伝え鎌田の家を後にした。
昨日はナツメに邪魔されてしまったから今日はゆっくりできるといいのだが。
静かに佇む鳥居を越えて階段を上ると目の前には見慣れた神社が悠然と構えている。
俺は拝殿の扉に腰を掛けると冬の星空を見上げる。
「かごめ、俺はどうすればいいんだろうな。父親との記憶は少し思い出せたけど、他の記憶は一切思い出せない。家族なんて言葉やっぱり俺は嫌いだ」
静かな空間。目を閉じて風を感じても、かごめの気配は感じられない。
「お前はいったいどこへ行っちまったんだ、かごめ。あの時救ってあげられた気がしていたんだけどな。泉や鎌田も気を使ってその話題には触れない。あの時みたいに、俺を助けてくれよ……なあ、かごめ?」
「………………」
しばらくすると、階段を上る足音が一つ。
階段を上ってきたのはナツメだった。寒そうなスカート姿。手に息を吹きかけながら登り終えるとナツメと目が合う。
「あ、本当にここにいたんだ」
「どうしてナツメがこんなとこに?」
「ここに来れば悠真に会えると思ってね」
「女子の制服なんか着て何しに来たんだよ。また俺の邪魔しにでも来たのか?」
「昨日のことは――ゴメン」
ナツメは深く頭を下げて謝罪を述べる。
「別にいいよ。人それぞれ考えはあるし」
「それもそうなんだけど、やっぱり悠真には今までのことについて謝らないといけないと思って」
「謝らなきゃいけないこと?」
「僕が、僕がちゃんと生きていれば――」
「何を、言っているんだ? ナツメはここにいるだろ」
「悠真、僕を本当に覚えていないのかい?」
「覚えていないも何もこの前体育館で出会ったばっかりじゃないか」
「僕の名前は――成生ナツメ。悠真の一つ上のきょうだいだ」




