005
「到着だ」
「到着だ、じゃないわ! 運転荒すぎるだろ」
車を降りるとそこにあったのはバスケのハーフコートだった。近くにはスーパーや学校があり、遊具なども設置されている。
「お父さん、ここは?」
「よくぞ聞いてくれた我が娘よ。ここは父さんが若いころに使ってた秘密の特訓場所だ」
「え? おっちゃんバスケできんの?」
「ほほう? 若いの、俺と対決してみるか?」
おっちゃんは肩を鳴らししながらバスケットボールを突いた。
「にしても、こっちは雪降ってないんだな」
「皆の衆が住んでいるところは山間だし、当然と言えば当然だろうな。さて――」
「――っと!?」
おっちゃんは俺に向けてパスを放った。
「飯の前に軽く運動をしないと、この歳にもなると健康に気を付けないといけないんだぜ若いの」
おっちゃんは軽くストレッチを始める。
「だからってなんで俺まで」
「おお、なんか名勝負の予感!」
「ナツメさん、あまり焚きつけては……」
「勝負は簡単に行こう。三本先取、先攻も若いのにくれてやる」
俺は渋々ハーフラインまでドリブルを突きながら移動し、ボールを再びおっちゃんのもとへ送る。
「ほう、ボールの扱いはなかなか丁寧だな。やはり――」
「??」
おっちゃんからボールが渡されて勝負が始まった。バスケからしばらく離れていた俺だが、この前には鎌田とも勝負をしたし、何よりおっちゃんの年齢は少なく見積もっても俺よりは二十は上のはず。
それなら――
俺はおっちゃんの前で緩急をつけてドリブルをするが――なかなか裏をかくことができない。
「おいおい若いの、まだまだこんなもんじゃないだろう?」
おっちゃんは涼しい顔をしながら隙の無いディフェンスで俺の行く手を阻む。俺は鎌田と対戦した時と同じように少し強引におっちゃんの懐へと潜り込んだ。
「なるほど、いい攻めだ」
俺はそのままシュートモーションへと繋ぎ、先制点を決める。
「お、悠真の先制点だ!」
「成生君もお父さんも凄いです!」
今程度のシュートならジャンプして圧を書けることも出来たはず。何が狙いなんだこのおっちゃんは。
「んじゃ、次は俺の攻めだな。若いの、ボールを」
俺はボールを渡してディフェンスに集中する。
「いい守りだ……にしても本当にアイツそっくりだな」
「アイツ?」
「真司にな……」
「――なっ!!」
俺の一瞬の動揺におっちゃんはハーフラインからそのままシュートを放った。慌てて後ろを振り返るとボールは綺麗な弧を描いてリングの縁にぶつかることもなくネットを潜る音だけが冬空に溶けていった。
「何今のシュート超カッコいいんだけど」
「す、凄いです……」
「お、おっちゃん、俺の親父を知っているのか?」
俺はおっちゃんの方を振り向き、動揺を押し殺しながら訊いた。
「知り合いも何も高校の同級生だ」
「同級生……」
「ちなみに若いのが赤ん坊だったころにも何度か会ってるぞ」
「それじゃあ俺の家庭のことも――」
「ああ――だが、誰にも口外したことはないしこれからするつもりもないがな」
「………………」
おっちゃんはボールを取るために一度ゴールへと向かっていった。
「さあ、次は若いのの番だ」
俺はおっちゃんからボールを受け取ると、ドリブルを始める。
「どうして、わざわざカミングアウトした」
「さあ、何故だろうな。ただ――あいつらにも色々あってな。それこそお前さんが考えている以上に」
「おっちゃんも、あんなやつらの肩を持つのか?」
俺は今まで以上の力を込めてドリブルを突いておっちゃんの重心を崩しにいった。
「待て待て、そう結論を急くな」
自分の持てる技術を尽くし何とか突破口を開くと、俺はシュートモーションへ入った。
「レイアップか」
おっちゃんも再び目の前に立ちはだかるが、レイアップは囮、本命は――
「ダブルクラッチ、だろ?」
「――!!」
俺のシュートは完全に読まれており、ブロックされてしまった。
「あれを読み切るのか!」
「お父さん、さすがに大人げないような……」
「ダブルクラッチ――真司の得意技でな。技術に関しちゃバスケ部の中でも一番だったもんだから止めるのも一苦労なのにポーカーフェイスだからなかなか読めなくてな」
「次は止める――」
俺はボールをおっちゃんに渡し、脱力した姿勢でおっちゃんの動きを観察する。
「真司や悠美に対してお前さんがどれだけ恨みを抱いてるか、俺には想像もできないが人生の先輩としてこれだけは言える」
おっちゃん、母親の名前まで……
虚を突かれた俺はおっちゃんのドリブルの侵入を許してしまった。
「親ってのは子どもの為ならなんだってしてしまう生き物なんだよ」
そう耳元で呟くと俺のディフェンスを抜き去ってシュートを放った。再びネットを潜る音が鼓膜を刺激する。
「………………」
親は子どもの為ならなんだってする? そんなわけがない。あいつらはいつだって身勝手で、自分を優先して――
「悠真ーまだあるぞー」
「成生君頑張ってください!」
「ほら、お前さんの番だぞ」
俺はおっちゃんからボールを渡されるとドリブルを突いてどう攻めるかを考える。
「実は、言うか言わないかずっと迷ってたんだがな、お前さんを見る度に真司のバカは未だに息子に伝えていないのか、と少し呆れもしていたんだ。だが、家庭の事情によその人間が口出しするのはお前さんの為にも真司の為にもならんと思ってな」
「でも、親父にしたって俺に向き合ったことなんて一度も――」
「本当にそうか?」
「それはどういう意味だ――」
「その技術は……バスケは――いったい誰に教えてもらったんだ?」
「――ッ!!」
頭の中が白い霧で霞んでいく。
断片的な記憶。幾許かの希望。夢幻かそれすらも分からなくなるような光景。
バスケットボールと少年。それを暖かく見守る一人の人間。自宅の前で小さなゴールを目掛けて放つシュートはなかなかゴールを潜らない。うつ向いている少年にその人は言った。
『いいか。まずは四角形の先の方を目掛けるんだ』
『うん、わかった!』
少年はその人の言われた通り四角形の先を目掛けてシュートを放つ。四角形の先から跳ね返ったボールは気持ちのいい音と共にゴールを潜った。
『上手だぞ』
少年はその人から褒められ頭を撫でられる。
『次はドリブルにも挑戦してみようか。な――悠真』
忘れていた記憶。懐かしい世界。今よりも綺麗な世界が広がっていた。
「思い出した、か。さっきまでよりかは幾分かマシな顔つきになったな」
俺は一度心を落ち着けておっちゃんの動きを見る。
「ハハ、いいポーカーフェイスだ」
俺は再びおっちゃんのディフェンスをすり抜けると今度はフリースローラインから後ろ向きに飛びながらシュートを放った。
「フェイダウェイか」
おっちゃんは手を伸ばすが――届かない。
「軌道が高い――」
ボールは高い軌道を描きながらゴールのネットを潜った。
「悠真ナイシュー!」
「凄い高軌道なシュートです」
「やるな、今のはまるで真司と戦ってるみたいだった」
「………………」
俺はボールをおっちゃんに渡すとシュートへの警戒を始める。ここを防げば勝負はまだわからない。
「それじゃあ、若いのも多少元気になったことだし俺のとっておきを披露してやろうじゃないか」
「とっておき?」
「俺は人の技を真似るのが得意分野でな、学生時代の二人の技を借りようかね」
ゆっくりとドリブルを始めるおっちゃん。脱力した姿勢のまま、抜くタイミングを狙っているが、俺はボールを突くタイミングを見極める。左、右、左、右――
「そこだ――」
が、おっちゃんの速さは俺のカットのスピードを超えて、そのまま抜き去っていった。
このドリブルは――鎌田と……
しかし、若さの強みを活かしてなんとかおっちゃんに喰らいつくと、おっちゃんはゴール目前でシュートモーションへと入った。レイアップ、と見せかけてダブルクラッチ、か。なら――
俺は左手を伸ばしつつボールを持ち替える瞬間を待っていた。
「まあ、読まれても関係ないんだけどな。持ち替えないでそのまま撃つし――」
「なッ――!」
おっちゃんはボールを持ち替えることなくそのままゴール裏からボールを放った。
リングにぶつかる音とともみボールがネットを潜った。
「す、凄すぎる」
「お父さん!?」
目の前にあったのは圧倒的な実力の壁。完膚なきまで敗北した俺だが、なぜだか悔しさは無かった。むしろ、心は晴れやかな気持ちだった。
「……なんというか、完敗だよ」
「全盛期に比べたらスピードも技術も流石に衰えたが、若いのにはまだ負けられないってことよ」
おっちゃんは俺の肩を叩きながら高らかに笑っている。
「お父さん流石に最後のは大人げなさすぎます」
「まあまあそう言うなよ。さてと、体も動かしたことだし、帰って宴会だ宴会」




