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前編

ルネ・マリヤはしくしくと泣いていた。

夫が自分の妹と逐電したというスキャンダルに皆が同情し、彼女の夫への怒りを露わにしていた。まだ二十四歳の夫人は誰から見ても美しかった。腰まである黒い艶やかな髪、切れ長の黒い瞳を縁取る睫毛が涙で濡れ、悩まし気に俯いているさまには女の私でもどきりとした。細い手首には銀色のブレスレットをしていたが、指には何も嵌めていない。


それが彼女の答えなのだろう。当然だ、夫が自分の妹と不貞を働くなど。

彼女は口をハンカチで押さえながら、駆けつけた人々が口にする、その場しのぎの慰めを聞いていた。


誰かが彼女に果実酒を勧めたとき、私はハンカチについた紅色を見つけた。彼女が普段から好んでいる紅色だ。いつも通りの紅色が、白いハンカチにぞくりと映えていた。


それから一週間経って、ルネ・マリヤに国中から慰めの手紙が届けられている時、私は一通の手紙を読んで震えていた。差出人はエリザベス・スミス。私にそんな友人はいないと思いつつも封を破ると、見覚えのある字が並んでいた。


「セアラ、用心の為に偽名を使いました。貴方がこの手紙を読む頃には、きっとルネは日中泣いている姿を皆に見せた後、夜は僕の永遠の不在に胸を撫でおろしていることでしょう。


僕が貴方に手紙を寄越したのは、僕の知り得る人間の中で、一番の友情と信頼を寄せられるのが君だからです。君には全てお話しておきたい。そんな僕の身勝手を許してほしい、セアラ。


さて、僕が屋敷から去った理由は、ルネからの嫌悪と嘲笑に耐えかねたから、そしてもう一つは僕に損得無しで尽くしてくれた女性を看取りたいと思ったからです。

貴方も知っているでしょう、ルジェ・エアン嬢。

ルジェは不憫な子でした。

子供の頃、病にかかり、命は助かったものの顔に痘痕が残ったせいで、両親はルネだけを蝶よ花よと持て囃し、家族団らんを離れた所で見つめていた孤独な少女だったルジェ。


修道院に入れる金も勿体ないからと嫁ぐ姉の侍女として屋敷に連れてこられたルジェ。


正直に言えば、僕は結婚当初は美しいルネを誇りに思い、生涯の伴侶として愛そうと決めていました。そして、今も僕がルジェに抱く愛は男女のそれではないのです。


では何か?それは僕が弟のウィルに抱くのと同じ親しみや、自分にない部分に対する尊敬や、長い時間を共に過ごしてきた故の愛着と同情故なのです。

世間は僕を義理の妹を愛した罪に苦しみ、出奔したのだと騒ぎたてていることでしょう。


僕は確かにルネを裏切ったのだし、世間からどう言われようと構わない。本当に、僕の知っている世間に未練はないのです。


未練があるとするならば、君への友情、それだけです。


元はと言えば、僕が誰から見ても弟に比べ才気に劣る兄だったせいで、次期領主の妻という地位を失った彼女には申し訳なく思っています。


そして、皆が態度を変えて弟にすり寄り、僕から離れていく中、変わらぬ親愛を示し続けてくれたのは君とルジェでした。僕が愚かだったのです。

皆が示してくれた親愛や優しさを、僕は僕自身に向けられたものだと勘違いして良い気になっていたのです。

友情も信頼も育むものだということを忘れて、僕の地位や金銭に群がっていただけの人たちに夢中になっていた僕が、跡取り息子という地位を失くした時、半分の人は去り、半分の人は残りました。

前者は僕に背を向けるとそのまま弟の方へおべっかを言いに行きました。残った人々はそれでも幾らかの財産があるどら息子から貪るだけ貪ろうという魂胆でした。


セアラ、君が僕の目を明かしてくれなければ今頃僕は一文無しだったでしょう。

ありがとう、セアラ。


話を戻しましょう。あの頃の僕は自分の悲しみに浸ることに夢中で、ルネの側にいてやらなかったことを今でも悔いています。

だから、ルネの裏切りを責められないのです。彼女にとってそれは裏切りではなく自衛行為だったのでしょう。彼女もお嬢様育ちで脆いところがあるから、初めて思い通りにならなかった出来事に対して一人ではどうにも出来なかったのでしょう。


そんな中、僕を気遣ってくれたのがルジェでした。彼女は僕に姉の悪口や良くない噂について一言も言わなかったけれど、僕に深い同情を示してくれているのが見て取れました。


それは、自分もまた恵まれない子供時代を送り、大人になっても姉と比較され、姉のような人生は望めない自分に対する憐憫であったのかもしれません。


とにもかくにも、彼女だけが臥せる僕に優しい言葉をかけ、僕が世界に見捨てられた存在ではないということを繰り返し説いてくれました。

ルネが僕を詰っても花瓶を投げてきても、自責の念とルジェの支えで僕は耐えました。


僕が耐えられているのはルジェのおかげだという事実にルネは耐えられませんでした。

とにかく、ルネは何も持っていないはずの妹が、本来自分がなすべきことをやっているという事実が耐えられず、一層ルジェに辛く当たるようになりました。


ルジェと僕に、あんた達はもう寝たのだろうと詰め寄ることもありました。大きな誤解です。

僕たちに人から疑われるような出来事は一つもなかったし、そもそもお互い男女としてみていませんでした。


僕たちは不幸な自分を相手に重ねていたのです。

僕は自分を看取りにいきたいと思います。ルジェの容態は芳しくありません。最後に彼女の望みを叶えてやろうと思います。


セアラ、僕の大好きな幼馴染。あなたとあなたのご夫君の幸福をどこまでも祈ります。さようなら、お元気で。


シャルレイ・ウィラム」


私は自己陶酔の世界に溺れた手紙に吐き気を催し、コートを掴んだ。自分の中にまだかすかに残っている友への想いと同情を押し隠しながら。


次話で完結予定です。

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