見習い治癒術師、王宮へ行く
「お師匠様、また王宮から召喚状が届いていますよ。」
13歳の見習い治癒術師のエマは、控室で休憩中の師匠であるアディール師の元へ手紙を届けにきた。
「またなの? しつこいわね。何度督促されても、行けないものは行けないのよ。王宮まで行くには転送装置を使ったとしても1か月はかかるのよ。行って帰ってくるだけで2か月、私の患者をそんなに放っておけないわ。」
「ここはド田舎ですからね。でも、さすがに王宮の命令を無視し続けるのはまずいんじゃないですか?」
「それはそうだけど、すでに国中の名医が集まって治療にあたっているのよ。今更私が行ったところで何も変わらないわ。」
「大魔術師のバージル様のお加減はそんなに悪いのですか?バージル様がいなくなったら、うちの国まずいんじゃないですか?」
バージル大魔術師は、エマが知らないほど昔からこの大国全土に結界魔術を施して、他国からの侵略を防いできた。そのおかげでブラント王国は防衛費に予算を割く必要もなく、商業や農業を発展させて栄えてきた。他国民からはブラント王国は地上の楽園と言われている。その結界を維持できるのはバージル様以外におらず、バージル様がいなくなれば軍事力を持たないこの国はあっという間に他国からの侵略を許すことになるだろう。
「大国の防衛を長年たった一人に頼って来たつけが回ってきたのね。そうだ、エマ。私の代わりにあなたが王宮に行きなさいよ。私とあなたは魔力の性質がそっくりだからあなたがアディール治癒術師として行ってもばれないわよ。」
「そんな訳無いじゃないですか!私とお師匠様は年齢が30歳は違いますし、外見も全く似ていませんよ!」
「ばかね、エマ。魔術師は外見で人を判断なんかしないのよ。外見は魔術でいくらでも変えられるのですもの。魔術師は魔力の質で人を区別するのよ。」
「へえ。そうなんですね。こんな田舎には魔術師なんかいないから知りませんでした。」
「こんな機会は二度と無いわよ。王宮に行けば他の一流の治癒術師の治療を見学することもできるわ。」
勉強熱心なエマは、他の治癒術師の治療に非常に興味があったので、不安を感じつつもアディール師匠の提案に乗ることにした。
エマは転送装置がある町まで乗合馬車で二週間かけて行き、そこから転送装置を乗り継ぎつつ、王宮のあるブラント王国の首都へ向かった。転送装置に乗るには非常に高額な運賃が必要だが、王宮からの召喚状を持っているエマは無料で乗ることができた。それだけではなく、途中の宿代や食事代もすべて王国の支払いになるらしく、この又と無い機会をエマは楽しんだ。
最初エマは外見だけでも大人っぽく変装しようと思ったが、へたに変装していると余計に怪しまれると師匠が言うので、治癒術師の白いローブを羽織っている他は、普通の13歳の少女と変わらない姿で行くことにした。
王宮の門番に召喚状を見せると、直ぐに案内役が現れて、豪華な応接室に通された。
しばらくそこで待っているとドアがノックされて、魔術師の黒いローブと治癒術師の白いローブを着た二人の年配の男性が入って来た。
「これはこれはアディール師、遠方より良くおいでくださいました。私は王宮筆頭治癒術師のゲオルグと申します。こちらは、王宮次席魔術師のヨハネス師です。そちらにおかけください。」
エマは言われたソファに腰かけた。予期せぬ大物たちの出現に内心大いに焦っていたが、アディール師らしく見えるように必死で平静を装っていた。
「治癒術師のアディールです。来るのが遅くなって申し訳ありませんでした。」
「アディール師はたいそう責任感のあるお方とうかがっております。私も治癒術師ですから治癒術師がおいそれと現場を離れることはできないと理解しております。しかし、今回は国の行く末を左右する一大事ゆえ、無理を承知で来ていただきました。もうアディール師が最後の頼みなのです。」
ゲオルグ師がゲッソリとやつれた顔で、悲壮感を漂わせてエマに訴えた。
エマは、簡単に診察したら、「私の手には負えません。」と診断を下し、他の治癒術師の治療を一通り見学して帰ろうと思っていたので、この大物達がアディール師に大きな期待をかけている事を知ってうろたえた。
すると、次席魔術師のヨハネス師が、こちらもゲッソリした顔でおもむろにエマに話しかけてきた。
「失礼ですがアディール師、あなたは大分お若く見えます。それに聞いていた外見と違うようですな。」
「ええ。若く見えるってよく言われます、ホホホ。外見はまあ、イメチェンしまして…。」
(師匠!やっぱり外見ですごく疑われているんですけど!外見大事じゃん!)
「念のため照合の手続きをしてもよろしいですかな?偽物をバージル様の病床に近づける訳にはいきませんので。」
「も、もちろんよろしいですわ。」
エマは内心焦りまくっていたが、どうする事もできず、言いなりになるしかなかった。
ヨハネス師は懐から小さな水晶玉と、一枚の紙を取り出した。
「では、こちらに手をかざしていただけますか?」
エマが水晶玉に手をかざすと、水晶玉が赤っぽい紫色に輝いた。ヨハネス師はその色と取り出した紙の内容を見比べて言った。
「ふむ。失礼しました。アディール師に間違いないようですな。魔力の高い者は年を取るのも遅いと言いますから、そのようにお若く見えるのでしょうな。」
「そうですよ、ヨハネス師。バージル様など齢500歳は超えていると言うのに、私よりお若く見えますからね。」
エマは偽物とバレなかったことに安堵し、小さくため息をついた。それにしてもかなり昔からバージル大魔術師はこの国を守ってきたと聞いていたが、500歳以上とは驚きだった。
「アディール師、早速ですが明日にでもバージル様を診ていただけますか?」
ゲオルグ師の問いに「もちろんです。」とエマは答えた。
そこで二人とは別れ、代わりに丈の長いメイド服を着た侍女が現れてエマを滞在する部屋に案内してくれた。一通り部屋の説明をすると、「それでは明朝お迎えに上がります。」と言って侍女は去っていった。
翌朝、朝食を部屋で食べて支度を済ませて待っていると、昨日の侍女が迎えに来た。
侍女の案内で王宮の長くて複雑な通路を進み、バージル大魔術師が療養している部屋にたどり着いた。部屋には昨日のゲオルグ治癒術師とヨハネス魔術師の他に、5,6人の白いローブ姿の治癒術師がおり、中央の天蓋付きの大きな寝台に、40~50代に見える、黒い長髪の男性が枕をクッションがわりにして半身を半分起こした状態で横たわっていた。
「バージル様。アディール治癒術師がおいでくださいました。」
ゲオルグ師がバージル様に声を掛けた。
「ふん。無駄なことを。私の病気の原因は分かっている。そして誰にも治せないことも。」
バージル様は眉間に皺を寄せてそうつぶやくと、エマをひと目見ただけでそのまま目を瞑ってしまった。
「ゲオルグ師、バージル様の病の原因が分かっているというのは本当ですか?」
「ええ。魔素病はご存じですか?」
「力のある魔術師が掛かるという、魔素が体内で固まってしまう病ですよね?稀な病ですが、治癒術師が治せないものではありませんよね?」
「そのとおりです。しかし、バージル様の体内の魔素は非常に密度が高いため、一度固まってしまうと普通の治癒術師では治せないのです。」
ゲオルグ師の説明によると、バージル様の体内をめぐる魔素は、徐々に固まり約200年で完全に固まってしまい命を落とすとの事だった。約300年前にも同じ症状に陥ったことがあるが、その時現れたある一人の治癒術師のみ、バージル様の体内の魔素を溶かすことができ、バージル様は一命をとりとめたそうだ。その治癒術師が生きている間は良かったが、200年前に治癒術師は亡くなり、その後、バージル様の魔素を溶かせる治癒術師は現れていないとのことだった。
「アリシアは私の魂の片割れ。唯一無二の存在なのだ。アリシア無き今、私を治せるものはいない。」
バージル様が目を瞑ったまま呟いた。
「アリシア師はバージル様を唯一治療出来た治癒術師です。バージル様によると、バージル様とアリシア師は体内の波動が全く同じとの事で、その同じ波動の癒しの術でのみ、バージル様の魔素の固まりを溶かすことが可能なのです。」
(元々無理だとは思っていたけど…。これは完全に無駄足ね。でもこのまま何もせずに帰る訳にはいかないか。)
「一応診察してみますね。」
エマはそういうと目に魔力を込めて、布団から出ているバージル様の上半身を眺めた。すると確かに体内の至る所に魔素の固まりらしきものが見えた、バージル様の体を流れる魔素は非常にゆっくりで今にも動きを止めてしまいそうだった。
「確かに、魔素病ですね。」
エマは次に、魔素の固まりらしきところの一つに両手をかざし、アディール師から習った魔素の流れを良くする治癒術を発動した。すると、手をかざした部分の魔素の固まりが徐々にではあるが小さくなっているように見えた。
(んん?気のせいかな?この魔素の固まり普通に溶けてるよね?)
その部分の固まりを大方溶かしてしまうと、エマはゲオルグ師に声をかけた。
「あの、ゲオルグ師、バージル様の魔素の固まりですが、普通の治療で溶けているようなのですけど。」
「な、な、なんですと!それはまことですかアディール師!」
「はい。見ていてください。」
エマは他の魔素の固まりに手をかざすと、同じように魔素の流れを良くする治癒術を発動した。
徐々に魔素の固まりが小さくなっていく様を見てゲオルグ師は驚いた。
「ほ、本当に固まりが溶けています。バージル様!ヨハネス師!これで我が国は救われますぞ!」
部屋にいた他の治癒術師も集まってきて、エマの治療の様子を見て驚きの声を上げた。ちなみに魔術師には体内の魔素の流れは見えないらしく、ヨハネス師は覗いてはこない。
「ゲオルグ師、本当に他の方は溶かす事が出来ないのですか?これ初歩の治癒術ですけど…。」
エマは騙されているような気がしてゲオルグ師に聞いた。
「本当に今までだれも出来なかったのです。ほら。」
ゲオルグ師は、魔素の固まりに両手をかざし、眉間に皺を寄せてうなっているが、一向に魔素の固まりは小さくならなかった。
「ゲオルグ、魔素の固まりが溶けたというのはまことか?そんなはずはない。私の魔素病を治せるのはアリシアだけのはずだ。そんな小娘にできるはずがない。」
バージル様の言葉に、小娘呼ばわりされたエマはムッとした。
「バージル様。本当にアディール師の治癒術で魔素の固まりは溶けています。」
ゲオルグ師はやつれた顔に涙を浮かべて言った。
「私は陛下にこの事を報告してまいります!」
ヨハネス魔術師はそう言うと部屋を出て行った。
エマは更にもう一つの魔素の固まりを溶かしてしまうと、疲れと共に自分の体内の魔力が枯渇しつつある事を感じた。
「ゲオルグ師。魔力が無くなったので今日はこれ以上の治療は無理みたいです。」
「それは大変です。すぐにお部屋でお休みください。後ほど今後の治療方針を話し合うためにお部屋に伺います。」
エマは侍女の案内で来た通路を戻り、自分の部屋に着くなりベッドに潜り込んで休むことにした。直ぐに眠くなり今後の事を考える余裕はなかった。
夜になってエマが目覚めると、直ぐに侍女が入ってきて、夕食の準備を始めた。夕食をあらかた食べ終わるころ、ゲオルグ師がエマの部屋を訪れた。
「夜分に失礼しますアディール師。お時間はよろしいですかな?今後の治療方針についてお話したいと思います。バージル様の魔素の固まりを全て溶かすにはどのくらいかかりそうですか?」
「詳しく調べないと分かりませんが、かなりたくさんあったので、1日2,3個ずつ溶かしたとしても2か月はかかりそうです。」
「ふむ。2ヵ月で治るなら上々です。実はバージル様はご病気のため現在我が国の結界を維持するお力はないのです。バージル様のお力を長年貯めてきた魔石がたくさんありましたので、今はそれを使っているのですが、あと半年もすればその魔石も尽きてしまうところでした。」
魔石がなくなると、今いる王宮魔術師全員の力を以てしても、王都とその近くの町に結界を張るのが限界なのだとか。
エマは翌日からバージル様の部屋へ通い、魔素の固まりを溶かす治療を続けた。はじめは無愛想だったバージル様もだんだんとエマに打ち解けてきて、エマと話をするようになってきた。
「その方と私が全く同じ波動を持つとは信じられぬ。同じ波動を持つ者は世の中に一対しかいないはずなのだ。アリシアと私のように…。」
「もうその話は聞き飽きましたよ。バージル様がいくら信じなくても事実は事実です。大分魔素の流れが改善してきましたから、そろそろリハビリした方がいいですね。立てますか?」
その日から、エマとバージル様はリハビリを兼ねて庭を散歩したり、簡単な魔術をバージル様がエマに披露したりとリハビリに励んだ。
「アディール、そなたはアリシアの生まれ変わりなのかも知れんな。」
ある日、バージル様がそんなことを言い出した。
「ええ!何を言っているのですか?絶対に違いますよ。」
エマは治療を終えたらすぐに辺境のお師匠様の元へ帰りたいと思っていたので、変にバージル様に執着されると困るため即座に否定した。
それからしばらくして、宮廷次席魔術師のヨハネス師がエマの部屋を訪れた。
「夜分にすみません。アディール師。実は相談がございまして…。」
ヨハネス師によると、突然、バージル様が病気が治ってもそのまま引退すると言い出したのだそうだ。
「バージル様は、『私は十分王国に尽くした。余生はアディールと共に暮らしたい。私はもうアリシアの時のように半身を失い、身を切るような経験はしたくないのだ。』と、おっしゃっておりまして…。」
「は?私はアリシアさんじゃありませんし、バージル様の半身でもありませんよ!それに余生って何ですか?私の将来はこれからです!」
「重々承知しております。私たちと致しましても、今バージル様に引退されては困ります。ですから、アディール師にバージル様が引退しないように説得していただきたいのです。」
(なにそれ!こっちに問題を振らないでそっちで何とかしてよ!)
エマは内心でそう思ったが、口に出す訳にもいかず、バージル様が引退しないよう説得を試みる事を約束した。
翌日、バージル様の部屋に行くと、エマは早速説得を試みた。
「バージル様、元気になっても引退なんてなさいませんよね。勿論ご存じだとは思いますが、バージル様がいないとこの国は大変なんです。」
「今すぐでは無いが、引継ぎを終えたら引退するつもりだ。5年ほどはかかるであろうな。」
「この国の結界はどうするのですか?辺境の私の町の結界が無くなったら困ります。」
「私は結界に頼らなくても良いように、国境警備の兵を育てるよう、あの男にさんざん言ってきたのだ。なのに、のらりくらりと躱しおって、一向に実行に移さんのだ。私が引退するとなればさすがにあの男も動くであろう。長期的に見ればその方がこの国のためなのだ。」
(あの男って国王のことかな?そんな風に言って大丈夫なのかしら?)
「バージル様が引退するとしても、私は引退なんてしませんよ。治療が終わったらまた辺境に戻ります。」
「そなたの行動を制限するつもりはない。私もアディールと共に辺境に行くので大丈夫だ。」
(ええ!そんなの全然大丈夫じゃないよ!)
「と、取り敢えず私は帰ります。バージル様が引退後に辺境に来られるのは勝手ですが、私とバージル様は関係ないですからね。私はアリシアさんの生まれ変わりではありませんので。」
「その件に関してはおいおい説得していくつもりだ。しかし、引継ぎ期間中そなたと離れるのでは意味が無いな。そうだ。小型の転送装置をそなたの家に設置しよう。そうすれば辺境からこの城に通えるからな。」
「はあ!そんな贅沢許されるはず無いじゃないですか!それに私たちの診療所は小さいですからね。バージル様のお部屋はありませんよ!」
バージル様はエマが悉く言い返してくるので、徐々に不機嫌な顔になった。
「いちいちうるさいな。これは言うつもりは無かったのだがこうなっては仕方がない…。そなた本当はアディールでは無いだろう。私は昔一度アディールに会ったことがあるのだ。そのときのアディールの魔力の色とそなたの魔力の色はわずかに違うからな。照合の魔術具は誤魔化せても私は誤魔化されんぞ。」
エマは図星をつかれ、脇の下にじっとりと冷や汗が噴き出してくるのを感じた。
(どうしよう!そんな昔に一度見ただけの人の魔力の色を覚えているなんて!)
「知っていると思うが、王宮に虚偽を申告した罪は重いぞ。良くて治癒術師の免許はく奪。悪ければ牢に入れられて強制労働を課せられるかもしれんな。もちろんそなただけではなく、本物のアディールも同罪だ。」
「そ、そんな!私を脅迫するのですか?」
「脅迫などしたくは無いが、そなたが私と共にいることをそれほどまでに拒否するのでは脅迫も仕方がないと思っている。」
エマとバージル様はその後の話し合いで、治療が全て終わったら、取り敢えず転送装置をアディール師の診療所に設置する事には同意した。しかし、バージル様が診療所に住むのではなく、エマが王宮から診療所に通う事になった。
その夜、エマは夢を見た。
エマの目の前には一面の麦畑が広がり風を受けて黄金に輝いていた。
「すてきな風景ね。この国は本当に平和で豊かだわ。」
エマは隣に佇む青年に語りかけた。その青年は緩やかなウェーブの掛かった金髪を肩まで伸ばし、引き込まれそうな深い緑の瞳をしていた。
「私、今まで言っていなかったけど実は隣国の出身なの。気づいた時から孤児だったけど、食べ物を求めてこの国に入って来たの。この国で優しい農家の夫婦に拾われて育ててもらった。その後治癒術師の能力を見出されて治癒術師になるために王都に来たのよ。」
青年は「そうか。」とだけ答えて、優しくエマの肩を抱いた。
エマは翌朝、物悲しい気分で目覚めた。エマの両親は健在だし、この国出身なので夢の中の人物はエマではないのだが、何故かその人物が自分のような気がした。そして、隣に佇んでいた青年にも懐かしさを覚えた。
その後もエマは何度か同じような夢を見た。夢には金髪の青年が必ず出てくる。
(あの人は私が将来出会う運命の人なのではないかしら。)
エマは徐々にそう信じるようになった。
最後にその夢を見たとき、エマはベッドに横になっており、傍らには椅子に腰かけた金髪の青年が、エマの手を握りながら目に涙を浮かべていた。
「お願いだアリー。私を置いていかないでくれ。」
「大丈夫よジル。神の庭であなたを待っているわ。そしたら永遠に一緒にいられるじゃない。私、待つのは苦にならないから、あなたは急いで神の庭に来なくていいのよ。その代わり、私の大好きなこの国を守ってほしい。」
「いやだ。私も一緒に行きたい…。」
「あなたにはつらい思いをさせてしまうわね。でも、私は信じているわ。あなたがこの国をずっと守ってくれることを。」
そう言うと、エマはジルと呼ばれた青年の手を強く握り返した。目覚めた時、エマの枕は涙で濡れていた。
エマが王宮に来てから2ヵ月が経ち、ついにバージル様の治療が全て終わった。
「それではアディール。早速その方の診療所に簡易転送装置を設置するとしようか。」
「それでは帰る支度をしますね。バージル様もご支度をお願いします。あと、ゲオルグ師とヨハネス師にも留守にすることを言っておかなければなりません。帰りは転送装置で帰ってくるにしても、転送装置の設置期間を含めたらひと月半はかかりますよね?」
「別に言う必要はない。それにそんなに時間は掛からぬ。ついて来るがいい。」
(王宮専用の転送装置とかがあるのかしら?)
エマが不思議に思いながら付いて行くと、バージル様はある部屋に入った。そこは広い部屋だったが、あちこちに魔道具らしきものが置かれていたので狭く感じた。
「その方の診療所がある町はここで間違いないな?」
バージル様が地図を指さしてエマに確認した。
「はい。そうです。」
「ではこちらの水鏡を見ながら、その診療所を思い浮かべてくれ。」
エマは言われたとおりにした。するとその水鏡に見慣れた診療所の建物が映った。
気が付いた時にはエマは診療所の入り口の前に立っていた。隣にはバージル師がいる。
「着いたぞ」
「ええ!ここは本当にアディール師匠の診療所ですか?どうやったのですか?」
「私は転送装置など使わずともこのくらいの距離だったら移動できる。だが、私と共にしか移動できないのは不便であろうから、そなた専用の転送装置は設置しよう。」
エマがドアをノックすると、アディール師匠が現れた。
「あらエマ。おかえりなさい。早かったのね。バージル様の治療は終わったの?」
「師匠、只今戻りました。そしてこちらがそのバージル様です。」
エマが紹介すると、アディール師はこれ以上できないほど目を大きく見開き、エマの隣に立つ40~50代に見える男性を見た。その男性は腰まである真っ黒なストレートの髪を後ろで一つに束ね、黒い魔術師のローブを羽織っていた。整った顔は眉間に皺を寄せているせいで気難しそうに見える。
「その方の本当の名前はエマと言うのだな。アディール、私のエマが世話になっている。」
「本当にバージル様なのですか? それに私のエマって何ですか?」
「その方らと違って私は正真正銘本物のバージルだ。アディール、そなたとは以前一度会っているだろう。私は余生をエマと共に過ごす予定なのだ。まだエマの了承は得られていないが…。エマは幼いからな。修行を終える頃には夫婦となるのに丁度よい年ごろになるだろう。」
「バージル様。言っていませんでしたが私はまだ13歳なのです。バージル様が引退する5年後でもまだ18歳です。バージル様と私では歳が違いすぎますよ。それに私には運命の人がいますから、バージル様と夫婦になるのは無理だと思います!」
玄関前で言い合いを始めたエマとバージル様にアディールは驚き、取り敢えず部屋に入ることを勧めた。
3人はテーブルに着き、エマの入れたお茶を飲んだ。一息ついたところでバージル様が先ほどの話を蒸し返してきた。
「エマ、運命の相手とは何だ?そんな事今まで言っていなかったではないか。」
「ここ最近夢に見るようになったのです。ゆるふわ金髪のすごいハンサムな人ですよ。深い緑の瞳が印象的で…。」
エマは最近見た夢の内容をバージル様に聞かせた。
「なるほど。その運命の相手とやらはこの様な姿ではなかったか?」
そう言うと、バージル様の姿がエマの夢で見た美しい青年の姿に変わった。
「バージル様!どうしてその姿が分かるのですか?まさか私の頭の中が見えるのですか?」
エマはバージル様が魔術で変身したのだと思った。
「いくら私が天才魔術師でもそこまでは分からぬ。この姿が私の本当の姿なのだ。私は27歳の時に、成長を止める魔術を研究していて自分に掛けたのだ。それ以来私は年を取らぬようになった。この姿では大魔術師としての威厳が保てぬので、普段は魔術を掛けてあのような姿にしているのだ。外見は大切だからな。そなたが夢で見たのは、過去の私とアリシアの姿であろう。アリシアは私を『ジル』と呼び、私はアリシアを『アリー』と呼んでいた。やはりそなたはアリーの生まれ変わりだったのだな!」
そう言うと、美しい青年の姿になったバージル様はエマを思い切り抱きしめた。
エマは驚きのあまり意識を失ってしまった。
エマが目覚めるとそこは自室のベッドの中だった。傍らには青年姿のままのバージル様が心配そうにエマの顔を覗き込んでいた。
「エマ。大丈夫か?もう転送装置は設置したし、そなたの魔力も登録しておいたぞ。これでいつでも王宮に帰れる。」
エマは何も言わず、バージル様をしばらくの間見つめていた。
「バージル様…。仮に私たちが将来結婚したとして、バージル様はずっとそのお姿のままなのですか?私だけ醜く老いていくのは嫌です。」
「エマ、心配は不要だ。当時は魔術を解く方法が分からなかったが今では分かっている。私はすぐにでも成長を止める魔術を解き、そなたと共に年を取っていくつもりだ。それに、年老いてもエマは美しいと思うぞ。年老いたアリシアも美しかったからな。」
(それはきっとバージル様の目から見た場合だけなのでしょうね…。)
「分かりました。18歳までにはどうするか決めたいと思います。夫婦になった場合、私が27歳になったらバージル様は成長を止める魔術を解いてくれますか? 今すぐ解いて夫に先立たれるのは嫌なので。」
それを聞いてバージル様は優しく微笑んだ。その笑みを見たエマは、きっと将来私はこの人を好きになってしまうのだろうなぁと思った。
「バージル様。そのお姿は私の前だけにしてくださいね。」
「勿論だ。この姿では威厳が無いからな。」
(威厳云々より、バージル様の美しい姿を見て他の令嬢達が大挙して押し寄せてきたら嫌ですからね。)
その後、エマは王宮に部屋を賜り、診療所に通ってアディール師の指導を受ける事を続けた。休みの日は、青年の姿に戻ったバージル様と、町に出かけたりピクニックに行ったりして楽しんだ。バージル様は青年の姿になっても、話し方や動作が年寄り臭かったが、それもまたかわいらしいと思えるようになったエマなのだった。
おしまい。
2回目の投稿です。
これからも短編を中心に投稿していく予定です。
よろしくお願いします。