003
放課後。
俺は、いつも通り鎌田の家で時間を潰していた。炬燵の温もりを肌で感じながら漫画を読みふけるその怠惰はまさに至高。炬燵を考えた人は勲章ものだろう。
「やっぱりこたつはいいよなぁ。癒されるぜえ」
「全くだ。これを普段から独り占めだもんな、鎌田は」
「まあねぇ、オレの親ははどっちも海外出張だからね。しばらくはこの家の番ってことさ」
「いつから出張してるんだ?」
「う~ん、確かオレが高校入学する直前だったかなぁ」
鎌田は天井を仰ぎながらテーブルの上に乗っているみかんを食べている。
「へぇ、両親と別れるのは寂しくないのか?」
「最初は確かにそういう気持ちもあったけど、メールでもやり取りしてるしそんなにかな」
「そんなもんなのか」
「そんなもんだよ」
「――へ」
「両親とはうまくいってるん?」
………………。
「まぁ、まずまずだな」
「ソ。んでもオレはこれっぽっちも親を軽蔑したことはないんだ。バスケを教えてくれた父さんに勉強を教えてくれた母さん。それに、夏澄とも出会えたし、どっちも尊敬してるよ。そもそも俺らが高校生してられるのも親が学費払ってくれるからだしな」
「そう、だよな」
「でも早いよな。もう高二の冬だぜ? 来年の今頃のオレらは進学か就職決まってんだろうな」
「ぷふっ、鎌田はその前に三年に進級できるか、だろ」
「いや高校で留年はさすがにシャレにならんから!」
「なら、ちゃんと出席するんだな」
「なんとか留年はしないようにするさ――」
バイブレーション。
携帯がテーブルの上で数回振動した。確認してみるとどうやら俺の携帯のようだ。
「ん、成生の携帯か?」
「そう、みたいだな」
携帯を開くと母親と名乗る人物からのメッセージ。今日は何時ごろ帰ってくるのかという内容だった。
「……ッ」
「どったん?」
「いや、なんでもねぇ」
俺は携帯の画面を落としテーブルの上に置く。
「誰からのメールかは分からんが心配されてんなら早めに返信しておくことだな」
「何を分かったようなことを」
「そうだな。でもオレの経験からすると、何がその人と最後の会話になるか分からないからそこだけは考えておいた方がいいって話だ」
「……そうか。そこまで大切な存在だったら確かにそう行動するのは自然だな」
「………………」
「………………」
そこからは、特に目立った会話もなく、漫画を読みながら三十分ほどを潰し、俺は鎌田の家を後にした。さすがにあんな空気のまま居座るのは迷惑だろう。空を眺めるも、うす暗い鉛色の空だけが俺を見下ろしてくる。
「あれ、悠真じゃん」
後ろを振り返ればナツメがそこに立っていた。
「ああ、ナツメか。てか今さらだけど、名前呼びか」
「えー悠真だって僕のこと名前で呼んでるし、おあいこだと思うけど?」
「そうなのか? じゃあ苗字は?」
「いいよナツメで。その方が仲良さそうに見えるでしょ?」
「……? もしかしてナツメってコッチ系?」
俺は左手の甲を右頬に付けてやや冷ややかな目線でナツメの方を見る。
「あ~悠真そういうこというんだぁ? じゃあ、明日覚悟しときなよ~?」
「な、何をする気だ?」
「ふふん、そういや今から帰るとこ?」
「……まあ」
「どこか寂しそうな顔だね」
「寂しいわけあるか。あんなゴミの掃きだめみたいな場所」
「……そっか。結構悩んでるんだね」
「だから、別に悩んでるとか」
「まあまあ、僕に任せておきなよ。それじゃまた明日ね」
そう言い残してナツメは嵐のように過ぎ去っていった。
十分後。
俺は家の前に立っていた。家のドアを開け、二階に上ろうとすると、姉さんが俺を呼び止めた。
「悠おかえりー。あれ、ご飯食べないの?」
「姉さん……悪い、今そういう気分じゃ――」
上がろうとする俺の腕を掴む姉さん。まるでビクともしない。象にでも引っ張られているようだ。そのままにこやかに俺を見つめる姉さん。そういえば弟に拒否権とやらは存在しないことを忘れていた。
リビングへ行くとテーブルの上には料理が並べられており、父親も新聞紙を持って座っている。すると、一人の人物が俺の近くに寄ってきた。
「おかえり悠ちゃん。ご飯できてるよ」
「………………」
この家庭環境にした元凶が俺の前に立っている。
――こいつさえいなければ。
心の底からにじみ出る黒いもやもやを抑え込みながら俺は椅子に座る。イヤホンで耳をふさいだ俺は手早くご飯を食べ始めた。
「食べるときくらいイヤホンとりなよ」
「まあ構わないだろう」
父親が新聞紙を置くと、ご飯を食べ始める。
本当に――本当に反吐が出る食卓だ。慣れない味付けは食欲を減退させ、あの母親面している人間の所為で食欲がまるで失せていく。
泉の家とは正反対に位置する食卓だった。
「………………」
駄目だ――もう入らない。
俺は無言で立ち上がりリビングを後にした。暖房が効いていたはずのリビングと廊下の気温は大差なく、どちらも冷気で満たされている。足早に階段を上がり部屋の鍵を閉めて閉じこもり、虚しさだけを噛みしめて数秒程立ち止まった。
「今更、何が母親だよ」
溜息をつきながらベッドの上で横になる。天井を見上げても仄暗い闇が広がるだけ何も見えない。
しばらくすると、階段を上る足音が聞こえてきた。足音から察するに姉さんだろう。足音が止まると同時に部屋のドアがノックされる。
「悠、今いい?」
「………………」
俺は寝たふりをしてその場をやり過ごすことにした。
「そう、じゃあ入るね」
「――は?」
閉めていた鍵が開く音と同時に姉さんがドアを開く。俺はただただポカンとするしかなかった。
「どうしたん、豆がハト鉄砲を喰らったような顔して」
「え? いや? あの――なんで、鍵開いたんすか。いやいやそれ以前に豆がハト鉄砲とは!? ただの食鳥植物じゃん!?」
ツッコミどころが多すぎて俺のスキルでは捌ききれない事象が目の前で起こっている。
「ああ、これ?」
そう言って姉さんは俺の部屋の鍵と同じ鍵を見せてきた。どうやらハト鉄砲の件は無かったことにされているようだ。
「じゃ~ん! 作っちった」
「弟にもプライバシーはあると思うんですけど……」
「まあまあ、今に始まったことでもないし、今更でしょ?」
言い返せないのが悔しい限りだ。世界の弟たるもの、姉の前では人権がない、など今に始まった問題ではない。いつの時代も弟というものはいたたまれないものだ。
「てか、電気くらいつけなよ」
姉さんが部屋の電気を付けるスイッチを押すと、部屋が眩さに包まれる。
「眩しい……」
俺は腕で目を覆うように隠す。姉さんはベッドに座ると、壁を見つめる。
「悠はまだ慣れない? この生活」
「……当たり前だ。俺はこんなの絶対に認めない。唐突に母親ぶった人間が家に入り込んでんだ」
「まあ、気持ちはわからなくもないけど、母さんにも色々あったんだよ」
「だからって今まで何もしてこなかったくせに――俺は納得できない」
「まあそうだよね。悠が生まれて間もなく母さんはいなくなったからね」
「………………」
「でも、悠のことを思っているからこうしてまた戻ってきたんじゃないかな」
「そんな気持ちが最初からあるのならどうして、いなくなったんだって話だろ」
「……あたしと悠って、五歳離れてるでしょ」
「それがどうかしたのか」
「驚かないで聞いてほしいんだけど――いや、ごめん……何でもない。じゃああんまり夜更かししないうちに寝なよ?」
姉さんは何かを言いかけて俺の部屋を後にした。俺はすぐさま部屋の電気を落とし、再びベッドに転がり込む。




