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Traumerei  作者: 水月
第三章・泉早苗
25/34

008

 「成生さん、泉さん、お久しぶりです」


 病室に着くと、夏澄ちゃんはベッドの上で漫画を読んでいた。


 「久しぶりだね夏澄ちゃん」

 「お久しぶりですね、夏澄ちゃん」

 「ちょいちょいちょーい夏澄、俺には?」

 「おにいちゃんはいつも来てくれてるでしょ!」


 ベッドの前に崩れ落ちる鎌田。相当精神的ダメージを受けているようだ。


 「もしかして鎌田って、シスコン?」

 「――違うわ! てか、オレと夏澄に血縁関係はねぇよ!!」

 「じゃあ――」

 「じゃあもジャガイモもないわ! ったく」

 「あはは、そういえばおにいちゃん、アレ買ってきてくれた?」

 「ふふん、ちゃんと買ってきてあるぞ。みんなで食べようぜ」


 鎌田はビニール袋の中からあじまんが入っている箱を取り出す。カスタード味が三個、あんこ味が三個の計六個が入ってるようだ。


 「オレはカスタードを頂くぜ」


 颯爽とカスタード味のあじまんを一つ掻っ攫っていく鎌田。


 「んじゃあ俺あんこー」

 「私もあんこを一つ頂きますね」

 「カスタード、かな」


 あじまんを口に頬張ると芳醇な香りが口内に広がる。


 「ほんの少し冷めてるけど、全然いけるな」

 「まあ、それはしょうがないんじゃないか? 病院からも少し距離あったし」

 「やっぱり、あじまんはいいよね! 病人にもこのサイズは手ごろだよ」


 夏澄ちゃんはあまりの美味しさに頬を抑えている。俺と鎌田は、余った二つを夏澄ちゃんと泉にあげ、三時のおやつ――にしてはやや遅いが、それを楽しんだ。


 「ああ――美味しかった」

 「夏澄が喜んでくれるなら買ってきてよかったよ。で、診察はどうだった?」

 「う~ん、先月に比べて少しだけ心臓が弱ってるみたい」

 「……そう、か」

 「そんなに落ちこまないでよ、私は死なないから」

 「夏澄ちゃん……」

 「成生さん、泉さん、今日はわざわざ来てくれてありがとうございます」

 「いや、いいんだ。俺もちょうど顔を出そうと思ってたし」

 「私もです。こうして夏澄ちゃんを一目見れただけでも来た甲斐があります」


 それからは、小一時間ほど談笑を交えて今この瞬間を楽しんだ。

 時間は有限。

 一つでもバスを乗り損ねたら一時間以上も待たなければならない田舎ならではの悩み。俺達は病室を後にした。

 病院を出、停留所でバスの到着を待つ。行きとは違って、帰りは時刻通りにバスが停車し、それに揺られながら俺達は学校前まで向かった。


 「着いたー」

 「すっかり、夕焼け空ですね」

 「じゃあ、今日はこの辺で解散でいいか? 二人とも今日は付き合ってくれてサンキュな!」


 鎌田はそう言い残して足早にその場を去った。


 「鎌田君、行っちゃいましたね」

 「全く、台風みたいなやつだな。俺もそろそろ帰るかね――その前に缶コーヒーでも買ってから帰るか、泉もいるか? 奢るぞ」

 「あ、いいんですか?」

 「ああ、好きなのを選んでくれ」


 ………………。

 自販機。

 ルーレット。

 目の前には、見事に数字の二が揃っていた。泉が遠隔操作でイカサマしているとしか思えない。俺が自分一人で買ったときは毎回最後の一個が外れるのに、幸運の持ち主だ。

 いや、豪運の持ち主だった。


 「あ、当たりましたよ!」

 「泉、今度宝くじ買わないか? 俺が金を出すからさ」

 「成生君、高校生じゃ宝くじは買えないですよ?」


 正論だった。

 にしても、俺の目の前で、しかも二回連続で当たりを引くなんて、まるで魔法でも使っているのか?

 ――魔法。そういえば、泉と初めてこの場所で話した時もそんなことを言っていた気がする。それに――

 「なあ、泉」

 「どうしました?」

 「そういや前もこんなことあったよな?」


 泉はルーレットで当たった缶コーヒーを取り出しながら「そんなこともありましたね」と懐かしんだ声で答える。


 「あの時、どうして高原の方を向いてたんだ?」


 それは、ささやかな疑問。泉が高原をずっと見続けていた光景を、俺は少なくとも二回は見ている。その都度「私の気のせいです」なんてはぐらかされたわけだけど。


 「――病院で受付の時に話した時のこと覚えていますか。私の探し物、きっとあの高原にいけば分かる気がすると思ったんです。」


 答え。

 少しは俺のことも信用してくれたのか、改めて訊いた問に、泉は少し恥ずかしそうにしながらもそう答えてくれた。


 「探し物か、もしかしてスキー場にか?」

 「いえ、スキー場より少し先ですね」

 「それは途方もない話だな。あそこって結構な距離あるだろ。一本道にしてもさすがに一人で探すのは難しいんじゃないか?」

 「まあ、そうなんですけど」

 「で、無くしたものは何なんだよ。もしかしたら、俺も手伝えるかもしれないしな」

 「えっと、それが……わからないんです」

 「へ?」


 泉は雪空を仰ぎ遠いところを見つめる。

 「全くわからないのか?」

 「……はい。でも、この高原のどこかに私の探し物があるのは確かなんです」

 「おっちゃん達に相談は?」

 「いえ、まだしてないです」

 「あの人達なら喜んで協力しそうだけどな」

 「そうかもしれないですけど、なんと言いますか、これは自分で見つけなきゃ意味がないって思っていまして」

 「そうだ、じゃあ俺にも探すの手伝わせてくれよ」

 「い、いえ、成生君の手を煩わせるにわけには」

 「泉に勉強教えて貰ってばっかりだったし、たまには恩返しってことでさ」


 ――なんて、ちょっとカッコつけた風に言ってみるが、半分は単純な好奇心だ。


 「でも、高原は広いですし成生君に迷惑が掛かっちゃうかもしれないです」

 「そんなことを言ったら、俺なんかわざわざ勉強教えて貰ってるんだぜ。おあいこだ」

 「そう、ですか。じゃあ、成生君にお願いしてもいいですか?」

 「任せろ。ま、今日は遅いし話の続きは明日以降でもいいか」

 「そうですね……今日はもう暮れていますし」


 俺と泉は自販機を後にした。

 その数分後だった。

 前方から何やら人が走ってくる。やがてその人影がある人物を形成していった。


 「お、おっちゃん!?」

 「お父さん!?」


 おっちゃんは袋とエアガンを片手に俺のもとへ全力疾走している。俺は慌てて踵を返すが、それから間もなく俺は頬にエアガンを突きつけられてしまった。


 「おうおうおう。うちの娘を誑かすとはいい度胸してんじゃねえか兄ちゃんよお」


 おっちゃんはこんな暗い中、しかもあの距離から娘の姿を認識したのだ。しかも、その隣に男がいたということまで。

 ――おっちゃんはいったいどこの部族出身なのだろう。


 「って、なんだ若造じゃねえか」


 そして、俺はなぜか小僧から、若造にランクアップしていたのだった。

 ………………。

 炬燵。

 俺は泉の家に拉致されていた。あの後すぐにおっちゃんは「せっかく会ったんだから飯でも食ってけよ」と俺に提案、もとい命令をするのだが、断ろうにも「断ったら、埋めるぞ」と先手を打たれてしまい、今この状況だ。

 意外にもさゆりさんは乗り気でご飯を作っている。


 「どうした若造、元気がないぞ」

 「そりゃ、いきなり誘拐されたんだ。びっくりもするだろ」

 「誘拐とは人聞きの悪いことを言うなよ若造」

 「やっぱり、成生君とお父さんは仲良しですね」


 泉は少し笑いながら俺とおっちゃんを見つめる。


 「おいおい娘よ、こんなみみっちそうな男とお父さんが仲良いいわけないだろう」

 「そうだぞ泉、仲いい奴は人攫いなんてしない」

 「さあ、皆さんお鍋ができましたよ」


 さゆりさんは手袋をはめて熱々の鍋を持ってくる。鍋の蓋を開ければそこにあったのはすき焼きだった。


 「今日はすき焼きか。これは旨そうだ」

 「さゆりさん、俺なんかが勝手に家に上がっちゃって、しかもごはんまで頂いていいんでしょうか?」

 「あらあら、気になさらなくていいんですよ。なんたって早苗の彼氏候補ですもの」

 「なんだと? 彼氏候補?」


 おっちゃんが食い気味に俺の顎にエアガンを押し付ける。

 既視感。


 「だから、成生君はクラスメイト……」

 「泉もこれはこれで苦労しそうだな」

 「あはは……」


 苦笑いする泉とともに、泉家ではさながら宴会状態になった。主に騒いでいたのはおっちゃんだけだった気もするが。

 酒瓶を振り回したり、俺と泉に酒を飲ませようとしたり、危なっかしい部分もあったがそれでも。

 楽しかった。

 決して味わうことのできない温かい環境。ご飯を食べることが楽しいことなんて、感じたことがなかった。


 だからなのだろう。劣等感が、まるで津波のように押し寄せてくるのは。

 ――宴が終わる。楽しいひと時もいずれは終わりを迎えるのだ。泉とさゆりさんはこの前のように洗い物をしにキッチンの方へ行ってしまったが、前回と違うのはおっちゃんが起きていることだった。煙草に火をつけて食後の一服をしている。


 「若造、どうだ。楽しかったか?」

 「ま、まあ、そりゃこの環境にいて楽しくないわけないだろ。おっちゃんがバカ騒ぎするしな」

 「そうか、ならよかった」

 「……?」

 「なあ若造、お前は家族のことをどう思ってる」

 「は?」

 「その目、隠さんでもわかる。俺もそういう時期があったからな」

 「…………」

 「ま、大方の事情は予想がつくがな」

 「それは――俺に対する何かの嫌味か?」

 「嫌味……か、これでも心配したつもりだったんだがな」

 「…………」

 「勘違いは誰にだってある。いいか、悩みは一人で抱え込むな、いつかそれは自分の身を潰すことになるからな。人生の大先輩からのアドバイスだ」

 「へえ、ただの頭のおかしいおっちゃんかと思ってたけど、少し見直したよ」

 「何かあったらいつでも来いよ。相談に乗ってやるからよ。それに――いや、なんでもねえ。まあ、若造がどう向き合うかは若造次第だ」


 間もなく、泉とさゆりさんが洗い物を終えて帰ってくる。


 「あれ、成生君どうかしましたか?」

 「もしかして、料理が口に合いませんでしたか?」

 「い、いえとても美味しかったです!」

 「あら、それならよかったです」

 「まあなんだ、若造の青春の悩みというやつを漢として、人生の先輩として、聞いてやっただけさ」

 「おい、意味深な言い方はやめろ」

 「あら悠真さん」


 口元に手を当てて笑うさゆりさん。


 「あの、さゆりさん……?」

 「な、成生君も男の子ですからね……お父さんに、色々教えて貰うといいですよ」

 「だぁぁああ!!」


 俺は髪の毛をかき乱して心の声を洩らす。


 「どうしたどうした若造。急に叫び声なんか上げて」

 「九割はあんたの所為だぞおっちゃん」


 手短に荷物をまとめると、おっちゃんが大きく笑い声をあげ始める。


 「またいつでも来いよ若造」

 「あ、それでは玄関まで見送りします」

 「早苗のこと、これからもよろしくお願いしますね悠真さん」

 「けっ、若造に早苗は渡さんぞ!」

 「あ、あはは、どうか気にしないでください……」


 泉に案内されながら俺は苦笑いをして、その場を立ち去る。


 「忘れ物はないですか?」

 「ああ多分ないと思うけど――それじゃ」

 「はい、また明日です」


 俺は、泉の家の玄関を抜けて、自宅へと足を運んだ。

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