悪魔退治 3 車内での会話
「で,悪魔で何で戦えばいいんだ?。聖水それとも十字架?」
「聖水とか十字架って何?」
神代の素朴な疑問だった。説明するがここの人間はほぼ無神論に近いからだ。なぜなら歴史がないからだ。読者側の世界は猿人から始まり,今に至る。その過程で起きた出来事、変遷という過程で歴史が現代で世界史として習うことだ。
だがここの世界は変遷や出来事を吹っ飛ばして、今に至っている。もちろん561年という長い歴史を持っているが,あくまで歴史の話だ。
宗教で言う天地創造などは聖書に書かれているが、先程書いた通りそのような過程は存在しない。
つまりこの日本、世界には歴史という概念は存在しない。したがって神を崇拝する理由がないことになる。神は信仰の元にあるからだ。人間が信仰をやめたなら神は死んだと同じである。この世界は神は死んでいる。超自然主義、オカルト、ナチュラルリズムなんて皆信じてはいない。
「お前しらねぇーの?キリスト教の道具だよ」
「僕は君たちが言う平安時代から来たからわからないよ」
「ジェネレーションギャップはやめろよ」
「大佐はオカルトや超常現象なんて信じる方ですか?」
黒瀬は聞く
「この世界に来るまでは信じてなかったからな。なぜなら見たことがなかったからだ。でも今は違う。体験してしまったからな」
「神代は?」
「鬼は見たことありますけど、悪魔となれば別ですね。神の仕業とか祟りとかで恐れていた自分が可愛いものです」
「黒瀬はどうなのよ?」
「悪魔は初めて見る。まぁ魔女とか、化け物見てきたけど、超常現象はねぇー。悪魔がいるってことは、天使もいるし神も居るってことになるよな?」
たしかに黒瀬の言うとおりだった。陰陽道のように。陽があって陰がある。それと同じだ。
「そうゆうことになるな。肝心なのはどう悪魔を退治するかだ」
「悪魔祓いは聖水かけて唱えて大事なのか?」
「この世界だったら違うかもしれない」
この世界とあちらの世界は随分と構図が違うらしい。
「もしかしたら悪魔の概念が違うかもな」
「違うってじゃあ悪魔じゃないってことですか?」
「そもそも悪魔という宗教的悪の象徴で存在するものだ。じゃあ宗教がなかったらどうなる?」
「そうしたら存在意義というものがなくなるだろうよ?」
「つまりいないということですか?」
「かもしれない」
「じゃあ俺らは何と戦うんですか?」
「行ってみてからの楽しみってやつだな」
黒瀬は笑う。
「いるけど信仰していないということはあるんですか?」
「たしかに、それだったら人間が作り出した語源ということになるな」
人間が神を作り出す。可能性はあるかもしれない。あちらの世界もそうだろう。神話や信仰も人間が勝手に崇拝しているからこそ神が存在したのかもしれない。