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数の暴力というのは、それを圧倒的に上回る力がなければ、覆すのが難しいものだ。アルマンダインは石榴号に助けられながら、山賊たちの攻撃を必死に受け流していたが、いよいよ限界を感じていた。むしろこれまでよく耐え抜いたほうだとも言える。
やはりどうにも力不足だ。最初の一人を斬ってから、もう一人は心臓を突いて殺したが、それ以上の反撃は容易ではなかった。もはやこれまでか――そう思われたその時だった。
「カルブンクルスの領地において領主一族に楯突こうとはいい度胸だ。首を刈られる覚悟はできているか!」
雷鳴の如き切っ先が、山賊の心臓を突く。その勢いのまま近くの敵の首を刎ね、次々と山賊たちを仕留めていく。抵抗することすらままならぬほど素早く、そして力強い槍である。
「アルマンダイン、無事か!」
突如現れた赤い衣装のその戦士は、アルマンダインがよく知る人だ。
「――叔父上!」
「色々と聞きたいことはあるが、まずはこの追剥ぎどもを片付けてからだな。略奪だの反逆だの、殺してしまっても充分すぎるほど罪の数は足りているだろう」
ルベウスの槍は容赦なく賊を斬り殺していく。長柄の槍は敵の斧が届くより先に相手の首を的確に突き、腕を切り落とし、その武力を奪い尽くす。軽やかに地面を蹴り、この場を制圧していく姿はまさに無双の名に相応しい。
とはいえ未だ数が多いのも事実であり、巧妙に攻撃を避けた一人がルベウスの背後に忍び寄っていた。アルマンダインがそれに気づき声をあげようとしたが、それより先にその男は力なく崩れ落ちた。地面に鮮血が広がる。
「おや、アルミナ様。御手を煩わせてしまいましたか」
「無用な手出しかとは思ったが、黙って見ているのも性に合わぬのでな。悪人の成敗ならば人手は多いほうがよかろう――それに目の調子もよい。道を阻む敵にこそ、不吉めいた黒い糸が見えている。ならば勝つのは我々だ」
男を斬ったのは、馬上で片手に剣を持つ金髪の美しい少女だった。一見すると武器など似合わないような、淑女然として華やかなドレスに身を包んでいるほうが似合いそうな、白い肌の乙女である。けれど、最も目を引くのは金糸の髪でも白磁の肌でもなく、青く光る両の眼だ。見る者全てを引き込むような魔性めいた煌めきに、アルマンダインは思わず息を呑む。
海のような深い青が、夜を照らす星のように輝いているのだ。波間の泡沫よりも淡く、されど一度その視線に囚われれば満月よりも眩しく思えてくるほどに、それは惹かれる色合いをしている。
彼女のことを、アルマンダインは知っている。噂に聞いてはいたけれど、これほどまでに――これほどまでに美しい色だとは!
「山賊どもよ、存分に私を恨むがいい。私は私の目的のため、そなたらを切り捨てる!」
剣を構える彼女は、凛として麗しい。ルベウスと共に速やかに荒くれ者どもを排除していく姿は、王女とは思えぬほどに勇ましい――噂に聞くとおりの戦乙女そのものであった。
◆◆◆
追剥ぎ行為は罪であり、地位ある者に逆らうこともまた罪とされる時代において、山賊に身をやつした者どもが貴族に牙を剥いてただ許されることはない。
大半はルベウスの怒りによって、残りはアルミナの意思による裁きとして殺し尽くした。最後の一人は逃げようとして足を滑らせ仲間の斧の上に倒れ込んで死んだ辺り、そういう運命だったとしか言いようがない――アルミナの見た黒い糸が示すとおりに。
それから、死体となった彼らのために、アルミナは祈った。きちんとした埋葬をするには時間も人手も足りないが、死という裁きによって罪は清算されたのだから、彼らがそれ以上貶められる必要はない。
「神話によれば神はこの地を去ったというが、もしかしたらどこかに一柱くらいは隠れていて祈りを聞き届けてくれるやもしれぬ」
「罪人のために祈るとはお優しいですね、アルミナ様」
「罪人であったとしても、民であったよ。ベルゼアの――もっと言えばキルミツ領の民であるのに、裁判も命令もなしにそなたが暴れるし、私もそれを許したし、討伐が必要と判断したのも私だ。だから、これくらいはな。まあ、何もないよりはましであろう……たぶん」
そもそも相手は罪を重ねすぎているのだから、裁判をしたとしても彼らを滅ぼすという結果は変わらなかっただろうが、筋を通していなかったという点ではアルミナに負い目がある。それに、彼らのような存在が現れるのを許してきた国も悪い。だからこその、せめてもの手向けである。ルベウスはそれについて「きっとどこかの神には届きます」と言った。
「随分曖昧なことだ」
「見たことがないものを曖昧でなく表現することはできませんから」
「成る程、一理ある」
それよりも、とアルミナは後ろを振り返った。そこには、黒髪の少年がいる。
彼は少し緊張したような面持ちで、けれど真っ直ぐにアルミナを見ている。未完成な幼い体は戦士と呼ぶには細く頼りないが、少し濃い眉や意志の強そうな黒い瞳はルベウスと似ている。
「あの――私は、アルマンダイン・カルブンクルスと申します。先程は危ういところを助けていただき、ありがとうございました。アルミナ王女殿下」
そう言って、深々と頭を下げる。それは恐れによる平伏ではなく、心からの感謝の形として。
「面を上げよ、アルマンダイン。そう畏まらずともよい。ほとんどはルベウスがやったことだし」
指示を仰ぐでもなく飛び出していった辺り、勢いで行動しているとしか言いようがないが、今回はそれが功を奏して少年の危機を救った。アルミナの力添えはほんの些細なものに過ぎなかった。
「私の働きなど細やかなものだ。そなたが無事であって何よりだ。それと、此度の山賊どものことは必要があると判断して討伐したが、勝手をしてすまぬ」
正当防衛と言えないわけでもなく、実際に被害があったのも確かだが、もしかすればやりすぎと捉えられてもおかしくない。アルミナが言うと、アルマンダインは「いいえ、とても助かりました」と返事をした。
「叔父上もありがとうございました。おかげで首の皮はまだ繋がっています」
「俺より若い小僧にこんなところで死なれちゃ困る。だがお前、何故こんなところにいるんだ。そもそも何故お前が石榴号を連れている。それは兄上の馬で、お前が乗りこなすには気難しいからと兄はお前に譲るのを渋っていたはずじゃないか」
「色々とあったのです。僕は今、父に代わりキルミツの領主となりました。王都で起きた恐ろしいことならばおおよそは身をもって体験しましたが、とにかく、ひどい――惨いことが……ああ、話さなければならないことが沢山あります、ベルトラン王子殿下がそれを望んでおられたのです」
しかし何からお伝えすべきか、と呟くアルマンダインの表情は明るくない。焦燥している、ともいう。冷静になりきれないだけの体験をしているということだろうけれども、何やら重要なことを言った。――彼は既にキルミツの領主であるという、それが意味することは。
「ふむ。もうグロシュラに近い場所まで来ている。こっちも色々あったから、状況を整理したい。ひとまずはこちらのことを話すから、お前はこっちの知らないことを順番に語れ。アルミナ様もそれでよろしいですね、こいつは信用のおけるやつです」
ルベウスが言った。情報共有のためには、それが一番良い。魔眼のことを打ち明けるのは勇気がいるが、アルミナが一番に信頼している男が大丈夫と言っているのだから、きっと大丈夫だと思える。
「うむ。私の目のことも全て話そう――アルマンダインよ、そなたも色々と教えてほしい。王都で何事が起きたのか」
アルマンダインは、力強く頷いた。
◆◆◆
話をしながら進めば、グロシュラはすぐで、互いに全て語り尽くす前に到着した。
グロシュラは、他の町とキルミツ城塞を繋ぐ宿場町としての役割を果たしている。険しい山道が多く、広大なキルミツ地方においては、旅の補給ができる中継地点は重要である。
「ここには、家らしい家……いや、王都で一般的な石造だとか木造だとかの家は少ないのだな。どこを見ても大体天幕ばかりだ」
「グロシュラは形を変える村なのです、王女殿下。今は拓けていても、雨期にはこの辺りはほとんど水に沈んでしまう。それこそ川か湖のように。ですから、移動が容易い天幕で暮らし、季節によって村の在り方を変えているのです」
水が溜まれば船を渡すのですが、とアルマンダインが言った。
「ほう……そういうのは初めて聞くな。人の在り方も土地によりけりというが、成る程、面白いやり方だ」
「万が一何か問題があっても、すぐに別の土地に移動できるというのも強み……と言えるのかもしれません。グロシュラの民は僕が生まれる前は、また別の土地で暮らしていたともいいます。ああ、あれが宿です」
アルマンダインが指をさしたほうには、いくつもの天幕が密集しているのが見える。どうやら行商人たちも利用しているらしく、それなりに賑わしい。宿の主人らしき男は、アルマンダインの姿を見つけると「これはこれは若様!」と慣れた様子で今日の寝床となる場所を用意してくれた。
そこで、改めて話の続きをする。アルマンダインは魔眼について驚きはしたようだが、忌避するような様子は見せなかった。一方でアルミナたちはアルマンダインの話を聞かされて、少なからず衝撃を受けた。
ベルトランはありもしない罪を責め立てられ、罠にかけられて命を落とし、アルミナたちが頼ろうとしていたアクスラクスも既に亡き人であるという。一夜にして王宮の支配者となったアレクサンドルは、楯突く者は容赦なく粛清し、数多くの臣下の命を奪ったのだ。
「よもやそのようなことが起こっているとはな……」
アルミナは頭を抱える。元々次代の権力を争う仲であった兄たちである。強かなアレクサンドルがベルトランを始末することについては想像していなかったわけではないし、ベルヌイユでも報せを聞いたが――そのやり方が思いのほか汚いことに驚かされた。そもそも、長年王家によく仕えてきた家臣までも問答無用で殺すとは思わなかった。自分の派閥に属していなかった、都合の良い者たちでなかったといってもやりすぎだ。眩暈がするし、吐き気もする。諫言を黙らせるために理不尽な死をばら撒くことは、名君のすることとは思えない。アレクサンドルが真に名君となれる器があるのなら、もしかしたらいつかはベルトランを殺したことを許せたかもしれないのに、既にそれはありえぬ道となりつつある。
(いや、名君であるかどうかなど、今は判別がつかぬこと。今より未来に評価が変わるのは歴史上よくあることだ)
過去の歴史を振り返っても、かつて暴君と呼ばれても現代の価値観から再評価されて名誉回復が行われることは往々にしてあることだし、その逆もまた然りだ。つまり、アレクサンドルの現時点での評価をものさしにすることは無意味である――彼がどのような考えをもって、何を目指しているにせよ、アルミナと敵対しているということは変わらないのだ。アレクサンドルに対する不信は増すばかり。決して相容れることはない。
特にルベウスは憤慨している。ルベウス自身アレクサンドルの不興を買っているけれども、アクスラクスが己が信じるもののために死んだというのが納得できないのだ。アルミナもよく知っていることだが、アクスラクスはキルミツ領主として国境警備の任に着き、長年エメリー王家に尽くしてきたよき臣下であった。彼がアルミナを特別好いてくれたわけではなかったが、アルミナが信じたベルトランの側に着いていた、いわば志を同じくするものであった。惜しい人間を亡くしてしまった。
「ベルトラン殿下は、アルミナ殿下が王になることを望んでおられました。僕自身、正直に申し上げて、アレクサンドル殿下よりアルミナ殿下にこそ忠節を捧げたい。これを」
アルマンダインが懐から取り出したのは、ベルトランの遺書だった。見知った字は疑いようもなくベルトランの直筆である。丁寧で、読みやすく美しい字だ。書かれているのは、濡れ衣を着せられた無念。そしてアレクサンドルを王位から遠ざけよという、最後の命令だった。
ベルトランの冤罪を証明することは、彼を敬愛する者としてやり遂げねばならぬと思う。けれどそれ以上に、死せる彼はアルミナに王となれと言う。
「アルミナ殿下に無事にお会いできてよかった。父の死と引き換えに生かされて、ベルトラン殿下のご遺言をお伝えできなかったとあれば、死んでも悔いが残るところでしたから。王都から逃げてきたかいがあったというものです。アルミナ殿下にはおつらい話であったでしょうが……」
「いや……ご苦労であったな、アルマンダイン。つらいのはそなたも同じであろう」
アルマンダインは「そう言っていただけるだけで報われます」と言った。そこで涙を見せないのは、この少年の強さであり、泣くより優先すべきことが他にあるということでもある。
「そなたの事情は把握した。お互い追手がくるのではと怯えねばならぬのは苦しいことだが……いや、なんというか、本当に頭が痛いな」
「ええ、まったく。それで、これからのことなのですが――」
そうして、次の話に移ろうとした時、遠くで悲鳴らしき声が聞こえた。どうにも、嫌な雰囲気がする。
「広場のほうからでしょうか。僕、ちょっと様子を見てきます」
「待て。俺も行こう。アルミナ様、我々が戻るまでお待ちください」
アルマンダインとルベウスが席を立とうとするとアルミナは「ついていく」と言った。
「しかし万が一のことがあっては」
「万が一とはそなたを失うことだけだ。もしかすれば追手というやつかもしれんのはわかるが、そなたが出て行けば芋づる式に私のことも相手に知られるのだから、互いに目の届くところにいたほうがまだ安心できよう。とにかく行くぞ」
三人で天幕を出ると、やはり村がざわついている。先程聞こえた悲鳴のしたほうへ向かって走っていくと、そこには黒衣の騎士と、その配下と思しき数名の騎士がいて、村人の女性に剣を突きつけている。
アルミナたちの気配に気づいたのか、黒騎士が目線をこちらへ向ける。その傷のある顔を、アルミナは知っている。
「カルブンクルスの小僧を追ってきたはずだが、奇妙なことが起こっているらしい。どうしてここにアルミナ王女殿下がおられるのかな」
「――スカー・フェイス・サードニクス」
猛々しい黒衣の騎士は、獲物を見つけた狩人の目をしている。