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堺県おとめ戦記譚~特命遊撃士チサト~

病院の残留思念

作者: 大浜 英彰

 看護職の衛生隊員用に設けられた仮眠室で一寝入りはしたけど、何となく目を覚ましてしまった時、私はそれに出くわしたの。

「え…」

 寝ぼけ眼の私が横たわるベッドの側に、入院服を纏った少女が佇んでいる。

 長めのツインテールに結い上げた黒髪に、つぶらな赤い瞳が自己主張をしている丸っこい童顔。

 伸び切っていない寸詰まりの手足と低い等身から、殊更に幼く見えるけど、恐らくは中学生位だろう。

 間違って入って来た入院患者だろうか。

 それにしては髪をツインテールに結っているのが不自然だし、何より彼女には見覚えが全くなかった。

「恐れながら申し上げます。ここは衛生隊員用の仮眠室で…」

 慌てて立ち上がった私の声は、少女には届かなかったようだ。

 そもそも、少女は私の事も認識していないらしい。

 赤い大きな瞳は虚ろで、何処か遠い所で焦点を結んでいるみたいだった。

『行かなくちゃ…』

 譫言めいた呟きが、私に向けた物ではない事だけは確かだった。

『私、行かなくちゃ…』

 私を一瞥する事もなく、少女はドアへ向かって直進していった。

「ええっ?!」

 直立したままの姿勢で、私の身体をすり抜けて。

 まるで立体映像みたいに、何の手応えも感じられなかった。

「お…お待ち下さい!」

 慌てて追いすがるけど、少女の前進は止まらない。

 少女の身体は何の抵抗もなくドアをすり抜け、仮眠室から消えていた。

 ドアを張り開けても、廊下のどちらにも少女の姿は見当たらなかった。

 ただ、通りかかった医官の先生や先任の衛生隊員達が、怪訝そうな顔を私に向けるだけだった…


 幽霊が出たと騒ぎ立てる私とは対照的に、ナースステーションに詰めていた同僚達は冷静だった。

「焦らずに落ち着きなさいな、垂水識乃(たるみしきの)少尉。看護士資格を取得して間もないとは言え、この堺防衛病院で勤務する以上、貴官も防人乙女としての矜持を持ちませんと…」

 私の直属の上官である寺本眞子(てらもとまこ)班長など、頬杖付きながらスプーンでコーヒーをかき混ぜる程の落ち着き様だ。

 ここまで余裕綽々だと、騒いでいる自分が馬鹿みたいに思えてしまう。

「それで、その少女はどのような身なりをしていたのですか?」

 逸る心を何とか抑え、私が少女の外見的特徴を説明すると、寺本班長は得心そうに頷かれた。

「成る程…その方は、貴官が当病院に正式配属される前に入院されていた、吹田千里(すいたちさと)准佐ですね。」

 寺本眞子班長によると、私が目撃した少女は、人類防衛機構極東支部近畿ブロック堺県第2支局所属の特命遊撃士でいらっしゃるらしい。

 人類守護と都市防衛の大義のため、凶悪なテロリストや世界征服を企てる秘密結社といった悪の脅威との戦いに、日夜明け暮れておられる特命遊撃士の方々。

 軽微な負傷なら体内に投与された生体強化ナノマシンによって自己修復出来るので、特命遊撃士の少女達が長期入院するとしたら、例外的な重傷の場合に限られるのだ。

 そして吹田千里准佐は、その例外的な重傷患者だったらしい。

 無差別テロ事件で世間を震撼させたカルト宗教団体「黙示協議会アポカリプス」との戦闘で、吹田千里准佐が瀕死の重傷を負われたのが3年前。

 それから彼女は昏睡状態で生命維持装置に繋がれていたらしい。

「御家族や御友人、それに上官や部下の方々がひっきりなしにお見舞いに来られていたわ。『その人達の元に帰りたい』という強い想いが、実体化してしまったのかしらね。今年の3月辺りまでは、時々見かけたのよ。」

「すると、その吹田千里准佐という方はもう…」

 御自分が亡くなられた事を認識出来ず、今も彷徨われているのだろうか。

 だとしたら、あまりにも悲しすぎる…

「もう退院されて、この病院にはいらっしゃいませんよ、垂水識乃少尉。」

「えっ、御存命なのですか?」

 あっけらかんとした班長の語り口に、私も力が抜けてしまう。

「今年の3月に昏睡状態から回復され、そのまま原隊復帰。明日の午前中に退院後の経過観察で来院されるので、もし気掛かりなら御本人に直接お伺いするのがよろしいでしょう。」

 吹田千里准佐が生きているなら、あれは生き霊の類なのだろうか。

 いずれにせよ、明日にシフト申請している昼勤務が、その疑問に終止符を打つ絶好のチャンスという事になる。


 その翌日。

 私は医官の先生のアシスタントとして、診察室で吹田千里准佐とお会いした。

 診察室に現れた准佐階級の特命遊撃士は、あどけない童顔とツインテールに結い上げた艶やかな長い黒髪が印象的で、その姿は私が仮眠室で目撃した少女と瓜二つだった。

 しかし、准佐の階級章が入った白い遊撃服をお召しの吹田千里准佐は至って健康的で、昨日の虚ろな目をした病的な姿が、まるで嘘のようだ。

「良かったわね、千里。異常なしだって。」

「やったね、お母さん!もう私、通院しなくて良いんだ!」

 付き添いであるお母様への応対も明朗快活で屈託がなく、とても生き霊になるとは思えない。

 こんな奇妙な話で、この無邪気であどけない少女を困らせて良いものか。

 そんな逡巡が、声をかけるのを躊躇わせてしまう。

「ところで、吹田千里准佐。衛生隊員の垂水識乃少尉が、貴官に申し上げたい事があるそうです。診察室では何ですので、喫茶室に場所を移しては頂けないでしょうか…」

 同席して下さった寺本班長のお膳立てもあって、私は何とか話を切り出す事が出来たの。


 自分の姿をした生き霊が、病院内を彷徨っている。

 こんな無礼千万な内容にも関わらず、吹田千里准佐は最後まで冷静に聞いて下さった。

「そうでしたか…私のせいで、御迷惑をかけてしまいましたね。」

 無邪気で子供っぽい童顔には釣り合わないシリアスな口調で、遊撃服姿の少女が呟いた。

 御手数を煩わせたお詫びに注文させて頂いたミルクティーは既に冷めてしまい、もう一筋の湯気も立たない。

「い、いえ…准佐の責任では御座いません!吹田准佐が生き霊に成られる御人では無い事は、実際に御会いする事で重々承知致しました…」

「とは言え、私の姿をした生き霊みたいな存在が目撃されている事は確かですからね。やっぱり捨て置けませんって!」

 吹田千里准佐は私と話しながら、スマホのSNSを使って何処かへ連絡を取られているようだった。

「おっ、なるほど!じゃあ、今日やっといた方が良いのかな?」

 どうやら返事が来たらしく、吹田准佐はスマホの画面をしげしげと覗きながら、しきりと頷いていた。

「ちょっとお力をお借りしてよろしいですかね、垂水識乃少尉?大丈夫、そんな御手間は取らせませんから!」

 すっかり冷めてしまったミルクティーを一気に飲み干すと、吹田准佐はテーブルの天板に手をついて身を乗り出し、そのあどけない童顔を私にグッと近づけてくるのだった。

「あの、吹田千里准佐…これから何をなさる御積もりなのでしょうか…?」

「広義のゴーストハントですよ、俗に言う!」


 喫茶室の会計を終えた私は吹田准佐に連れられて、衛生隊員用の仮眠室を訪れていた。

 どうやら吹田千里准佐が御自ら、御自身の生き霊を回収するらしい。

「友達の妹さんに聞いたんですけど、厳密には生き霊じゃないみたいなんです。言うなれば残留思念。」

 特定の場所で何人かが強烈な思念を巡らしていると、強い思いがその場に焼き付けられてしまうらしい。

 吹田准佐の場合、家族や友人等の愛する人達の元へ戻りたいという思いが、昏睡状態に置かれた潜在意識から具現化したとの事だ。

「そうして具現化した残留思念は、残留思念の当人がいれば吸収出来るみたいなんです。ただ、私にはあんまり霊感が無いみたいなんで…」

 そこで、吹田准佐の残留思念を目撃した私に白羽の矢が立ったらしい。

 どうやら私には霊感があり、残留思念のような霊的存在は、波長の合う人の元に再び現れるのだという。

「もっとも…友達の妹さんの受け売りなんですけどね、全部。」

 吹田千里准佐の御友人には、京都の嵐山で霊能力者をしている妹さんがいて、その御友人の妹さんから、この事態の解決方法をSNSで聞いてきたらしい。

「残留思念の当事者である私と、私の残留思念と波長の合う垂水識乃少尉が一緒なんですから、残留思念は必ず現れるはずなんです。悪霊の類じゃないから、巫女さん無しでも大丈夫だって、妹さんは言ってましたよ。」

 そうは言われても、これから超常現象に巻き込まれようという立場としては、嫌でも身が固くなってしまう。

 オマケに、昨日に出くわした残留思念と同じ顔で微笑まれてしまうのだから、何ともやりにくい。

「おっ!そうこうしているうちに、おいでなさったみたいですよ!」

「えっ…?うわあっ!」

 釣られて視線を動かした私は、次の瞬間には激しい後悔に襲われた。

 やけに楽しそうな吹田千里准佐の視線の先には、虚ろな瞳を泳がせる第2の吹田千里准佐が、半透明の姿をさらしていたのだから。

『行かなくちゃ…』

 昨日目撃した時と全く同じ譫言を呟きながら、半透明の少女がこちらに向かってくる。

 長いツインテールさえ微動だにしない、無機質な水平移動。

 その動きには、生気は微塵も感じられなかった。

『私、行かなくちゃ…』

「そうだよ!ここに来るんだよ、私!」

 繰り返された譫言に応じたのは、眩い純白の遊撃服に身を包まれた、生者の吹田准佐だった。

 黒ミニスカと黒いニーハイソックスで美しい絶対領域を構成している両脚がスックと床を踏みしめ、つぶらな真紅の両眼が入院服姿の少女を射抜くように見据えている。

 瑞々しい生命力と力強い意思とが、全身に満ち満ちていた。

「ゴメンね、私…連れてってあげられず、置き去りにしちゃった。」

 もう1人の御自分に向かって、静かに呼び掛けられる吹田准佐。

 その童顔に浮かぶ穏やかな微笑は、何処か儚げで美しかった。

『私、行かなくちゃ…』

 表情が虚ろな方の吹田准佐が、また譫言を呟いている。

 その進行速度は変わらず、もう1人の自分に向かって真っ直ぐ向かっていた。

「うん!行こうよ、私。私と一緒にね…」

 御自分と瓜二つな残留思念が間近まで迫った瞬間、吹田千里准佐はサッと両手を広げ、もう1人の自分を愛しげに抱き締める。

 その姿はあたかも、生き別れの妹との再会を喜ぶ双子の姉みたいだった…


 その次の瞬間、抱き締められた方のツインテール少女が光と化して消失した。

「うっ!?」

 そして遊撃服をまとった方の吹田千里准佐が、小さく呻き声をあげる。

体重をかける相手を失い、軽くよろめかれたのだ。

「吹田千里准佐、御無事ですか?!今のは一体…」

「うまくいきましたよ…!私、ちゃんと残留思念を吸収出来ました!」

 とっさに肩をお貸ししたものの、その快活な笑顔を見る限り、特に問題はなさそうだった。

「これで私、あの日の私をちゃんと連れて帰ってあげられます。」

 恐らくは、病院内で彷徨っていた残留思念を吸収した為なのだろう。

 そう微笑まれる吹田千里准佐の御姿は、ほんの少しだけ、先程より力強く感じられた。

 それ以来、虚ろな目をしたツインテールの少女は、この病院内で一度も目撃されていない。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] う~ん。 生きている存在の敵意殺意悪意の類は察知できるのに霊感があまりないとは。 死者(この場合は残留思念)の強い想念に関しては……察知しにくいのですかねサイフォース能力者というのは基…
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