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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

おびただしく愛おしいもの

作者: 初月・龍尖




 ある長屋で独り壁を見つめる女性が居た。

 彼女は今しがた三行半を突きつけられ途方に暮れていた。

 手に握った半紙に汗が染み彼女の握力でボロボロと崩れる。

 突如鳴ったカタカタという音に驚くこと無くゆっくりと振り返る彼女の瞳は真っ赤に染まっていた。

 視線の先には一匹のネズミ。

 片足が不自由なのか引きずるように土間を歩いていた。

 彼女はそのネズミを優しく胸に抱いた。

 しっかりともう二度と離さぬようにと。

 彼女はネズミと暮らし始めた。

 ひとりと一匹。

 優しい彼女はネズミに甲斐甲斐しく尽くした。

 ちうちうと鳴くネズミの背を撫で、飯を食わせ、桶に張った水で身体を洗ってやり、床も共にした。

 彼女はみるみる生気を取り戻し、内職でない仕事を外に見つけカネを稼ぐようになった。

 ネズミは彼女が仕事に出ている時間はふすまの中に作られた自室に引きこもっていた。

 ある日、彼女が仕事から帰ってくると長屋の方角が騒がしかった。

 首を傾げながら近寄ってみれば彼女の住まいから男が運び出されていた。

 その男は彼女に三行半を突きつけた元夫だった。

 慌てて室内に飛び込めば土間に叩きつけられネズミが死んでいた。

 彼女は泣きわめいた。

 生涯を共にすると誓ったネズミが、私の夫が死んだと愛おしい夫が死んだと。

 再び彼女は自分の世界に閉じこもった。

 ひと月、ふた月と時間が流れても彼女はじっと土間の染みを見つめていた。

 長屋の住人たちがが代わる代わる彼女を外に出そうとしたが一向に応じず、辛うじて1日1食の食事は受け取っていた。

 み月ほど過ぎたある頃、彼女は腹に違和感を覚えた。

 下腹部に何者かがうごめく感覚があった。

 腹の虫が私を殺そうとしているのだ、と彼女は思った。

 事実、長屋の住人たちが彼女の元を訪れる頻度が減っていた。

 食事も2日に1食へ、4日に1食へと間隔が伸びた。

 間隔が伸びたことにより彼女は急激にやせ細った。

 痩せると同時に腹のうごめきはどんどんと強くなった。

 ある時、彼女は気を失った。

 死を覚悟した。

 まだ死にたくないとも思った。

 でも死にたいとも思った。

 意識が深く沈んでゆく中で柔らかい何かが自分の身体にまとわり付くのを感じた。

 すべすべとしたもの。

 それはだんだんとふわふわとしたものに変わった。

 彼女の口へ温い液体が注がれる。

 彼女の口へ柔らかい何かが注がれる。

 深く、深く落ちていた意識が浮き上がり、そこで見たものは小さなネズミたちだった。

 彼ら、彼女らは母を生かそうと必死だった。

 母の腹の中で交尾し外に産まれ出た時には数十匹だった。

 彼女の意識が落ちている間にネズミの子らは増えに増えそのテリトリーを広げていた。

 害獣として死んだ子ネズミも居たが母を、祖母を、曾祖母を、高祖母を生かしたいと言う思いはひとつだった。

 おびただしい数のネズミに囲まれて彼女自身もネズミとなっていった。

 ちうちうと言う鳴き声を聞き分け彼女は分け隔てなくネズミたちを愛した。

 母体が戻ったネズミのテリトリーはねずみ算式に広がり彼女はネズミの女王と成った。

 彼女はネズミたちの言葉を聞き占い師をはじめた。

 最初はただの外との交流を持とうという安易な考えだった。

 それがいつの間にか裏社会の情報屋となっていた。

 元夫が棒打ちだけで釈放されてどこぞで女を引っ掛けて遊んでいると言う情報を得た時、彼女の娘となったひとりのニンゲンを送った。

 表社会で生きる場所が無くなった少年少女を保護してネズミの繁殖に使っておりその内のひとりだ。

 娘は首尾よく帰ってきた。

 その手には元夫の男としての象徴が握られていた。

 彼女はそれを受け取ると丸呑みにした。

 元だとしても夫のひとり。

 愛おしいもののひとつ。

 ネズミの生とニンゲンの生の長さにはとてつもない差がある。

 彼女は保護した少年少女と一緒にネズミたちと床を共にし、交わり新しいネズミを産み続けた。

 世界がおびただしい数の愛おしいもので満ちるのを夢見て。

 

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